自転車がパンクした。
自転車がパンクした。
いや、本当は家を出る前からそれには気づいていたんだけれど、忙しく出勤の準備をする叔母に送ってもらうのもあれだし。
もっと言えば家の脇にある百段の階段を上ってまで祖父に頼むのも何だし。
ということで、このぬるい空気の中、役立たずの自転車を押して登校している。
家に置いて来ればいいのに、軽い気持ちで、鞄を運ぶのがちょっと楽になるかな、と思ってしまったんだ。
あとは、家族に気づかれて、何で自転車が使えないことを黙って無理やり徒歩で登校したのか聞かれるのが面倒だったから。
帰ってから、登校中にパンクしたって言えばいい。
だが、ちょっと目測が外れたみたいだ。
自転車が、だんだん重くなっていっている。
しまいにはギュウギュウとゴムがこすれる音が聞こえてくる始末だ。今すぐにでも放棄したい。でも、そんなことをしてまた色々聞かれるのも、新しい自転車を買うお金をだしてもらうのも面倒だ。
校門前、約五百メートルの通学路は不幸にも上り坂だ。
追い抜いていく同じ自転車通の学生が、不思議そうにこちらを一瞬振り向いていく。見ての通り、自転車がポンコツなんですよ。
彼らの急ぎ具合からして、時間がまずいのだろうか、と思って携帯を見たら、もはや手遅れの時間だった。
携帯の画面を凝視するのに5秒。諦めるのに0.5秒。後は青い青い空を見上げながら重い自転車を押し、始業のチャイムが響くのを待つだけだ。
――だけだと、思った。
ヤホヤホ、ユギ!
グッモーニン!
横を追い抜いていくかと思った自転車が急にスピードを落とし、器用に皐矢に並んで並走し始めた。
佐伯駿(さえきしゅん)。同じクラスで、何故なのかはわからないが高校に入学した翌日からずっと皐矢につきまとってくる。
サッカー部の期待の一年であり、その明るい性格と程よく整った顔立ちからファンも多い、らしい。
だが、皐矢にとってみれば。
めんどくさいと仕方ないの二言でこのどうしようもない状況をやり過ごそうとしていた皐矢にとってみれば――
あららーユギ、自転車パンク?
……たぶん
じゃあオレの自転車に乗せていってやるよー
もう、仕方ないなーユギは、と続ける佐伯に、低血圧で朝は一層口数の少ない皐矢の血管は切れそうだ。
いいから早く行けよ。遅刻するぞ。
どうせ俺はこの自転車、置いていけないんだから。
あーそっか。その自転車のこと忘れてたわ。
でも、あと十分あるんだから、このまま歩いても大丈夫じゃね?
そう言って自分の手首に目を落とした佐伯につられて見ると、確かに始業までにまだ十分強あった。
……スマホの時間が狂うこともあるのか?
疑問も湧いたが、安堵の方がより一段と心に広がっていった。
じゃ、一緒に登校といきますか!
いや、一人で行けよ
ユギはつれないなぁ。
いつか便所メシとかし始めないか、お兄さん心配!
……。
お前が乗っている状態で、車輪を横から思いっきり蹴るぞ。
この発言はさすがに効いたらしい。
悲鳴を上げると佐伯は必死でペダルをこぎ出す。
しかし、数十メートル離れた後、佐伯はピタリと止まった。
どうやらスマホを取り出して見ているようだ。
そして、にわかに皐矢を振り返る。
ユギ―!!
額に浮き出てきた汗を手の甲で拭いながら、皐矢は顔を上げた。
あと三分の間違いだったわー
皐矢は無言で足を止め、自転車のスタンドを立てる。
そして籠の中から鞄を引き揚げると、渾身の力で佐伯に投げつけた。
高校男子の悲鳴、自転車の倒れる音を前奏に、今日もチャイムが響き渡る。