さて、左大臣には内親王の妻との間に美しい姫君がおられました。
左大臣の妻の内親王は帝の同腹の姫君であり、つまり左大臣の姫君は帝の姪御、源氏の君からは従姉にあたる御方です。
東宮の方からも御所望があったのですが、左大臣はこの源氏の君にこそと思われました。
後ろ盾のない若君のために、自分が後見人にと思われたのです。
帝はその想いに感謝し歌を詠まれました。
“いときなき 初元結ひに 長き世を
契る心は 結びこめつや”
さて、左大臣には内親王の妻との間に美しい姫君がおられました。
左大臣の妻の内親王は帝の同腹の姫君であり、つまり左大臣の姫君は帝の姪御、源氏の君からは従姉にあたる御方です。
東宮の方からも御所望があったのですが、左大臣はこの源氏の君にこそと思われました。
後ろ盾のない若君のために、自分が後見人にと思われたのです。
帝はその想いに感謝し歌を詠まれました。
“いときなき 初元結ひに 長き世を
契る心は 結びこめつや”
まだ幼いこの子の髪を結ぶ時、その紫の紐に、そなたの姫君との長い契りが続くようにとの願いは込めてくれましたか。
と帝が仰ると、
“結びつる 心も深き 元結ひに
濃き紫の 色し褪せずは”
勿論でございます。私の願いは深い絆となり長く続くことでしょう。深い紫の……その高貴な御心がお変わりにならない限りは。
と左大臣は申し上げられました。
その夜源氏の君は左大臣の邸に向かわれることになりました。
妻問い婚と呼ばれる、男が女の邸を訪ねる婚姻が一般的だった時代です。
若君と左大臣の姫君との婚姻が決定したのです。
その婿取りの儀式は世に例がないほど立派に執り行われました。
源氏の君を初めて御覧になった姫君は若君より少し年長であったので、美しく若いこの御方に果たして自分がふさわしいのかどうかと悩まれたそうです。
左大臣は帝の姉宮を妻に持ち、帝からの信頼も厚い御方でした。
そんな方のもとに源氏の君までもが婿としていらっしゃいましたので、東宮の外祖父として権力を握っていたはずの右大臣さえも圧倒するほどでした。
しかし源氏の君の心は晴れません。
源氏の君ももう気づいておられたようです。
初恋のあの御方が忘れられないのです。
左大臣の姫君――源氏の君は葵(あおい)とお呼びでした――は、母大宮(おおみや)に大切に育てられただけあって教養のある素晴らしい御方でした。
ですがそれだけだったのです。
左大臣の大殿には申し訳ないと思いつつも、心ばかりは変えることが出来ません。
葵姫をご覧になる度、藤壺の宮のような御方を妻に迎えることが出来たならと、叶わない願いばかりを抱いてしまわれるのでした。
離れてから藤壺の宮への思いを一層強くされた源氏の君でしたが、元服すると御簾の中に入ることなどできるはずもなく、直接言葉を交わすことも不可能になってしまいました。
管弦遊びの楽器の音で心を通わせ、時折漏れてくる御声を慰めとしてお過ごしになります。
楽しかった元服前のことを思い起こされながら、大人になってしまった我が身を疎ましくお思いになるのでした。
元服をして臣下に下ったものの、帝はそれでも源氏の君をいつもおそばに置こうとなさるので、気楽に私邸で暮らすこともかないません。
五、六日宮中にお泊りになり、二、三日左大臣の御邸に向かわれる、という繰り返しです。
まだお若くいらっしゃるので、左大臣も御咎めにはなりません。
帝は桐壷のお使いになっていた淑景舎を源氏の君にお与えになりました。
宮中にお泊りになる際はこの御部屋を使い、かつて桐壷にお仕えしていた女房達が今度は源氏の君にお仕えしているのでした。
住む人のいなくなっていた実家の方も、帝の御命令できれいに整えられました。
もともと風情のある御邸でしたが、池が大きく作られ、より立派になったように思われました。
祖母と暮らした幼き日のことを思い出されながら、このように素晴らしい邸に藤壺の宮のような女性と暮らすことが出来たなら、とただ叶わない願いばかりをされるのでした。