帝は若宮をいつでもおそばに置かれました。


昼から弘徽殿においでになる時なども御簾の中までお入れになります。


若宮は聡明な御方で、皆に愛されて育ちました。


どんなに恐ろしい武士でも、若宮を見ると微笑まずにはいられないありさまでした。
 


それだけではありません。


七歳の時読書(ふみ)始めをさせたところ、若宮は与えられた書物をすらすらとお読みになりました。


あまりに賢くいらっしゃったので帝は末恐ろしいとさえ感じられたそうです。
 


学問以外でも琴や笛の才能もお持ちで、そのひとつひとつを挙げていたら大げさになりそうなほど、この若宮は比類ない才能をお持ちでした。
 


その頃高麗人が来朝していたのですが、その中に優れた人相見がいるとお聞きになった帝は、若宮を連れてこの者のもとに向かわれました。


若宮の素性を隠して会わせると、人相見は不思議そうに何度も首を傾げます。


そうして申すことには若宮の相はなんとも珍しく高貴なものであるそうなのです。

人相見

国の親となり帝となるべき高貴な相をお持ちです。しかしこの方が帝となれば、国は乱れ民は苦しむことでしょう。かといって、臣下に下り政を補佐するのには勿体無い御方。…なんとも不思議です

明日にも国へ帰る時になって、このように珍しい経験をできたことを喜んだ人相見はこの国を離れがたいと言った意味の詩を作りました。


それに対し若宮もたいそう素晴らしい詩をお作りになったので、人相見は外国の珍しい贈り物をいくつも差し上げました。


朝廷からもこの人相見に贈り物がなされ、自然と噂が広がっていきました。


詳しい内容までは漏れませんでしたが、弘徽殿女御などは何があったのか気になる様子です。
 


帝は常日頃から若宮の将来を心配しておられました。
あえて親王になさらなかったのもそのせいです。


自分の御代がいつまで続くかもわからない中、後ろ盾のない若宮を親王にしてしまうのは心許ありません。


それならばかえって臣下としてはっきりした位に付けた方が、将来的には若宮の為になるのではないかとお考えになり、様々な学問を習わせになられます。


格別な才能をお持ちの若宮を臣下に下すのは惜しいとも思われますが、若宮を親王にした時この優れた皇子にいらぬ疑いを持つものが出てこないとも限りません。
 

帝は元服後この若宮を臣下に下らせようとお決めになられたのでした。

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