桐壷更衣の母君北の方の悲しみようは気の毒なほどでした。


夫を早くに亡くし、その遺言通りに娘を教育し入内させた北の方は、たいそう娘を可愛がっておられました。


後ろ盾のない桐壷更衣が帝の御寵愛を受け、他の方々と変わりない生活をお出来になったのもひとえにこの北の方の努力の賜でしょう。
 

それほど娘に尽くしてこられた方です。
夫に次いで娘までもが亡くなり、どれほどつらく悲しかったことでしょう。


葬儀の際

北の方

私も娘と同じ煙になりたい

と取り乱す様子は目をそむけたくなるほどでした。


桐壷更衣が恥ずかしい思いをしないようにときれいに整えてあった家も、今は草が生えて見られないほどでした。


それでも北の方がもう一度生きる気力を持つことが出来たのは、この若宮のお蔭に違いありません。
 

御所のしきたりで母の実家に下ることになった皇子の面倒を見ることになったからです。

桐壷帝

いつか桐壷に后の称号を与えたいと考えている

という帝の御言葉だけを頼りに、北の方は若宮の教育に力を入れていかれました。


そして時は過ぎ。若宮は六歳になられました。
宮中へ戻られる時が来たのです。
 

宮中に現れた亡き更衣の忘れ形見をご覧になった方々は、この世の者とは思えない美しさに不吉なものさえ感じられたそうです。


帝もそのひとりでした。


そのあまりの美しさゆえに、神に魅入られこの若宮までもが早く召されてしまうのではないかと恐れられたほどです。
 

帝は参内された若宮をいっそう御寵愛なさいました。


しかし翌年東宮に選ばれたのは弘徽殿女御の第一皇子でございました。


帝は桐壷の忘れ形見であるこの若宮こそをお思いでしたが、後ろ盾を持たないこの若宮を東宮に選んでもかえって危険にさらすだけだとお思いになり、口に出すことさえなかったのです。
 


桐壷の母君である北の方はすっかり気が沈み、

北の方

娘のもとへいきたい

などと仰っていました。


若宮の立太子だけを願い生きてきたのですから、たいそう悲しかったのでしょう。


そのせいか程なくして北の方はお亡くなりになりました。


若宮は祖母を慕い泣いておられます。



長年親しく面倒を見てきた若宮をひとり残してしまうことだけが心残りだ、と北の方は最期の時まで繰り返し仰っておられました。

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