そんな大人の事情など露知らず、皇子はすくすくと成長なさいました。


皇子が三歳になられた年、帝は一の皇子の時に負けず劣らず盛大な御袴着の儀式を行いました。


桐壷更衣を非難なさる方々までもが、この皇子の御姿を非難することまではできませんでした。


このような御方がこの世にお生まれになるとは、と申される方までいらっしゃいました。
 

その年の夏のことです。
桐壷更衣は体調を崩され、帝に里下がりを申し出なさいました。


しかしここ数年更衣は御病気がちであったので、またいつものことだろうと帝はお考えになりお許しにはなりませんでした。


しかし日に日に病状は悪化し、更衣の母君が泣く泣く帝に里下がりを申し出なさったのです。
 

帝は里下がりをお許しなさったものの、更衣の衰弱しきった御姿を見て離れがたくお思いになります。

桐壷帝

死にゆく時は共にと申したではないか。

美しく愛おしい人がひどく痩せほそり、自分の言葉に返答することさえ敵わない御姿をご覧になり、帝はどんなことをお思いになったのでしょう。
 

最期までそばに置きたいとお思いになりながら、その身分ゆえにそれが許されない帝は、更衣の退出をお許しになりました。
 

そしてそれが、帝と桐壷更衣の永遠の別れになったのです。




“限りとて 別るる道の 悲しきに
      いかまほしきは 命なりけり”



帝は更衣を失った悲しみに塞がってしまい、お部屋におひとりで引き籠もってしまわれました。


それでも更衣の忘れ形見である若宮だけはおそばに置きたいとお思いになったのですが、母の忌中の皇子が宮中に残るなど前例がありません。


しきたり通り母更衣のご実家へ下がることになりました。
 

若宮はまだ幼く、なにが起こったのが理解されていない様子。


涙に暮れる父帝をご覧になり、不思議そうな顔をなさっていたのでした。
 


更衣がお亡くなりになった後、帝は三位の位をお授けになりました。


三位は女御と同じ位です。
生きている間に女御と呼ばれることが無かったのを心残りに思われた帝が亡くなった方へお送りになった最後の贈り物でした。
 

それはまた他の方々の反感を買うことになりました。


弘徽殿女御などはその丁寧な葬儀を見て

弘徽殿女御

死んでまで人の心をかき乱す女だ

とおっしゃったそうです。


しかし亡くなった方をよく知る人々はその美しさや穏やかな性格を思い出しては涙しました。


亡くなってこそ人は恋しく思われるとはこのことなのでしょうか。
 


時の流れは残酷です。
いつの間にか肌寒い秋がやってきました。
帝はひとり物思いにふけっていらっしゃいました。


このように月の美しい晩は桐壷と管弦遊びをしたものだ、と亡くなった方の素晴らしい琴の音を思い出されておられました。


しかしどんなに美しい思い出もすべては幻。
現実の闇にはやはり劣ってしまうのです。





“尋ねゆく 幻もがな つてにても 
      魂のありかを そこと知るべく”

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