署長室の扉の前だった。
俺は息をひそめてこう言った。
署長室の扉の前だった。
俺は息をひそめてこう言った。
署長がいるな
どうする?
今日は止める?
いやっ。中に入る
え?
あれだけの大乱闘をやったんだ。ここで引き返したら、あの子ひとりの責任になる
ああ、私たちは偽名だから
でも
たしかに俺は署長と面識がある。学校の中庭で会った。しかし勝算はある
どうするの?
自白させる
えっ!?
署長は近藤さんの自殺を知っていた。だから問い詰める。上層部に告発するという
俺は決意を胸にそう言った。
敦子とあん子は、大きくうなずいた。
敦子。スマホのレコーダーで、俺と署長のやりとりを録音してくれ
分かったわ
あん子。念のため、署長のパソコンからデータを抜いてくれ
了解、Wi-Fiで10分よ
よしっ。予定外だが、ここで一気に追い込みをかける。それが、あの子を守ることにもなる
俺には責任があり、また責任感があった。
大きく息を吐いて、扉を開いた。
※
署長室には、署長と数名の警察官がいた。
署長は俺の顔を見ると、いきなり言った。
お前は、たしか鬼神学園の生徒だなッ!
自殺の件で会いに来た
ああ、なんだ後にしてくれないか。今、まことが下で暴れてる。それどころじゃない
署長は、めんどくさそうに言った。
俺は、まことをかばってこう言った。
大乱闘の原因は俺だ。あの子は、俺がけしかけた
ん?
署長だけでなく、警察官も首をかしげた。
俺はかまわず言った。
俺は、署長と話がしたくて留置所に入った。暴動を起こし、その隙にこうやって会うためだ
私と会うために、留置所に入ったのか?
普通には会ってくれないだろう?
まあな
だから入った。そして、たまたま居合わせたあの子をけしかけた。乱暴だが、心の綺麗な子だ。簡単にだますことができた
俺は精一杯のゲスな笑みでそう言った。
署長の表情が固まった。
懸命に感情を隠した顔だった。
俺の話に、なにか違和を感じたのかもしれない。
俺は、署長に考える隙を与えないために、たたみかけるように言った。
あなたは、近藤さんの自殺のことを知ってましたよね? 中庭で会ったとき、鷹司と話していましたよね?
………………
どういう約束をしたんですか?
なんのことだ
鷹司は理事長を解任されましたよ。もう、かばう義理もないでしょう
脅しているのかね?
いえ。俺は、ただ、近藤さんの自殺をもみ消したことが許せないんですよ。その件について、鬼神署の署長さんと話がしたいだけですよ
……それは警察のすることじゃない
そうなんですか?
さっ、裁判所に訴えたまえ
署長は不機嫌な顔で言った。
それから警察官に向かってこう言った。
彼を門まで送ってあげなさい。それから、『まことを扇動した』と言質をとったから、今回の乱闘騒ぎは、そのように書類を作成しなさい。彼は鬼神学園の生徒だから、身元は学園に問い合わせるといい
はっ
警察官は、かかとを鳴らした。
そして俺を見た。
と、そのときだった。
待てよ
まことが派手に登場した。
俺は密かに頭をかかえた。
彼女は悪気はないし、とても好い子だと思うのだけれども。
しかし、彼女が張り切れば張り切るほど、どんどん状況が悪くなっている。
俺は、彼女が好かれと思って行動しているだけに、いっそうやるせない気持ちになった。こんな状況だというのに、不謹慎な笑いすらこみあげてくる。
おいっ、だいたいの話は聞かせてもらったぞ。しかし、なんだその扱いは?
まことっ
そいつは、不正を正すために堂々とやってきた。あたしのこともかばった。なのに鬼神署はどうだ? カッコ悪い署長じゃねえか
なっ、なにを!?
なあ、不正をやってンだろ? オショクとかユチャクとかそういうのやってンだろ? 署長のクセに
んんん! なんだその口の利きかたはッ! おまえの無茶をもみ消すのに、人がどれだけ苦労してると思ってるんだ!!
そんなことァ、頼んじゃいねえ
なっ、なにをバカなことをッ! おまえのやることは、どんどんエスカレートしてる。もう、私がもみ消さないとタダでは済まないんだ。少年刑務所ですごすことになるんだぞ
ああ、かまわねえ。もみ消しとか望んでねえ
父親の好意を無下にするんじゃないッ!
きっぱりと、署長はたしかにそう言った。
あんたの娘は、それが余計なお世話だって言ってンだ!
ぴしゃりと、まことはそれを拒絶した。
えっ!?
父親?
あんたの娘?
俺たちは、しばらく口をぽかんと開けたままでいた。
まこと。いい加減オトナになりなさい。おまえは、かまってほしくて無茶をやっているのだろう? そんなことは、とっくに分かっているんだよ。でも、父さんも母さんも忙しいんだ。いつまでも、おまえにつきっきりというわけにはいかないんだよ
違うっ!
父さんは、おまえが暴れるから忙しいんだぞ。それに、おまえのしあわせのために人脈を広げているんだよ。私がお金と地位を欲するのは、おまえのしあわせを願ってのことなんだよ
あたしは、そんなもん望んじゃいねえ!
まことは、叩きつけるように言った。
それから、力なく、神妙な顔をして語りはじめた。
あたしは、かまってほしくて乱暴してンじゃねえ。あたしが署長の娘だからって、特別扱いするがイヤだった。警察は公正でいてほしいんだ。特別扱いすることのおかしさに、気づいてほしかったんだよ
………………
父さんには、カッコイイ父親でいて欲しい。カッコイイままでいて欲しかった。出世とか贅沢な暮らしとかそんなものは、どうでもいい。ほんと、どうでもいいんだよ。……あたしはただ、警察官の父さんが好きなんだ。正義感に満ちた警察官、そんな父さんが好きだったんだ
まこと
なあ、悪いことやってンだろ? あたしの罪をもみ消すこともそうだけど、他にもいろいろ、この人たちに迷惑がかかるようなこともさあ
………………
署長は、ガックリうなだれた。
まことは、首をねじむけ俺を見た。
それから無理に笑ってこう言った。
父さんは、あんたらに迷惑かけてるんだろ? 悪いことしたな
……キミが謝ることじゃない
そうかもしンねえな。ただ、まあ、それも今日で終わる
ん?
普通に通報しなよ。あたしが証人になってもいい。警察組織は腐ってねえから、ちゃんと査察が入って、それで父さんはクビになる
………………
警察をなめるなよ。警察官になるヤツはなあ、もともと正義感の塊なんだ。警察っていうのは、そんな連中が集まってる組織だぞ。悪いヤツは、たまにいるかもしれねえが、組織自体は腐ってねえよ
まことは、さびしげに笑ってそう言った。
その澄んだ声が、署長室にいる皆の心に染みいった。
自然と背筋が伸びた。
それは署長も同じことだった。
私が電話をする
署長はそう言って、受話器を取った。
すっと、もう片方の手を上げて、俺たちを制止した。
あ、もしもし。わたくし鬼神署の署長をしております九条と申します。地元の企業から賄賂を受け取ってしまいまして、その件で電話しました。担当部署につないではいただけないでしょうか?
なにっ!?
ふふっ
………………
はい。はい、たしかに。……ええ、その通りです。はい、分かりました。では、副長に署をまかせ、到着を待ちます。後は指示に従います
!?
………………
………………
先輩のご期待に添えず申し訳ございませんでした。……はい。いえ。……そんなことはありません。ただっ
署長は、まことをまっすぐに見た。
それから照れくさそうに背中を向けると、サッパリとした声でこう言った。
娘の前で、かっこつけたかったのです
署長は受話器を置いた。
大きく息を吸った。
それから署長は無感情に、まことに訊いた。
なぜ、その男を助けた
『絶対に仲間は見捨てない』と言ったからだ
まことは、ぶっきらぼうに言った。
すると警察官がいっせいに俺を見た。
それから署長を見た。
言葉を待った。
署長は言った。
そうか
どことなく嬉しそうな声だった。
少なくとも娘のことは誇りに思っていた。――
※
その後、九条は署長を辞した。
すべての汚職を明らかにしての辞任だった。
それは見事な引き際だったという。
俺はそのことを、まことから聞いた。
まことは、誇らしげに語っていた。
万引き常習犯
ゆう