署長室の扉の前だった。

 俺は息をひそめてこう言った。

署長がいるな

どうする?

今日は止める?

いやっ。中に入る

え?

あれだけの大乱闘をやったんだ。ここで引き返したら、あの子ひとりの責任になる

ああ、私たちは偽名だから

でも

たしかに俺は署長と面識がある。学校の中庭で会った。しかし勝算はある

どうするの?

自白させる

えっ!?

署長は近藤さんの自殺を知っていた。だから問い詰める。上層部に告発するという

 俺は決意を胸にそう言った。

 敦子とあん子は、大きくうなずいた。

敦子。スマホのレコーダーで、俺と署長のやりとりを録音してくれ

分かったわ

あん子。念のため、署長のパソコンからデータを抜いてくれ

了解、Wi-Fiで10分よ

よしっ。予定外だが、ここで一気に追い込みをかける。それが、あの子を守ることにもなる

 俺には責任があり、また責任感があった。

 大きく息を吐いて、扉を開いた。

 署長室には、署長と数名の警察官がいた。

 署長は俺の顔を見ると、いきなり言った。

お前は、たしか鬼神学園の生徒だなッ!

自殺の件で会いに来た

ああ、なんだ後にしてくれないか。今、まことが下で暴れてる。それどころじゃない

 署長は、めんどくさそうに言った。

 俺は、まことをかばってこう言った。

大乱闘の原因は俺だ。あの子は、俺がけしかけた

ん?

 署長だけでなく、警察官も首をかしげた。

 俺はかまわず言った。

俺は、署長と話がしたくて留置所に入った。暴動を起こし、その隙にこうやって会うためだ

私と会うために、留置所に入ったのか?

普通には会ってくれないだろう?

まあな

だから入った。そして、たまたま居合わせたあの子をけしかけた。乱暴だが、心の綺麗な子だ。簡単にだますことができた

 俺は精一杯のゲスな笑みでそう言った。

 署長の表情が固まった。

 懸命に感情を隠した顔だった。

 俺の話に、なにか違和を感じたのかもしれない。


 俺は、署長に考える隙を与えないために、たたみかけるように言った。

あなたは、近藤さんの自殺のことを知ってましたよね? 中庭で会ったとき、鷹司と話していましたよね?

………………

どういう約束をしたんですか?

なんのことだ

鷹司は理事長を解任されましたよ。もう、かばう義理もないでしょう

脅しているのかね?

いえ。俺は、ただ、近藤さんの自殺をもみ消したことが許せないんですよ。その件について、鬼神署の署長さんと話がしたいだけですよ

……それは警察のすることじゃない

そうなんですか?

さっ、裁判所に訴えたまえ

 署長は不機嫌な顔で言った。

 それから警察官に向かってこう言った。

彼を門まで送ってあげなさい。それから、『まことを扇動した』と言質をとったから、今回の乱闘騒ぎは、そのように書類を作成しなさい。彼は鬼神学園の生徒だから、身元は学園に問い合わせるといい

はっ

 警察官は、かかとを鳴らした。

 そして俺を見た。

 と、そのときだった。

待てよ

 まことが派手に登場した。

 俺は密かに頭をかかえた。


 彼女は悪気はないし、とても好い子だと思うのだけれども。

 しかし、彼女が張り切れば張り切るほど、どんどん状況が悪くなっている。


 俺は、彼女が好かれと思って行動しているだけに、いっそうやるせない気持ちになった。こんな状況だというのに、不謹慎な笑いすらこみあげてくる。

おいっ、だいたいの話は聞かせてもらったぞ。しかし、なんだその扱いは?

まことっ

そいつは、不正を正すために堂々とやってきた。あたしのこともかばった。なのに鬼神署はどうだ? カッコ悪い署長じゃねえか

なっ、なにを!?

なあ、不正をやってンだろ? オショクとかユチャクとかそういうのやってンだろ? 署長のクセに

んんん! なんだその口の利きかたはッ! おまえの無茶をもみ消すのに、人がどれだけ苦労してると思ってるんだ!!

そんなことァ、頼んじゃいねえ

なっ、なにをバカなことをッ! おまえのやることは、どんどんエスカレートしてる。もう、私がもみ消さないとタダでは済まないんだ。少年刑務所ですごすことになるんだぞ

ああ、かまわねえ。もみ消しとか望んでねえ

父親の好意を無下にするんじゃないッ!

 きっぱりと、署長はたしかにそう言った。

あんたの娘は、それが余計なお世話だって言ってンだ!

 ぴしゃりと、まことはそれを拒絶した。

えっ!?

父親?

あんたの娘?

 俺たちは、しばらく口をぽかんと開けたままでいた。

まこと。いい加減オトナになりなさい。おまえは、かまってほしくて無茶をやっているのだろう? そんなことは、とっくに分かっているんだよ。でも、父さんも母さんも忙しいんだ。いつまでも、おまえにつきっきりというわけにはいかないんだよ

違うっ!

父さんは、おまえが暴れるから忙しいんだぞ。それに、おまえのしあわせのために人脈を広げているんだよ。私がお金と地位を欲するのは、おまえのしあわせを願ってのことなんだよ

あたしは、そんなもん望んじゃいねえ!

 まことは、叩きつけるように言った。

 それから、力なく、神妙な顔をして語りはじめた。

あたしは、かまってほしくて乱暴してンじゃねえ。あたしが署長の娘だからって、特別扱いするがイヤだった。警察は公正でいてほしいんだ。特別扱いすることのおかしさに、気づいてほしかったんだよ

………………

父さんには、カッコイイ父親でいて欲しい。カッコイイままでいて欲しかった。出世とか贅沢な暮らしとかそんなものは、どうでもいい。ほんと、どうでもいいんだよ。……あたしはただ、警察官の父さんが好きなんだ。正義感に満ちた警察官、そんな父さんが好きだったんだ

まこと

なあ、悪いことやってンだろ? あたしの罪をもみ消すこともそうだけど、他にもいろいろ、この人たちに迷惑がかかるようなこともさあ

………………

 署長は、ガックリうなだれた。

 まことは、首をねじむけ俺を見た。

 それから無理に笑ってこう言った。

父さんは、あんたらに迷惑かけてるんだろ? 悪いことしたな

……キミが謝ることじゃない

そうかもしンねえな。ただ、まあ、それも今日で終わる

ん?

普通に通報しなよ。あたしが証人になってもいい。警察組織は腐ってねえから、ちゃんと査察が入って、それで父さんはクビになる

………………

警察をなめるなよ。警察官になるヤツはなあ、もともと正義感の塊なんだ。警察っていうのは、そんな連中が集まってる組織だぞ。悪いヤツは、たまにいるかもしれねえが、組織自体は腐ってねえよ

 まことは、さびしげに笑ってそう言った。

 その澄んだ声が、署長室にいる皆の心に染みいった。

 自然と背筋が伸びた。

 それは署長も同じことだった。

私が電話をする

 署長はそう言って、受話器を取った。

 すっと、もう片方の手を上げて、俺たちを制止した。

あ、もしもし。わたくし鬼神署の署長をしております九条と申します。地元の企業から賄賂を受け取ってしまいまして、その件で電話しました。担当部署につないではいただけないでしょうか?

なにっ!?

ふふっ

………………

はい。はい、たしかに。……ええ、その通りです。はい、分かりました。では、副長に署をまかせ、到着を待ちます。後は指示に従います

!?

………………

………………

先輩のご期待に添えず申し訳ございませんでした。……はい。いえ。……そんなことはありません。ただっ

 署長は、まことをまっすぐに見た。

 それから照れくさそうに背中を向けると、サッパリとした声でこう言った。

娘の前で、かっこつけたかったのです

 署長は受話器を置いた。

 大きく息を吸った。

 それから署長は無感情に、まことに訊いた。

なぜ、その男を助けた

『絶対に仲間は見捨てない』と言ったからだ

 まことは、ぶっきらぼうに言った。

 すると警察官がいっせいに俺を見た。

 それから署長を見た。

 言葉を待った。

 署長は言った。

そうか

 どことなく嬉しそうな声だった。

 少なくとも娘のことは誇りに思っていた。――

 その後、九条は署長を辞した。

 すべての汚職を明らかにしての辞任だった。

 それは見事な引き際だったという。


 俺はそのことを、まことから聞いた。

 まことは、誇らしげに語っていた。

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万引き常習犯
ゆう

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