歩く度に少し軋む木目の床。


どこかおばあちゃん家を彷彿とさせるほんのりお線香のかおる木造の空間。


畳の居間に通される経華。

森加奈子

お茶とコーヒーどちらにします?

織原経華

お構いなく!でも強いて言えば少し胃の調子が悪いので緑茶でお願いします!

しっかりと自己主張してお茶菓子と緑茶をニコニコしながらご馳走になる経華。


加奈子は苦笑いで

森加奈子

どこかお体で気になるところでもあるんですか?

織原経華

はい、実はその左胸…

と言いかけたところで先日のエロマッサージ店での件を思い出し、

いったん口をつぐんで

織原経華

就活で履歴書を書きまくっているせいか、肩こりが多くて困ってます!

と言い直す経華。

森加奈子

そう、大変よね。学生さんは

織原経華

この施術院には他にスタッフはいらっしゃいますか?特に男性とか

森加奈子

いえ、私が一人で自営しています。完全予約制にして私の都合の良い時間で働けているので気は楽かな

織原経華

すごいです!その若さで女性で個人事業主だなんて!憧れます

森加奈子

そう?結構簡単よ。カイロプラクティックは民間療法だから鍼灸や按摩マッサージ、柔術整復師の国家資格とは違って早く安く資格取れるし。あなたもなってみたら?

織原経華

私がですか!?たしかにちょっと整体業には興味がありますけど…不器用なんで絶対無理ですよ!今朝もお皿一枚割ってきたばかりですよ!?

森加奈子

関係ないわ。私も不器用だけど、大事なのは誰かを元気にしたいって思う事。あなたの笑顔にはそんな気遣いが見て取れるわ。初対面の人に言うのもおかしいかもしれないけれどあなたと私ちょっと似ていると思う。他人に自分を晒すの苦手でしょう?



照れたような寂しそうな笑顔を見せる加奈子の言葉に経華は動揺した。


それは鋭く彼女の笑顔の本質を射抜いたからである。


経華は自身の過去のトラウマや病床の父への不安や弱さを見せまいと四六時中笑顔でいるよう心掛けていた。


経華にとって笑顔とはナチュラルな感情ではなく、振る舞いである。


そこを余りに見事に言い当てた加奈子に経華は狼狽して一瞬笑顔を解いてしまった。


それを察してハッとした加奈子との間で数秒違和感のある時間が流れると、ガシャンガシャンとドアをノックする音が鳴る。


加奈子が慌てて玄関に行くと

菅原大吾

よ!わりいわりい、ちょっと遅れた。寂しかった?ウハハハ

馴れ馴れしくて大きく通る男の声。

森加奈子

だからガラス割れるから静かに開いてって言ってるでしょう!?

怒りを露わにする加奈子。


二つの声に昨日今日の付き合いではない親近感があった。


しばらくして大声の主、菅原大吾が入ってきた。


イメージ通り狭い天井に届きそうな190センチの大柄で、

縦にも横にも大きいラスボス感が漂っていた。


加奈子は眉をしかめながら菅原の広い背中から施術検査を始めた。

菅原大吾

きみ誰?カナちゃん、新しい弟子でも雇ったの?独りが寂しいんなら俺が住み込みで居てやるよ

森加奈子

そんなわけないでしょ。彼女は織原さんといって通りすがりの

加奈子は実に曖昧で奇妙な訪問者である経華の説明に困った。


どこかの女性みたいに気軽に
『お友達なの』
『患者さんよ』
など適当な事は言えないタイプの女性だからだ。


それを熟知している口が達者な大男は

菅原大吾

あっそう。じゃあ織原さん。悪いけどここは大人の男女の空気を読んでこのまま帰るか、俺の順番待ちで今日ここで初診の施術を受けるかの二択でお願いできるかな?

織原経華

そういう事でしたか!すいません、空気読むのが苦手でして。ではお邪魔虫の私は本当にこの辺で

森加奈子

ちょっと、誤解を招くような事言わないでくれる?

菅原大吾

あマジ?てっきりモリカナちゃんのやさしいけど鋭い言動に濃い女の愛を感じてたんだけどな、俺サイドは。ウハハハ!

そう言って菅原はシレッとベッドにうつ伏せになっていた。

森加奈子

ちょっと、鏡の前での検査が先だって何百回言えばわかるの?

菅原大吾

悪い。この後ちょっと寄らないと行けないとこ出来ちゃってね。ちゃちゃっと巻きでお願いします。ウハハハ

森加奈子

勝手な人。織原さんはどうする?カイロのこと知りたいなら見学してもいいわよ?この大男が悪さしないように見張ってて欲しい気もしてきたし

織原経華

たしかに!私も似たような経験あるからわかります

えっ?という顔で大人二人に見られる経華。

織原経華

いや、そのなんていうか…一応自分としては社会勉強になったかなとは思っているんですけれどもね

経華は抑えきれなくなって先日の就活先を間違えてエロマッサージ店で起きた一件の経緯を話した。


加奈子と菅原は腹を抱えて爆笑した。

菅原大吾

いやあ、イケてるよ織原さん!探してる男って小暮選手の事だろ?昼にギャンブルやって、夜だけちょこっとカイロ整体する感じ悪い猫背の色男

織原経華

知ってるんですか!?

菅原大吾

まあ、知らない仲じゃないよな。あと実はこう見えて俺ってそれなりにここらじゃ顔効くからさ。面白そうな話は自然と耳に入ってくるわけよ。この下世話な下町じゃホットな話題だよ、君と彼。二枚目の整体博打打ちを追ってやってきた謎の色白巨乳美女なんてもう想像しただけで涎出るよね、実際

織原経華

そんな大事件になってるんですか!?美女って誰ですか?

菅原大吾

誰って織原さんに決まってるでしょ。よ、色女!ウハハハ

経華は頬を赤らめ、モジモジし始めた。


菅原の悪乗りがエスカレートし始める前に加奈子が話を進める。

森加奈子

どうして小暮君を探してるの?何かいたずらされた?お金?体?それとも土地の権利書とか?

織原経華

ち、ちがいます!全然そういうのじゃないんです。ていうか、そんなに小暮さんって悪い人なんですか!?

森加奈子

さあね、冗談だといいわね

加奈子はいたずらっぽく笑って言った。

森加奈子

昔この仕事で同期のカイロプラクターがいてね。安田粧子先生っていうんだけど、彼女の紹介で彼も資格を取って、出張施術専門で営業してるの

菅原は安田粧子という単語に一瞬眉を引きつらせた。

加奈子はその変化を察して少し黙るが、

経華はそのやりとりに気づかず話に食いつく。

織原経華

けっこうたくさんいらっしゃるんですね、カイロプテクターの先生方たち。そのわりに正直あんまり聞かないですよね。デカデカと看板飾ってるのって朝草じゃここぐらいしかありませんでしたし

森加奈子

カ・イ・ロ・プ・ラ・ク・ター。あと正確にはここは向島ね。隅田川を挟んであちら側が台東区浅草、こっち側が墨田区向島。まあ、外の人たちにとってはどうでもいい事だとは思うけど

織原経華

出張専門っていうことはここみたいにお店はないんですか?

森加奈子

復唱になるけどカイロプラクティックは民間療法なの。按摩マッサージ、鍼灸や柔術整復師みたいに国家資格じゃないから基本的に営業形態は自由。屋号を名乗って、ちゃんと青色申告してれば問題ないわ

菅原大吾

まあ収入の殆どはカイロじゃなくてギャンブルだと思うけどね、小暮選手の場合は。ウハハハ!

織原経華

なるほどだから探しても見つからなかったわけだ~。そういう経営の仕方もあるんですね。でも国家資格じゃないってことは保険も効かないって事ですよね?たしか父が通っていた時にそういう事言ってた気が…

菅原大吾

良いトコ気づくね!美人な上に頭の回転が良い、と!



菅原の適当な相槌にモジモジし始める経華。


経華は昔から元気だけど掴めない性格を叩かれるいじられキャラが強すぎて、

本来の端麗な顔立ちはあまりスポットライトが浴びられなかった。


それが今後、

このクレバーな大人たちによって大きく変化していく事になるとは本人の知る由もなかった。


続く

プレッツェル・ロジック その2

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