穂波さま

なぜじゃ……わらわの棚田が……

いや、むしろ理由が分からない時点でダメダメかと

山の神さま

あはははは……

 神域からまた場所が変わり、元の棚田へ。

 すっかり夜も更けていたが、ほのかに光る桜の花のおかげで、棚田の全貌はよく見えていた。

穂波さま

おかしいじゃろ、もう田起こししておらねばならんのに、まだ冬草が生えておるなんて……

山の神さま

そうね、そうね

穂波さま

一体なにがあったのじゃ

山の神さま

えっとね、よく聞いてね聞いてね。
あなたを信仰し続けてくれていた一族は、この山から離れていったの

穂波さま

……なん、じゃと

確か……十年前でしたっけ

 当時の新聞を調べた知識を、話の流れに載せる。

山の神さま

あらあら、よく調べているのねいるのね

当時の家長が死んで、息子が棚田を継がずにそのまま放置になったとか

 それにしては、棚田の保存状態はいい。きっと近隣の誰かが棚田を手入れしているのだろう。

山の神さま

そうなの。人の心が離れていくことは仕方の無いことなのだけど、土地を守る者が居なくなったのは、私も少し気が落ちたわ、落ちたわ

仕方ないと思いますけどね……。神さまがこれだし

穂波さま

何を言いたいのじゃ!

山の神さま

ええ、しょうがないわないわ

穂波さま

ええい、それよりもなぜわらわに言わなかったのじゃ!

山の神さま

言ってもどうにもなる話でもないし、変に気落ちして、あなたの命が減っても私がいやだと思ったから思ったから

死ぬんですか?

山の神さま

信心を失い、土地を失い、この子の象徴が作られなくなった今、いずれ待つのは死なの、死なの

穂波さま

そうか、わらわは、死ぬのか

山の神さま

もちろん、私もできるだけがんばったのだけど、そろそろ、限界が近づいているのいるの

限界?

山の神さま

ええ、最近は元から湧いてくる力では足りなくなってきてきて

ああ、だから神域からでて、信仰を集めるようなことを

山の神さま

そうなの。でも……もう限界。明らかにこの子から、力が漏れ出してる

穂波さま

それはそうじゃろうな。象徴がない神など、寄辺のない想像のカタマリ。力は霧散していくだけじゃろうて

ああ、つまり、穂波さまの具体的なイメージの元が、稲穂だったと

山の神さま

そういうことそういうこと

なんというか、神さまの世界も大変なんですね

山の神さま

あら、わかってくれたくれた?

面倒と言うことはすごく

山の神さま

だよねだよね

穂波さま

……死の宣告をされたわらわの心情も読み取ってはくれぬか

 ジト目で穂波さまがこっちを見ている。

山の神さま

あ、穂波ちゃんごめんねごめんね

山の神さま

それでね、それでね。あなたにお願いしたいことがあるの

 穂波さまに謝った山の神さまは、僕の方に向き直り、そして言った。

山の神さま

この子を捕まえてくれないかな、かな

 現代の日本には、「神付き」という役職がある。

 神さまを呼び出せるようになった現代では、様々な神さまが召喚された。

 神というよりも妖魔と呼べそうなモノやら、全く見たことがない神さままで。

 しかし、召喚された神さまは、この世界に長くは留まれなかった。

 この世界に神さまの形を保つには、常に神さまのイメージをする必要があったためだ。

 もともと、信心が弱いこの現世。信じる者が少ない小さな神さまがこの世に留まれるはずもない。

 神付きは、そんな神さまのお付きとして、神さまの形を保ち、神さまの寄辺となる者。

 願いを叶えて貰うことを代償に、この世に神さまを繋げる存在。

 つまりは、現代版の巫である。

つまり、僕が穂波さまの神付きになって、当面の間、穂波さまの形をとどめてほしいと

 ところ変わって、また古民家の神域。今回は全員で囲炉裏を囲む。

山の神さま

そういうこと、そういうこと

穂波さま

わらわはいやじゃ!

 ふん、と頑なな態度の穂波さま。

山の神さま

穂波ちゃん、わがまま言わないで言わないで

穂波さま

わがままなものか!
ただの命ほしさでわらわが小僧に捕まるなど、天狐の沽券に関わるのじゃ!

無駄にプライドが高いですね……

山の神さま

もう、穂波ちゃんたらたら

穂波さま

いやなものは、いやなのじゃ!

 ばんばんばん、と子供のように床を叩く穂波さま。力をなくしているせいなのか、幼児退行しているのだろうか。

肝心の穂波さまがこう言ってますが。ちなみに、僕はどちらでもいいんで

 確かに神さまを捕まえて帰るのが部長に課せられた春休みの宿題だが、正直いうと面倒なことになりそうなので捕まらなくてもいい。

山の神さま

ううーん、でも、捕まって貰わないと困るの困るの

そうなんですか?

山の神さま

ええ、わたしだと、この子は救えないから

……?

山の神さま

こっちの話、こっちの話

穂波さま

……だとしてもじゃ。だいたいこやつだけでわらわの形を維持できるどうかなど

山の神さま

さっき、力あげたでしょ濃かったでしょ?

穂波さま

それがどうしたのじゃ。確かにいつもより濃かったきもするが

山の神さま

それ、あなたが小僧って言ってるその子の力

穂波さま

……まじ?

山の神さま

まじまじ

穂波さま

そ、それでもじゃ!

 これじゃ、話は平行線だ。

あ、そうだ

 僕は背中のリックサックから、一つの袋を取り出し、紙皿に中身を出す。

これ、お供え物です

 僕が持ってきた神饌、といっても、何の変哲も無い、僕が作ったクッキーだ。

穂波さま

なんじゃこれは

山の神さま

これは、小麦粉と乳脂と砂糖で作ったそとうみのお菓子ね

穂波さま

ほう、菓子か

 差し出した紙の皿にのったクッキーを一つ、穂波さまが手に取り、山の神さまが手に取り、さく、と一口食べる。

 さく、ともう一口。

 さくさく、と一つが口の中に消える。

 今度は両手につかむ。

 さくさくさくさくさくさく、もぐもぐもぐもぐもぐ。

 がっ、とつかみ出す。

 すごい勢いで減っていくクッキー。

 そして、最後の一枚になり、穂波さまと山の神さまがにらみ合う。

穂波さま

……わらわは力がなくなっていると言ったのは、おぬしではないか

山の神さま

それは、これ。これはこれだよだよ

な、なにがどうしたんですか?

山の神さま

えっとね、あなた、巫としての才能があることがわかったのわかったの

穂波さま

うむ、まさかまさか

 ひょいぱく、と山の神さまが話している隙に最後のクッキーが穂波さまの口の中に消えた。

山の神さま

ああっ! ひどい!

 ごくん、とクッキーが胃の中に収まり、穂波さまは満足げな顔で僕を見て、こう言った。

穂波さま

お主の才能、それは……最高の神饌を作る能力じゃ!

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