よろよろ歩きのわたしをちゃんと引きながら、理愛ちゃんはとある机の前で、ぴたっと足を止める。
よろよろ歩きのわたしをちゃんと引きながら、理愛ちゃんはとある机の前で、ぴたっと足を止める。
ちょっとだけ硬い表情をしながら、小さな息を理愛ちゃんは吐いた。
(緊張してるのかな)
息を吐いて、理愛ちゃんは普段通りの――いつものピシッとした、カッコいい理愛ちゃんの――顔になって、机の奥に座る人へと話しかけた。
あの、サークル『ゆる糖』はこちらでしょうか
はい、そうですが
この度、アンソロジーに寄稿させていただいた、『アイリ』と申しますが……
あぁ、アイリさん!
来てくれたんですね!
(アイリ……理愛ちゃん、ありり……?)
知らない名前を名乗っているのに、理愛ちゃんはアイリって呼ばれて、わたしの頭はぐちゃぐちゃに。
(あ、ハンドルネームみたいなものなのかな?)
一人うんうん考えている間にも、二人の話は進んでいく。
わたし、サークル代表の『夢見 ハツ』です!
アイリさん、来てくれて嬉しいです
夢見さん、お会いできて嬉しいです!
今回は誘っていただけて、まるで夢みたいでした!
理愛ちゃんの元気な声は、いつものちょっとクールな優しい声とは違って、元気がこもった熱っぽいものだった。
その後も二人はなにやら話し合っていて、首を傾けながらうんうんって頷いている。
アイリさんの文章、わたし好きなんですよ。
失礼だけれど、まだお若いのにこんなに書けるの、驚いちゃう
そ、そんな……やめてください。
わたし、夢見さんの文章が大好きで、この作品に出会ってすぐの頃から、ずっと読んでいるんです
て、照れますね……
作品みたいな人ですね、アイリさん
(文章……書けちゃう。
理愛ちゃん、恋文?)
でも、メールやMELUS(メルス)でのやりとりなら、偽名? の意味がわからないし。
今日、来てくれて嬉しいです。
ほら、難しくなったって言ってたじゃないですか
え、ええ……そう、だったんですけれど
歯切れの悪い理愛ちゃんの言葉。
来てくれて、嬉しかった。
本当にごめんなさいね。
想った以上に、編集作業が大変で
いえ。
むしろ、わたしは夢見さんのお手伝いがなにもできなくて、すみません
アイリさんが謝ることじゃないですよ!
むしろ、締め切りを早くしてしまったのに、良い作品を書いてもらって……本当、ありがたくて申し訳ないくらいです
夢見さん……ありがとうございます
(……わたしのために行かなくなった用事も、こういったイベントのことだったのかな)
考えていると、ちらり、と机の奥の女の人がわたしを見る。
こ、こんにちは!
急いで挨拶をすると、優しい笑みを返してくれた。
こんにちは。
こういう会場、始めてですか?
はい!
ぜんぜん見たことなくて、みなさん元気で、驚いています!
……もしかして、説明していないのかしら?
女の人がささやくように理愛ちゃんへ言った言葉が、わたしの耳にも入っちゃう。
うぅ、ただ耳が良いだけなんだけれど、罪悪感が。
……これから、します
それはまた……大変だろうけれど
ご心配、すみません。
ありがとうございます
小さく頭を下げる理愛ちゃんに、わたしは顔を下げる。
(……理愛ちゃんがわたしに言えなかったのは、この人達とのことなのかな)
わたしの知らない、大人の人との世界。
年齢や服装や髪型やメイクや行動まで、わたしの見る限りはみんなバラバラに見える。
事情がわからないわたしは、さっきから驚きっぱなし。
でも、そのなかでも理愛ちゃんは、まっすぐに歩いている。
慣れているのかもしれないけれど、学校とは違う世界のなかでも、自分を持ってちゃんと話しているように見える。
(なんだ……ぜんぜん、いつもの理愛ちゃんみたいだよね)
理愛ちゃんが見せたくなかった理由は、わからないけれど。
それは、今からしっかり聞きたいと想う。
お疲れで~す、あれこの子は?
アイリさん。
今日、来れるようになったらしくて
えっ!?
アイリさん、すごく若くない!?
もしかして、蕾、開花前、JKってやつ!?
西さん、鼻息抑えなよ……荒ぶっても返ってはこないよ
いやだって、あの文章を書いてるって考えるとさぁ……あぁ、アタシももう一度やりなおしたいわ~
やりなおしても文章は変わらんだろ
……あ、あの、西さんですか。
アイリと申します
初めまして!
サークル『西住みかん』の西です、よろしくね!
(……いろいろな人が、理愛ちゃんを知ってるんだなぁ)
声をかけて親しげなのに、理愛ちゃんを呼ぶ名前がアイリなのが、ちょっと不思議な感じ。
(理愛ちゃん、嬉しそう。
ほめられてるし、やっぱりスゴイね)
そうこうしている内に、理愛ちゃんと机の人の話に、もう何人か集まってきていた。
挨拶はしているけれど、ちょっと不思議。名前を言えば、まるで顔見知りみたいに話が弾んでいる。
(あのなかの誰かが、マコトくんなのかな……?)
わたしは、でも、それは違うんだろうなってなんとなく感じ始めていた。
たぶん、だけれど――理愛ちゃんは、マコトくんを紹介するためとか、そういうことでわたしをここに連れてきてくれたんじゃないんだと想う。
(じゃあ、なんだろう……)
横でぼんやりと見ているわたしは、少しずつ机から通路側へと後退。
なぜなら、理愛ちゃんみたいに机の前で挨拶をする人達が、ちょっとずつ増えてお話をしているから。
そのなかに混じって、理愛ちゃんも楽しそうに話をしている。
気づくとわたしは、一人できょろきょろするばかり。
(うぅぅ、どうしよう~)
周りを見ていたら――突然、周囲の空気が変わった。
なんだか、みんな落ち着かなくて、ざわざわしているなぁ……。
『ねえ、あのサークルさんようやく来たらしいよ!』
?
『急いでいかないと!
コピー誌だから、再販もないでしょ!?』
なんかぞろぞろ動きが……
『急ごう!
確か、こことは逆の方だよね』
わ、えっ……!?
周囲の流れが急に変わり、その勢いにわたしは想わずバランスを崩して倒れてしまう。
お尻に対して、どすん! って感じの痛みが少し。
い、いたた……
想わず言ってしまったけれど、残るほどの痛みじゃなかった。ただ、ぜんぜん予想してなかったから、ビックリした想いの方が強い。
舞ちゃん、大丈夫!?
振り返れば、心配そうな理愛ちゃんの表情。
うん。
驚いたけど、全然大丈夫だよ
元気にガッツポーズをとるわたし。
だけれど、理愛ちゃんの顔は暗いまま。
わたし、また舞ちゃんに同じことを……ごめんなさい
へ?
なんで、理愛ちゃんが謝るの
謝られる意味がわからなくて、逆にわたしが心配そうに理愛ちゃんへ聞く。
なぜなら、理愛ちゃんの顔がさっきの楽しそうな華やかさから……この間の、とっても辛そうな顔に逆戻りしていたから。
理愛ちゃん、そんな顔しないで……。
さっきまでの、楽しそうな顔に、戻ってほしいよ
うん……ありがとう、舞ちゃん
わたしの言葉に、理愛ちゃんは少しだけ顔に明るさを取り戻した。
少し、人のいない場所へ行きましょうか
う、うん。
でも、いいの?
ちょっと待っていてね
理愛ちゃんはさっきの机の人へ声をかけ、頭を下げてわたしの元へすぐ戻ってきた。
お話、もういいの?
ずっと挨拶していても、邪魔になっちゃうから。
ごめんね
あ、あと。
みんなどこかへ集まっているけれど……それはいいのかな?
周囲のざわめきは、どうも一カ所に集まっているようだった。
規則正しく、でもどこかぎゅうっと詰まったような人並みは、バーゲンセールの時の勢いを想い出しちゃう。それよりは、ぜんぜんキレイな並びだけれど。
ちらり、とそちらへ視線を向けてから、理愛ちゃんは言った。
そうね。
ただ、あのサークルさんはカイくん×マコトくんだから
……?
ぜんぜんわからなかったので、首を傾げるわたし。
否定する気はないけど、マコトくんはアタックが似合うと想うの。
防戦一方より、相手のスキを突くスタイルがいいと想うのね。
あっ、受けにまわっている時の苦しそうな表情もいいのよ。
その時はわたしも苦しいし、辛いけれど、その後のことを考えたらって願えるじゃない?
そう、そうやって弱りきって悲壮な表情をしたマコトくんに、相手が浮かべる勝ち誇った笑み――でもそれに対して、一瞬の反撃を用いて相手を驚愕させ、勝利を得るマコトくんの笑顔が――!
ちょ、ちょちょちょちょちょ!?
理愛ちゃん眼が怖いよ!? テストの時だってそんなに真剣じゃなくない!?
あ、ごめんなさい。
つい、会場にいるから
(会場パワー、すごい! 怖い!)
冷静になった理愛ちゃんに、わたしは気になって聞いた。
あれ、でも……マコトくんって、理愛ちゃんが気になる人じゃないの
そうなんだけれど……わたし、マコトくんの憂いをおびた表情からの、逆転劇が好きだから
う~ん???
もちろんカップリングを否定する気はないし、あのサークルさんもステキだから、機会があれば読んでみたいんだけれどね
首をひねるわたしに対して、理愛ちゃんは手を差し出す。
ごめんね、一人にしちゃって。
今日は、舞ちゃんと一緒にいるって、決めてたのに
細くキレイで、わたしが頼もしいと想う、理愛ちゃんの腕。
そこには、普段は見慣れない、ぎっしりと本や小物が詰まったトートバッグがかけられているけれど。
(……いいや。
理愛ちゃんがいいなら、聞くのはやめておこう)
わたしは、理愛ちゃんの嬉しそうな顔が見れたら、嬉しいよ
そっと、その憧れの手に、自分の手を重ねた。
じゃあ、会場から出ましょうか
両手、重くない?
片方持つよ
大丈夫よ。
心配してくれて、ありがとう
そのトートバッグ……大丈夫なの?
理愛ちゃんの細腕は、明らかに少しへこんでいるように見えるけれど。
これ、案外丈夫なのよ。
それに今日のために強度確認はしてきているから
理愛ちゃんなにと戦っているの
むしろ、理愛ちゃんの腕の方が気になる。
……もしかしなくても、わたしの手を引くために、無理をしているんだと想える。
手を引かれて歩いて、数分後。
……舞、ちゃん
辛くなったらいつでも言って、理愛ちゃん一人じゃないから!
振り絞ったような理愛ちゃんの声に、間髪入れず答えを返す。
わたしの言葉に、理愛ちゃんは申し訳なさそうに微笑んで、腕先のトートバッグを手渡してくれた。
瞬間。
うっ……!?
両腕で持っているのに、わたしの身体がちょっと揺れる。
舞ちゃん大丈夫?
大変なら、私が持つから
だ、大丈夫! さ、早く行こう!
震える声でわたしは理愛ちゃんに言いながら、心のなかで想っていた。
(理愛ちゃんの体育の成績が良かったのって、こういうので体力つけてたからかなぁ)
わたしのより膨らんでいるトートバッグを持っているはずなのに、軽々と歩いていく理愛ちゃん。
感心しながら、その背中についていくのが精いっぱい。
が、がんばる……!
ぷるぷるする腕、もうちょっと持って……!
――そんなこんなで、わたしと理愛ちゃんは、不思議な会場を後にしたのだった。