第十五話 それは25年前の話 (中編)

それからしばらくの間、騒がしくはあったが穏やかな毎日が続いた。

夜子は引き続き後継者選びに悩んでいたし、志摩さんは元気すぎるほど元気だった。

私は彼らの茶飲み友達として
気楽な立場で渋澤家に関わりながら、
吸血鬼の友人たちと交友を深めたり、新しい恋人を作ったりして遊び暮らしていた。

でももしかすると、松彦はある程度自分の体に何らかの予兆を感じていたのではないだろうか。

忘れもしない、1989年3月13日。

松彦が、大学で倒れた。

松彦!!

松彦さん!

……ああ、ジル……おや、種村少年も来てくれたのか

ちょっーと待った

ん?

大変申し訳ないんだけどもこれはスルーできない。
これ誰?

俺だよ

種村弁護士!

おー悪いな、
玄関開いてたんで入らせてもらった。

俺も一緒に話を聞かせてもら……
……何だよ

いや、いやいやいやいやいやいや

いやいやいやいやいや

無い、無いでしょ。ここからこうなるのは無いでしょ。
どんな人生の辛酸を舐めたらこの顔からその顔になるんだよ

ここから

こう

バーカよーく見てみろ。
ほんのりたれ目が同じだろうが

え? えー? えーーーー

えーーーーーーーー

あの頃の聖は本当に天使のようだったねえ

今だってある意味、俺みたいのが四大天使にいるかもしれないぞ。
適当天使とかそんなんで

堕天審議中っすか……

from 破壊天使と消したい私の黒歴史/(c)すずろ
新連載絶賛スタート!

ま、俺のこたもういいだろ。ジル、話を戻そうぜ。

そうだな、あの時の松彦の顔は、今もはっきり覚えている。

私たちが病院に駆け付けたのは夜だったから、たまたま夜子も志摩さんもいなくてね。

松彦は一人で窓の外の月をぼんやり見つめて、どこか悟ったように弱弱しく微笑んでいたっけ。

心配かけてすまないなあ……。今は、大したことはないんだが……

大丈夫なのか!?

ああ、軽い貧血みたいなものだ

貧血って、まさかジル、噛んだんじゃないだろうな!

私が噛むわけあるか。
まさかハイネか!? あいつ老け専だからな

あいつ老け専なの!?

相変わらずだなお前たちは。
俺のは単なる病気だよ

……医者は何と?

…ああ、いや……まだ診断は出ていない

そう言いながら、松彦は遠い目をした。私は、何となくだが、
松彦は答えを知っているんじゃないかと思った。

なあ、ジル

なんだね

吸血鬼って……

うん?

ああ、いや、ごめん。
なんでもないよ

…………?

松彦が言いかけた言葉を、この時私がもっと追及していれば、その後の顛末は違っていたかもしれない。

これが、最初の私の過ちだ。

それから数カ月、松彦は入退院を繰り返した。

腹痛だったり、発熱だったり、貧血だったり。
免疫の低下ですよ。
志摩さんときたら、仕事にばかりウツツを抜かして
ちゃんと松彦の管理が出来ていないのよ。

お義母サマがうちのダンナにストレスを与えすぎなのよ。
胃潰瘍よ、胃潰瘍。
あたしだって、最近はすごく具合が悪くて、吐いたりしてるんだから。
お義母サマにかかわると、みんなそーなるのよ。
ねえジルおじさま、そー思いません??

二人の女性のグチは、さらにエスカレートしていった。

そして、9月。
月光館に、ふらりと松彦が現れた。

ジル、今、一人か?

ああ、今日はハイネたちとゲーセンに行って、ファイナルファイトの対戦をする予定だが……

今日だけ、時間もらえないか

ただならぬ様子に、俺はポケベルでハイネに行けないと伝えた。
(もちろん送信したのは1871だ)

……実はな……

松彦はすっかり痩せ、顔色が悪かった。

志摩に子供ができたんだ

!!!

……3カ月だそうだ

…お、おおおお、おめでとう!!
何だ暗い顔をして、びっくりさせるな。
何か深刻な話かと思ったら、めでたいじゃないか!!

ああ……

良かった。良かったな!!

ああ。本当に……

……!

……良かった……の、かな……

どうした、松彦。何を泣いている……

……医者に……
余命を宣告された

――誰が

――俺が

……そんな……

癌なんだ。
…一年もたないらしい

……ばっ

……まだ、志摩にも、
母にも言っていない……
どうしたらいいか解らないんだ。

……バカな……

私は、やり場の無い怒りがこみ上げていた。

私は身近な人間を、何人も見送っている。


人間に訪れる死はしばしば、ひどく理不尽で。

どうしてよりによってこのタイミングで、と神に問いたくなる場面が、たくさんあった。

それにしても、それにしてもだ。

これは無い。

こんなのはありえない。
何故、神は松彦を召すのだ。
何故、今なのだ。

頭を抱え、言葉を失っていた私に、
松彦が意を決したように囁いた。

……ジル、俺を……
吸血鬼にしてくれないだろうか

まるで雷に打たれたように、私は動けなくなった。

吸血鬼になれば、ここにいられる。
志摩のそばにも、
生まれてくる息子のそばにも。

……待て

ジル、お願いだ

待て。…待ちなさい、松彦。落ち着くんだ。
そんなことより前に、考えるべきことはいくらでもあるだろう。
人間は英知の塊だ。医療も急激に進んでいる。
昔は不治の病と言われた病気を、どれだけ人間は克服している?
お前の病気だってそうだ、きっと治る。
まだあきらめるな、きっと……!!

ジル……ありがとう

その微笑みに、
松彦には本当に時間が無いのだと、私は悟った。

……でも多分、俺にはこの方法しか無い

…………

私は、この時ほど神を呪ったことは無い。

……すまない、松彦。
すぐには答えられない。
考えさせてくれ。

私は、即答できなかった。
確固たる答えがあるというのに、それを即座に松彦に伝えることが出来なかった。

何百年も生きているというのに、
私は、迷ったのだ。

これが、私の二つ目のあやまちだ。

完全体の吸血鬼になるのと、吸血鬼のとりこになるのとでは、ワケが違う。

ドラキュラという映画があるだろう。あれを思い浮かべてほしい。

吸血鬼に噛まれ、牙が伸び始める美女ルーシー。
だが、あれは間違っている。

少し吸っただけでは、人間は吸血鬼化しない。
ただ、精神的にとりこになるだけだ。

吸血鬼の完全体になるためには、

人間は一度死なねばならない。

そう、人間としての死を必ず通過しなければならないのだ。

私は、吸血鬼といえども、
生物学とは無縁ではないと思っている。

仕組みはどうあれ、
人間とは違う細胞を持ち、
人間とは違うエネルギーで動いている、
ひとつの生命体に変わりないと思うのだ。

あるいは、
人間の死体を使った寄生生物なのかもしれぬ。

だから、人間として死ぬ時には、大きなリスクを生じる。


死んでしまったその人間が、
100%吸血鬼として蘇るかどうかは保障できない。


よしんば首尾よく蘇ることができたとしても、
目を覚ますまでに時間がかかればかかるほど、
再利用する脳へのダメージは大きくなる。

蘇生に時間がかかった吸血鬼がどうなるか……
君たち現代人ならなんとなく察しがつくだろう。

もしかすると、
君たちがゾンビと呼んでいるモンスターは、
出来そこないの吸血鬼がモデルではないかと、
私は思っている。

そんなリスクを、息子のように思ってきた松彦に課すことができるのか。

どう考えたって、答えはノーだ。


だが、万が一成功したとしたら?
それは、松彦の幸せになりうるのか?

私は、ここで最も大きな愚を犯した。

吸血鬼としてよみがえることが、
本当に幸せなのだろうかと、
彼に尋ねてしまったのだ。

……え?

かつて私がホストになって「よみがえらせた」存在であるハイネは、私の迷いを聞いて、
ひどく嬉しそうに笑った。

なになに?
誰か仲間にするの??

第十五話 それは25年前の話 (中編)

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