第14話  それは25年前の話 (前編)

25年前に何があったかを話し始める前に、
アマネの父親である松彦という男が、
どういう人間だったかを
説明しなければいけないかもしれない。

一言で言えば、彼は夜子の息子とは思えぬほど、のんびりして野心のない男だった。
いつだったか、夜子とこんな話をしたことがある……

あれはもう、夜子が60を超えた頃のことだ。


あの頃の夜子は、そろそろ、自分の激動の人生を清算しようと考えていたふしがある。

もっと簡単に言うと、後継者選びをしていたんだね。

夜子は子供を得たのがとても遅かったから

(君たちのお爺さんは、戦争から帰ってきてようやく夜子と正式な夫婦になったのだ。
だから、当時としてはひどく遅い出産だったのだよ)

子供たちをちょっと過保護に育てすぎている傾向があってね。


跡継ぎを選ぶ段になって、自分の失敗に気づいたのだろう。

私に、よくグチをこぼすようになっていた。

松彦が私の会社をやめてしまったのは知ってるでしょう

ああ、本人からそんなことを聞いたね。
大学の研究室に戻って、
社会学の先生をやるんだろう

ただの講師よ。
助教授ですらない。
35にもなって、学生みたいなものよ。
全く、恥ずかしいったら……

でも、松彦、とても楽しそうだったよ。
あんないきいきした顔、久しぶりに見たな。

私の会社で働くことがそんなにストレスだったとでも?

……まあ……その……
うん……。

まあ、そうよね。
跡継ぎとして会社に入れたはいいけど、失敗に次ぐ失敗、
あの子にとってもストレスだったと思うわ。
だから、しばらくの間は好きにさせてあげようと思っていたの。

それなのにあなた、あのバカ息子、
昨日いきなり嫁を連れてきたのよ

ヨメ!?

そう、嫁よ!!

良かったじゃないか!
きみは早く松彦を結婚させようとして、何十回も見合いを……

そうよ。良家のお嬢さんたちと何十回見合いをさせても断り続けてきたくせに、
うちのバカ息子ときたら、大学生の小娘を嫁だと言ってひょっこり連れてきたのよ!!

相手は学生か。
そりゃまた思い切ったなあ

若い娘が好きなら早く言ってくれればいいじゃない!!

いや、若いからだけじゃないだろうけどねえ…

私は納得いきませんよ。
渋澤家の嫡男なら、結婚にもそれ相当の意味がある。
それをあんな何の変哲もない娘と結婚だなんて!

うーん……夜子、
私しか君に進言しないと思うから言うけどね

まさにそこなんじゃないかと思うんだよなあ……

何が?

松彦がその娘さんを選んだ理由だよ

ええ?

渋澤家の嫡男としてではない、全く意味のない、なんの変哲もない相手と結ばれたかったんじゃないかなあ

…………

彼がそういう生き方を選ぼうとしていること、夜子だって気づいているんだろう?

……まあ、そう…ね……

日美子ちゃんが君の右腕になれるようにってあんなに頑張っているのだし、
もう松彦にこだわらないで、彼を解放してあげたほうがいいんじゃないかねえ

……私だって……母親ですからね。
最終的には、そうなってもいいかもしれないって、どこかで思ってはいるんですよ

そう!

ただね、松彦がそのつもりでも、あの嫁はそのつもりじゃないかもしれないでしょう?

え……?

…偶然好きになった人が大金持ちの御曹司だった、っていう顔ではなかったのよ、あの娘……。
分っていたから、近づいた、っていうのか……
……あたしの考えすぎならいいんですけどね……

その後、のん気者にしては早いスピードで、志摩さんと松彦は結婚した。
松彦は私のことを叔父のように慕ってくれていたから、
志摩さんとも会わせたいと言ってきた。

ついては、私が吸血鬼であることを志摩さんに伝えてもいいかと、
松彦は真剣に頼んできた。


松彦にとって、
志摩さんという人はそれだけ信用できる人なのだなと、
私は素直に喜んだものだ。

あなたがジルさんなんですね。
思ったよりフツーでびっくりしちゃいました!!

志摩さんという人は――

何というか、そうだな。
初めて会った時から、あくの強さを感じたよ。

彼女が渋澤家の嫁になりたくて松彦に近づいたんだろうなということも、何となく分った。

でも、そうだとしても彼女は魅力的な女性だった。

結婚してから5年間、志摩さんと松彦の間には子供が出来なかった。

その間、志摩さんは夜子の会社の経営にぐいぐい入り込んでいった。

夜子はあからさまに彼女をただの社員として雑用扱いしたけど、
そこからめきめきと頭角を現すだけのパワーが、彼女にはあったんだ。

お義母様、今度の●●リゾートの買収はおやめになったほうがよろしいかと思います

あなたごときが何を言ってるの。これは役員会で承認されたことですよ

その役員会の皆さまのほとんどが、相手側から賄賂をお受けになっていることをご存じですか

……何ですって

先日、役員の皆さま全員が同じ期間にご出張を申請されました。

皆さま違う地域に向けて航空券を取られましたが、そこから乗り継ぎをして全員●●リゾートホテルに向かわれたことが確認できております。

我が社の役員全員が一同に会されたご様子なのに、リゾートホテルの宿泊費、飲食費などを経理部に請求した方はどなたもおられません。

何が言いたいの?

もちろん、皆さまが仲良しこよしで、プライベートで遊びに行ったということも考えられます。

でもわざわざ北海道や沖縄に一度出向く必要はないはずです。

ということは、表向きにはできない集まりがあったということ。しかもお義母様抜きで集まる必要があった。

……そういうことだわね。
でも、その会議とやらが今回の買収と絡んでいるという証拠は?

秘密の会議の翌日、皆さまが●●リゾート所有のゴルフコンペに参加されていること、そこで多額の「賞金」が払われていること、
役員の奥様方が全員「●●リゾートの懸賞プレゼント」に当選されてヨーロッパにご旅行に行かれていること、
他にも疑わしい事例がやまほどありますが全部言いますか?

…………続けてちょうだい

あのリゾート会社が子会社との連結決済を巧みに使い、表向きだけの黒字を作っていることも突き止めております。

実際は大赤字を抱えた、超ブラック物件です。買収すれば、我が社の大きな損失になり、ひいては代表取締役であるお義母様の責任問題にもなりかねません!!

……あなただけではそこまで調べられないわね。誰のリークなの

ご注進は××部長からいただきました

なるほど、役員全員が失脚すれば、××は専務候補だわね……

お義母様をご心配されてのことです

…ふん、今回は認めましょう。
でも志摩さん、二度と出過ぎた真似はしないと誓いなさい。いいわね?

はい!もちろんです、お義母様!

社に戻りますよ!

まあ、会社の連中にとっても、
志摩さんを利用すれば社長をうまく動かせる、
そういう打算はあっただろう。

でも、志摩さんは彼ら以上に、
自分に近づく人間を巧みに利用していった。

――そうして五年後には、
秘書室長としてゆるぎない立場を確立していたよ。

志摩さん、夜子とはうまくいっているの?

どうかなー、
多分お義母サマはあたしのこと、
うっとおしいと
思ってるんじゃないかなあ。

夜子もこの間そんなことを言ってた。
君たちは本当に似ているよね。
だからぶつかるのかもしれない。

ねえ、ジルおじさま。
あたしとお義母サマ、
いつか仲良くなれると思います?

分らないけど、
もしも二人がタッグ組んだら最強だと思うね。

……そうか、
よおおおおおおっし!!!

志摩さんは、
強い生命力が頭からつま先までみなぎっていてね。

自分にとって最大の幸福をつかみ取らないと気が済まない、
いや、絶対つかんでやる!というのかな。

野心だけじゃなく、確固たる決意とド根性が常に共存している人だった。

お義母サマにあたしの実力を解らせて、
「タッグを組みたい」と言わせてみせる!!
言わせてみせるぞおおおおお!!

…………。

誤解の無いように言っておくがね、アマネ。
私は、志摩さんという女性が、とても好きだったよ。

第十四話 それは25年前の話 (前編)

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