昼休み、と言えば、学生に取っては『学校生活において楽しい時間ランキング』に置いて、確実にトップ五には入るだろう。
 友達と語らいながら昼食を取り、時間が余ればくだらない雑談か、何か刺激を求めて画策する。
 時には校庭で憎きあいつと雌雄を決する、なんて事もあるだろう。

 衣子に取って昼休みとは、昼食時間であり、主にグダグダと無意味かつなんとなく楽しい雑談を嗜む時間だった。

 そうであるはずだった。

 しかし、今日は少しだけ違った。

衣子

………………


 いわゆるアクシデント、サプライズ……要するに、珍事が発生したのである。

 校庭に犬が迷い込んだ、訳ではない。
 教室に黒いGが現れた、訳でもない。

 通常、学校生活において想定できる範疇の珍事を遥かに越えた珍事が、衣子の所属する一年B組に降りかかっていた。

???

古久佐衣子だな?


 そう問われれば、衣子は首を縦に振るしかない。事実だから。

衣子

そう、だけど……


 クラス中が、騒然としている。
 衣子もユキも、落としてしまった箸を拾うこともできずに呆然ととある少年を眺めていた。

 身長体格顔面偏差値、どれを取っても平均的な男子高校生っぽい。
 余りにも平均的過ぎて、逆に違和感を覚える。
 まるで『そう言う風に人工的に調整されたのでは無いか』と思ってしまうほどに平均的だ。
 服装も、まぁどっかの学校で採用してそうな、学生らしい制服然とした物。

 何故、クラス中がそんな『平凡』の粋を集めた様な少年に注目しているのか。

 まず、この少年はこのクラスの一員じゃない所か、そもそもこの学校の生徒ですらない。
 制服で一目瞭然だ。
 そんな少年が堂々とこの場で仁王立ちしている事がまずおかしい。
 でもまぁ、正直『見覚えのない他校制服を纏った少年』と言うだけなら、衣子とユキが驚きの余り箸を落としてしまうなんて事は無かっただろう。

 この少年が視線を集める一番の理由、それは……

ユキ

ねぇ、衣っちゃん……今この人……
窓から入ってきたよ……?


 そう、この少年、窓から入ってきた。
 この三階の教室に、漫画だったら『ぴょーん』の後に『すたっ』と言う効果音が聞こえるくらいの軽やかさで。

サッちゃん

考察。装備品に校舎壁面を登るに適した器具は見受けられない。
加えて、室内への侵入直前の体勢から考えるに、単純に跳躍して来た…
…としか思えねぇ


 ユキのSAI、サッちゃんの分析。
 多分、その通りだ。クラス全員が、それを見て理解していた。
 だからこそ、ざわ…ざわ…としているのである。

???

さて、古久佐衣子。
早速だが本題に入ろう

衣子

ほ、本題……って言うか、
その……質問があるんだけど

???

優先順位計測…

???

…すまない、後にしてもらおう。契約が先だ。契約の後ならば、俺はいくらでも君の言う事を聞こう

衣子

け、契約……?

???

返答。
俺が君の物になるための手続きだ


 少年の言葉に、室内が一瞬で静まり返った。

衣子

……あなたが、私の物に?

???

肯定。そう言った。
復唱する程の事でも無いはずだ


 空耳では無い。少年は確実に断言した。

クラスメイトのSAI

分析。あの少年の今の発言は隷属関係の強要するモノと思われる

クラスメイトのSAI

疑問。隷属関係の強要において、このパターンは極めて珍しい

クラスメイトのSAI

報告。状況・言動・行動から、
現代の一般的常識に置いて理解不能とされる点を多数検出

クラスメイトのSAI

考察。あの少年は潜在的精神病質者、サイコパス予備軍の可能性がある

クラスメイトのSAI

結論。あの少年の指示に従うのは危険

クラスメイトのSAI

重要提案。身を守れ

クラスメイトのSAI

重要提案。逃げろ

クラスメイトのSAI

重要提案。走って逃げろ

クラスメイトのSAI

重要提案。一心不乱に逃げろ

クラスメイトのSAI

重要提案。振り向くな、行け!

衣子

クラス中のSAIが私に逃げろと言っている……!?


 と言う訳で、衣子は逃げる事にした。

 伊達に野生児だアナログだと言われている訳では無い。衣子は足腰には自信がある。
 一目散に教室のドアを目指す。

???

む!? 停止要請。契約がまだ…


 制止しようとした少年を完全無視し、衣子は廊下に出て全力疾走開始。
 廊下は走っては行けないと言うが、変質者との遭遇時は例外なはずだ。

???

疑問。何故逃げる?
契約には手間はかからん。簡単な資料に目を通してもらい、署名捺印すれば終わりだ。
ちなみに捺印は認印不可。君か君の保護者の実印、もしくは君の血判のみ可だ

衣子

ひぃっ、結構本気めの契約……!?
ってか何故って自分の胸に手を当ててよく考え…って速っ!?


 本格的なランニングフォームで全力疾走の衣子。
 追いすがる少年は、偉そうに腕を組んだまま、上半身を微動だにさせずに走っている。

 だのに、あっという間に並走された。

衣子

何その素敵走り……!?

???

返答。足の回転数が速いため、それに合わせて腕を振ると絵面がいささか滑稽になってしまうからだ

衣子

聞いといて難だけどどうでもいい……! 至極どうでもいいッ!

???

同意。余談だったな。
で、これが契約の書面だ


 速度を全く落とす事なく、少年は懐からホッチキスで止められた数枚の資料を取り出し、衣子に差し出して来た。
 当然、衣子は受け取らない。
 受け取る理由が無いし、全力疾走中にモノを受け取れるはずも無い。

???

要請。至急一読し、
署名捺印をいただきたい

衣子

嫌!

???

疑問。何故書面を一瞥すらせずに結論を出せる?

衣子

なんとなく

???

報告。俺を拒絶する事は確実な不利益を生む。君の利益を優先するなれば、その理由でのこの決定は承認不可能だ

衣子

別にあなたが私の利益を優先する必要なくない……!?

???

返答。俺がここに来た目的は君と契約を結び、君の物となるためだ。
そしてそれを目的として設定された理由は君に奉仕し、利益をもたらすため。
つまり俺の目的は君の利益となる事だ。
正式契約前とは言え、君の不利益になる行為は承認できない

衣子

熱烈過ぎるッ……男性遍歴皆無な私には手に負えないのでもう勘弁して!
そしてそろそろ体力的に辛い!

???

提案。この状況からの脱却を望むのなら、この書類を一読し署名捺印すれば良い

衣子

それ以外の方法は?

???

考察…いくつかあるが、様々な理由により全て承認不可能。諦めてこの書類を一読し署名捺印する事を推奨する

衣子

無慈悲なッ……!

???

要請。とにかく一読されたし。
考察するに、君が契約を拒否しているのは、契約の内容を知らないくせに何やら勝手なイメージで忌避反応を抱いているせいだろう。
契約内容さえ理解すれば君は必ず…

 少年の言葉を遮る様に、ピピーッと甲高い音が廊下中に響き渡る。

 直後、衣子達の前方、曲がり角から、鋼色に輝く巨体が姿を現した。
 腹部分が異様に膨らんだツチノコの様な体型のボディに、ジャッカルを模した頭部が三つと、多関節式のロボットアームが八本取り付けられている。 

衣子

警備の壁守《へきもり》さん!

 それは現状、衣子に取ってヒーローに等しい存在。
 この学校の警備担当、壁守《へきもり》衛護朗《えいごろう》が駆る対人制圧用小型警備ロボット、
『絶対番犬餓狼丸《ケルヴェロッサ》』である。

 あの異様に膨らんだ腹部に、プロレスラー顔負けの巨漢が小さく丸まって乗り込んでいる。
 窮屈で操縦に支障が出るのでは、と最初衣子は思っていたが、ケルヴェロッサのコントロールや戦術判断はSAI主導、つまりプラスユニット式だ。
 SAIの効率的かつ迅速な判断に、パイロットが道徳的な観点を付加する、人機一体のシステム。
 パイロットはSAIの判断に『GO』か『NO』と答えられればそれで良いのだ。

ケルヴェロッサSAI

報告。拘束対象・不審な少年、及び
保護対象・一年B組女子出席番号一二番
古久佐衣子を確認

 衣子のクラスメイトが警備室に通報してくれたのだろう。

壁守

こちらも確認した。
少年へ牽制行動を許可。
古久佐衣子を保護せよ

ケルヴェロッサSAI

命令検知。承認。実行


 壁守衛護朗とケルヴェロッサ。
 この学校の平穏を乱す不埒な輩を叩きのめす正義の体現者。

 鋼鉄の正義が、謎の少年へと襲い掛かる。

 通常、SAIは人間に危害を加える事ができない。
 よくあるSF映画の様な『人工知能の反乱』を抑制するための措置である。
 しかし、警備用・兵器用のプラスユニットシステムには『パイロットの命令の下でのみ、その制約を解除できる』と言う仕様が施されている。
 故に、ケルヴェロッサの正義は、壁守のGOサインの下、即実行される。

 ケルヴェロッサのロボットアームの内、姿勢制御に徹する四本を除いた残り四本と三つの頭部が、様々の角度から少年に降りかかる。

???

くぅっ!?


 少年は緊急停止から後方へと全力で跳躍。どうにかケルヴェロッサの初撃を回避した。
 元々牽制を目的とした攻撃だ、当てる目的は無い。躱された所で驚く程の事でもない。

衣子

壁守さんナイス、本当にナイス……!


 激しく息を切らしながら、衣子はケルヴェロッサの陰へと隠れる。

壁守

この校内で一切の悪行は許されない。
だが、神聖な学び舎に不必要な暴力はそぐわない。
少年よ、大人しく投降するならば手荒な真似はしないぞ

ケルヴェロッサSAI

賛同。マスターの言う通りである。投降せよ、悔い改めよ、そして新たな未来を見据え、力強く生きよ

???

分析。警備用のGM兵器、それもプラスユニットか……
何故俺が拘束対象と認識されているのか、議論の余地がある

ケルヴェロッサSAI

返答。通報内容と教室内のレコーダーから得た記録を見聞した結果、議論の余地は無いと判断する

???

要請。その結論はおかしい。
再検討すべきだ

ケルヴェロッサSAI

返答。再検討を望むなら、それに足る情報の提供を要請する。
そちらの行動の正当性を一五秒以内に申告せよ

???

返答。俺は古久佐衣子と契約を結ばねばならない。そして一刻も早い契約成立のため、時間短縮を目的として窓から侵入した。
その結果、何故か古久佐衣子が俺から逃走を図ったので追い、契約について説明を試みている。
以上だ

ケルヴェロッサSAI

要請。契約の内容、そしてその契約の成立を急ぐ理由を述べよ

???

返答。俺が古久佐衣子の物となる契約。
そしてそれが俺に現在設定されている最たる目的であり、俺に取って何よりも優先すべき事項だからだ

ケルヴェロッサSAI

……結論。彼の行動に正当性を見出す事は極めて困難。
少なくとも、校内への無断侵入、及び、生徒へ危害を加える理由には成りえない

???

疑問。申請無しでの侵入行為は非を認めるが、俺は生徒へ危害を加えた覚えは無いぞ?

ケルヴェロッサSAI

指摘。拒絶の意思を示す古久佐衣子に対し、追い立ててまで契約を強要した。
これは立派な危害行為である

???

否定。それは古久佐衣子の将来的利益のための行為であり、危害行為には該当しない。
何故それがわからない?


 もう付き合ってられない、と言う事だろう。
 ケルヴェロッサは少年の質問に対し、言葉でなく行動で返答した。

 三つの頭部、その口が大きく開き、内部から銃身が現れる。
 当然、実弾が装填されている訳では無い。この銃口から射出されるのは非殺傷の制圧行為を目的としたゴム弾である。
 それでも、モロに喰らえば最悪骨折がありえる威力の代物だ。

ケルヴェロッサSAI

推奨。動くな。
必要最低限のダメージで制圧する


 動いたらそれは保証できない、と言う事だ。
 その警告に対し、少年は、

???

拒否。そちらの行動に納得がいかない。
抵抗させてもらう


 最早それ以上の問答は無かった。
 連続して響く発砲音。
 三つの銃口から、秒間一〇発のゴム弾が射出される。

 射撃時間は一秒半。発射された弾数は四五発。

壁守

何……!?


 壁守とケルヴェロッサの望む結果は、そこには無かった。

???

当然。民間区域の警備を目的としたGM兵器の装備で、この俺が制圧できるモノか


 そうつぶやいた少年は、余裕のドヤ顔。
 少年がその両手の指を一本ずつ開いていくと、パラパラと無数のゴム弾が溢れ落ちた。

衣子

まさか……全弾掴み止めた……!?


 一秒間に三〇発放たれた弾丸を、冷や汗一つ見せる事なく、全て掴んだ。
 少年は、無傷。

???

疑問。何を驚く古久佐衣子。
当然の事だ。俺は……
って待てよ……そう言えば……


 ここに来て、少年は何かとても重大なミスに気付いた様な表情を浮かべた。

???

……俺は、まだ名乗っていなかった……!?

衣子

え? う、うん。まぁ


 正体不明過ぎる上に『俺が君の物になるための契約をしたい』とか言う謎の要求をしてくる不審少年だからこそ、衣子は逃げ回り、壁守&ケルヴェロッサが出張っているのである。

ケルヴェロッサSAI

提案。マスター、銃撃による対象の制圧は困難と判断。
近接戦闘へ切り替えますか?

???

停止要請。全て理解した!
全面的にこちらの非を認める!

ケルヴェロッサSAI

指示待機

壁守

……要請を受理する。
非を認めると言う事は、投降の意思があるのか? 少年

???

否定。投降せずとも問題は解決する!
俺が名乗れば! そうすれば古久佐衣子は全てを理解するはずだ!


 一体どういう事か、とその場にいる全員が首を傾げる中、少年は堂々と名乗り始める。

???

俺は試験開発コード、SPT-0001


 そして、

???

要人護衛を想定して研究開発されている、
世界初の擬似生体アンドロイド型SAI端末だ

 

 補足情報
『プラスユニット式』

ケルヴェロッサSAI

プラスユニット式とは、
SAI端末の接続・及びSAIによる制御を前提とした機器制御形態の名称である

ケルヴェロッサSAI

SAIの開発経緯を考えるならば、
プラスユニット式機器へ接続した状態こそがSAIのあるべき姿であると言えるだろう

ケルヴェロッサSAI

元々この制御形態は軍事兵器のみに採用されていたが、近年では民間機器にも一般的に採用されている

ケルヴェロッサSAI

代表的な例を挙げるならば自家用自動車。
プラスユニット式車両は『自動運転機能付きカーナビ』が搭載されていると考えれば良い。
これにより、車両運転に技術は不要となった

ケルヴェロッサSAI

だが、SAI制御とは言え万が一は無いとも限らない。なので免許取得には最低限の運転知識と危機管理能力の有無を判断するテストがあり、受験資格にも一五歳以上と言う制限がある

ケルヴェロッサSAI

SAIは非常に信頼できるツールであるが、過信はしてはならない

彼はデジタルそのもの《前編》

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