アサヒは紙束を握りしめ天国にいるだろう母親に救いを求めていた。
先程まで彼女が待ちに待っていた手紙に書かれているのは
――――俗に“お祈り手紙”と呼ばれる、不採用を通知する文(ふみ)であった。
一体何ということでしょうか。どうやら私はこの現実を直視しなくてはならないようです。ねえ、お母様、私はこれからどうすれば良いと言うのでしょうか。神は私に試練を与えましたが、道はくださらなかったようです
アサヒは紙束を握りしめ天国にいるだろう母親に救いを求めていた。
先程まで彼女が待ちに待っていた手紙に書かれているのは
――――俗に“お祈り手紙”と呼ばれる、不採用を通知する文(ふみ)であった。
なんで?! 受けたところ受けたところ全て不採用! 手紙なんかで期待させて! ああ全くこの世は不条理よ!
やりきれない思いは独り言となって飛び出る。高望みなんてしない、ただ今の生活を維持できるだけの収入源がアサヒには必要だった。
この世界で一番治安が良いとされる街、王都シェヘラザ。花の都とも名高く、数年前までアサヒも父親が細々と続けていた花屋の手伝いをしながら学校へ通っていた。しかし、アサヒも16歳。この『ヒトの国』では男女共に成人として一人前と見られる年齢である。家業の花屋は元々父親一人で十分に切り盛りできる小さなもので、アサヒは早急に自分の仕事を手に入れなければならない状況であった。
それが、こんなに大変なものだとは思わなかったわ
運悪く、アサヒが卒業した年は就職氷河期。どこの店、どこの屋敷へ手伝いの募集を探しにいっても人手が足りているかアサヒではない他の誰かの就職先として決まっていく。
おーい、ア、サ、ヒ、……アサヒ!
突然真後ろで声がしてアサヒは振り向く。そこには幼馴染のユウマがいた。
……あ、お前また落ちたのか?
足元に散らばる手紙を拾い上げながら言うユウマは、オレンジ色の髪を掻き揚げながらアサヒの元へとやってくる。その言葉にアサヒは唇をわなわなと震わせた。
ま……またって! 何よ!!
(ユウマっていつもいつも嫌味ばかり言うんだから……!)
アサヒがきっと睨むと、ユウマは一瞬目を逸らしてその碧色の瞳を揺らす。
や、だから……別に、就職なんかしなくても良いじゃねえか
え、なんで? そうやって人のこと馬鹿にして楽しい?
そうじゃなくって、そ、その、だから……!
歯切れ悪く何かを言おうとするユウマ。
……俺、のとこに、永久就職、すれば良いだろ
ぽつりと言われたその台詞はあまりに小さく、アサヒには届かなかった。
何か言った?
アサヒがきょとんとユウマを見る。
なっ、な、ばっ! なにも言ってねえし!!!
急に声を荒げるユウマにアサヒはいつものことだと流して、これからどうしようかと考え始めた。
王都の中で仕事しようと思っていたけれど、それじゃ厳しいのかもしれない……
アサヒが次に取った行動は、王都で一番賑わう繁華街への訪問であった。ユウマが後ろで
どこに行くんだよ!
と叫んでいたがアサヒには聞こえていなかった。
うーん……短期でも私に出来る仕事があれば、それで繋ぎとめてくしかないよね
アサヒはそう思いながら、十字に交じる繁華街の真ん中にある掲示板を見る。そこには、探し人の届け出から魔物討伐までありとあらゆる依頼が貼りだされていた。
えっと、
上級貴族の教育係募集、報酬要相談、中位魔道書以上のスキル歓迎
難しそう…
迷い猫、赤トカゲの皮の首輪をしています。報酬は大衆食堂無料券
は……流石にそれじゃ生活できないしな。ん?これはどうだろう、
畑に出る魔物退治。人の声を聞くと逃げる小さな魔物なので見張りとして作物収穫までの二ヵ月間のみ。三食寝床付で一日銅貨3枚、成果次第で報酬格上げ、ギルド登録必須
報酬はちょっと微妙だけど待遇は良いみたいだし、暫く考える時間も必要だからこれにしよう!
決めるとアサヒの行動は早い。交差した道の角地にあるギルドへとそのまま向かった。
このヒトの国では、魔物退治に関する全ての仕事はギルドで登録して勇者認定をする必要がある。魔物に関する仕事はどんなに小さいものでも怪我や死の危険性がある。それに同意した上で仕事をしているという証明のために勇者という職名を手にするのだ。どうやらアサヒと同じように仕事からあぶれた者が多いのだろう、ギルドには新米と思しき妙に浮き足立って周りを見回す若い人間が多く見られた。
きっと、大丈夫よね……
アサヒは心の中で自分に言い聞かせるように勇者登録書類の署名にサインをした。
…*…
仕事の依頼を受けると連絡してから案内されたのは、王都の外、近郊の農村地域であった。
これから暫くここで働くのか……
父の仕事を手伝っていたこともありアサヒは自然が好きだった。しかし、王都の城壁の外での暮らしが実際どういうものかはいまいち実感が持てない。好きなように使って良いと通された部屋は小さな小屋一つで、藁を布で包んだ緑の匂いで溢れる寝床と、手作りなのだろうか木を削って作られた机と椅子が申し訳程度に置いてあった。どうやら風呂やトイレは外の畑近くにある共有の小屋を使うようだ。
まさか女の子が来るとは思ってなかったから、十分な準備もしていなくて申し訳ないなあ
アサヒの当面の雇い主である農家夫妻は最初びっくりしていたようだった。一目見て、彼らが一日中畑を監視するのは大変だろうとアサヒは気づいた。夫婦は十分年を取っており、未だに農業をしていることが凄いと思えたぐらいである。
これからお世話になります
いやいや、お世話になるのはわしらの方じゃからな。
よろしくお願いします
でも、優しい人達みたいで良かった
決断してから行動までがあまりにも早かったアサヒだが、これでも不安はあったのだ。
さて、お仕事始めますかー!
とは言っても、今回は魔物“討伐”ではなく、あくまで畑に入ってこないようにする魔物“退治”。
アサヒは畑と森の堺に腰をかけて朝からずっと森の方を見ているだけで良かった。どうやら森の方から何体もの魔物がアサヒの様子を窺っているようだ。ソレは、太ってころころとした小さな人型の魔物であった。木の陰に隠れようとして何体かころころと転んでいるのが見える。あまり害がありそうな魔物ではなくアサヒは息を吐いた。
こいつらが畑に入って作物取っちゃうんだよな……
アサヒの視線に驚いて転がって慌てて立とうとしてまた転がっている様子を見ると全然悪意を感じない。アサヒは先ほど農家の人達が言っていたことを思い出した。
――
最近急に畑に入るようになってきて
――
もうすぐ収穫だって時に。これまでこんなこと無かったのにねえ
――
他に悪さをするわけじゃないから見張っていてくれる人がいるだけで本当助かるよ
どうしてこの子達は最近になって畑に来るようになったのかな
アサヒはその日一日、とりとめもなく魔物たちのことを考えては答えが出ず終えた。
次の日、早くに起こされてアサヒは二度寝したい気持ちと葛藤しながら朝食をとった。
昨日も今日も、農家の奥さんお手製のとても美味しい料理が振る舞われてアサヒは感激したが、これが彼らの普段の食事だと知って驚いた。彼らは普段からとても手の込んだ美味しい食事を味わっているのだ。
アサヒちゃん、今日天気が良くて畑の近くで昼ごはん食べるからお昼の間は自由にしてても良いよ
料理を片づけながら奥さんが言う。アサヒはその言葉に甘えることにした。
でも、こんなところで自由にって言っても何するかな
アサヒは少し迷った後、森に入ってみることにした。あまり奥まで行かなければ大丈夫だろう、そう考えていたのだ。
数時間後、
この木……さっきも見たよね……?
アサヒは森の中で迷子になっていた。目印は書いていたのに見つからない。
どうしよう
アサヒが途方に暮れた頃であった。先ほどから遠巻きにちょこちょことアサヒを追いかけていた小さな魔物たちが一斉に近づいてくる。
な、何?!
近づいてきた魔物がよく見え、それらが小さな老人の顔をした小人だと気づくと途端に恐怖が浮かぶ
きゃ!
アサヒの声から悲鳴が漏れた。小人たちはアサヒの足を掴んでひっくり返したのだ。中にはその反動で転がっていく小人もいる。丸々とした彼らの動きはそれでも統率が取れており、アサヒの身体を囲んだ。
何するの?!
恐ろしくなってアサヒが叫ぶ。しかし、小人たちはぺちゃくちゃと何やらアサヒには分からない言葉で話していた。そしてアサヒの身体を持ち上げはじめた。
ちょ! え?! な、なに?! どこ行くの?!
アサヒが慌てて叫んでも森の中、誰にも聞かれずにその声は木霊した。