第2話 黒と灼き討て稲光
第2話 黒と灼き討て稲光
およそ自然の命のものとは思えない、青と赤が複雑に入り組んだ紫色の断面を見せて、ミモル型アーデルがぐにゃりと倒れ伏す。
ショッピングセンター三階の飲食店フロアの床は
彼女、マーメイ・ドラゴンが倒したアーデルどもの体液にまみれ、そこかしこが汚らしく穢されていた。
長い黒髪をさらりと払う彼女の額には、薄い汗と、ごくわずかな返り血の染み。
あらら、またやっちゃったのマーメイちゃん
マチルダが呆れた様子で肩をすくめる。
いちいち全部捕獲したかどうかなんて、連合もカウントしてないでしょ?
あなたみたいに律儀な性格じゃないのよ、残念ながら
マーメイは頬の返り血を冷たい手甲でぬぐいながら、さも当然とばかりに言い返す。
マイクロバッテリーニードルを放つ旧型パラライザーガンを、倒れた別のミモル型に何度も浴びせながら、
そりゃそうかもだけどさ......
と、マチルダは少々不服気だ。
非科属類種生命体アーデル。
水と自然に命あふれる惑星ウルタールにおいて、クララたち文明種族フェーレスの前に現れた由来不明の生体群を、世界連合はそう命名した。
ここ西ボリア地区で最初のアーデル出現が確認されたのは、ウルタール歴2220年。
現在ミモル型と呼称されている、フェーレスより一回り大きいだけの怪物だったそれは、山奥の集落一つ分のフェーレスを喰らい尽くした後、連合警察一個小隊による一斉射撃を浴び、ようやく息絶えた。
これに呼応するかのように、アーデルの出現は世界各地で同時多発的に確認され、数多くのフェーレスたちがその牙の前に命を落とした。
西ボリアに出現したそれは、アーデルと呼ばれる生体群の中では比較的小型な種に分類される個体であったが、 南北アトランテ地区や海洋の島国ワンズの都市部では、建築物にも比肩するほどの巨大なアーデルが前触れもなく出現した。
後にクラブ型と呼称される、一対の鋏のような前脚を持つその巨大アーデルが連合軍の通常兵器により殲滅されるまで、実に 百を超えるフェーレスたちが餌食になったという。
日ごと出現頻度を増すアーデルたちについて、明らかになった事実はあまりに少なかった。
どこで生まれ、どのように繁殖して、世界中のフェーレスたちを襲うのか。
知る者も、予測し得る者も、今はまだフェーレスたちの中にはいなかった。
様々な形態のアーデルたちに共通して判明していることは、ただの二点。
その目的が、フェーレスの捕喰にあること。
その為に、異形の肉体に秘めた恐るべき力を振るい、フェーレスたちを襲うこと。
理不尽な絶対的捕喰者の存在は、永らく平和を謳歌していたフェーレスたちの、種の存続と尊厳を脅かし始めたのだ。
フェーレスとアーデルなんて、普通に考えりゃ命の奪りあいが当然の間柄だってのにさー、
なんで連合は今になって捕獲だなんて騒ぎ始めたのかねー?
間延びした声で疑問を口にしながら、歩兵部隊副長マチルダ・カールはパラライザーガンのトリガーを引き続ける。
世界連合から支給されたそれは、瞬間的に高電圧を発する針状弾丸を用いた旧型非殺傷兵器であったが、マチルダはこっそりとそれを改造していた。
三点バースト射撃を可能にし、かつバッテリーに蓄電する電力リミッターをカット。
ミモル型を数秒よろけさせるのがせいぜいだったその”オモチャ”は、マチルダの手で辛うじて通常火器と同等の使い勝手を獲得していた。
毛耳の端でマチルダのぼやきを聞きとめたマーメイ・ドラゴンは、
さあ。
そいつがはっきりするまでは、
いちいち従ってやる義理なんて――
マチルダを振り返りながら、長い右脚をくんと高く翻し、
ないと思うけど
背後に迫っていたミモル型の首を、一蹴の元に斬り落とした。
あらら、
また一匹殺っちゃったよこの人は......
切断面から紫色の体液を吹き出しながら、首から上のないその死体は、床の上でびくんびくんと跳ねてやがて止まる。
ミモル型アーデルの大きさ自体は、マーメイやマチルダたちフェーレスと大きく差はない。
死体を目にして、マチルダの背にぞぞと寒気が走る。
自分も頭からこいつらに喰われてしまえば、こんな風に死ぬのかもしれない、と。
アーデルに対抗するため、全フェーレスを統べる世界連合は、新たに大規模組織を設立。
高度に発展した文明を築いたフェーレスたちが、あらゆる知と技術の粋を軍事力に投じた組織は、その名を
“CHARGE OF ALL TERRITORY”、
通称”CAT“と呼ばれた。
種の存続を賭けたアーデルとの戦いにおいて、剣となり盾となる兵器を開発し、またそれらを扱う業と技を磨く。
フェーレスの長き歴史の中で唯一にして最大の軍事組織となった。
見たところ、今いるミモル型はほぼ同種。
一匹だけでもギリギリ生かして持ち帰れば、お土産には十分よ
空中前転から振り下ろす右の浴びせ踵落としで、アーデルの頭を割り。
床に着いた左足を軸に、停まることなく唸る回し蹴りで、背後のアーデルの胴を貫き。
蹴った反動でふわりと浮き、とん、と踏みつけた喉から、紫色の飛沫が飛ぶ。
引き締まっているとはいえ、決して逞しいものではないマーメイの肢体から放たれるその技は、まるで目に見えぬ刃が手先足先から伸びているかのように、アーデルたちの肉体をやすやすと切り裂き破壊していく。
CAT西ボリア支部、通称ルクス機動歩兵部隊所属、マーメイ・ドラゴン。
彼女はCATの中でも最も卓越した、対アーデル格闘術「プグナーレ」の使い手であった。
フェーレスという種には元来、自分の周囲の気温や気圧、大気のあらゆる性質を意識して操作する異能力が備わっている。
体毛を走る微弱電流を媒体として大気に干渉するこの力を、フェーレスたちは自ら「爪の力(ウングィス)」と名付けた。
不可思議なこの異能力は、フェーレス種の起源マオイロダス原人の頃より、厳しい自然環境下で生き抜く進化の過程で身に付けたものとされているが、詳しい由来は明らかになっていない。
フェーレスたちの近代社会において眉唾物になりかけていたこの「爪の力」の存在は、アーデルたちとの苦しい戦いの中で、再び脚光を浴びることとなった。
ことミモル型アーデルの出現、そして都市部や建造物等閉所での戦闘が多い西ボリア地区において、CATの戦士たちにはもともと、近接格闘術の習得が強く義務付けられていた。
立ち技全般およびナイフや拳銃を用いるその従来の格闘術に、熱の変化や真空を生み出す「爪の力」を組み込むことで殺傷力を高めたものが、対アーデル格闘術「プグナーレ」だ。
あーあ、破片ばっかりになっちゃって。
まーた”お局”ミスティに怒られちゃうよ?
手加減なしのマーメイに呆れながらも、マチルダは本気では彼女を止めようとはしない。
相手は本能のままフェーレスを食らおうとする怪物、アーデルだ。
生かして捕獲する余裕がないのも事実だが、それ以上にわざわざ助ける理由もない。
それに加えて。
そんな悠長なこと、
アレ見ても言ってられる?
下のフロアから立ち昇った煙が、吹き抜けを通って三階のマーメイたちの鼻を突く。
一階のフードコートから上がる炎の合間に、アーデル特有のぶよついた白い表皮が見える。
あー......ちょーっと
キビシイですね......
眉をへの字に曲げて困った顔を見せながら、マチルダはへたりと毛耳をたたむ。
遠目にわかるほど歪に大きい、モル型アーデル。
パラライザーガンの頼りない銃声に、苦戦する仲間たちの悲鳴が入り混じる。
あっち、新人の回った方
クララ・キューダちゃんね
マーメイが案じた仲間の名を、マチルダがすかさず口にする。
......そう、その子
肯定しながらマーメイがちらりと見ると、マチルダはにやつきながらこちらを眺めている。
先行くわ
あ、ねえ!
ちょっと、こっちは?
慌てるマチルダに返事もせず、マーメイは手すりをひらりと飛び越えて、吹き抜けを縦一直線に落ちていった。
クララの眼前に迫った絶望を、横薙ぎの黒い風が、吹き払ってくれた。
不自然に横に背けたその捕喰者の頭部が、真一文字にぱっくりと裂け、体液をどぼりと床に落とす。
マーメイ、さん......!
三階から飛び降りたマーメイは、着地するなり猛然と床を蹴り、駆けた。
そして少女を背にしたクララを見つけ、涎を垂らして迫るアーデルの頭に、真横から両脚を叩き込んだのだ。
新人、お前......
自分を見上げるクララの、焦点の合わない眼差し。
不自然な形の左肩から流れ出ている血が、彼女の左半身をべっとりと濡らしている。
腕を、失くした?
まだ幼いクララの顔を濡らす、彼女自身の赤い血。
そして、押し付けられたひ弱な武器のせいで窮地にある仲間たち。
それらを目にした瞬間、マーメイは頭の中がぐらりと揺れ、かっと燃えるのをはっきりと感じた。
怒りだ。
仲間たちを傷つける捕喰者アーデルへの。
する必要のなかった苦戦を強いる、自分たちの組織への。
そしてか弱い新人に深い傷を負わせてしまった、自分の無力への。
あらゆる理不尽への怒りが、マーメイの冷静な思考を衝き崩そうとしていた。
フェーレスの言語では形容し難い、低くおぞましい唸り声をあげ、アーデルは再び頭を持ち上げる。
......細胞粘菌表皮か
負わせたはずの斬り傷が、じゅくじゅくと蠢きながら塞がっていくのを見て、マーメイは舌打ちした。
ごく稀にではあるがアーデルの中に、裂傷や銃創を自己修復する個体が存在することを、マーメイたちは知らされていた。
細胞性免疫に酷似した表皮菌類の作用で、恐るべき速度で新たな表皮を作り出し、傷口を埋め尽してしまうのだ。
そいつは明らかに、マーメイを見てにたりと笑った。
その個体は間違いなくマーメイたちの位置を認識し、巨大な口唇しか存在しない頭部をこちらに向ける。
そして、ぬらぬらと光るその口の端を歪めて、確かに愉悦の感情を見せている。
パラライザーガンは効かず、生半可な傷はすぐに塞がれてしまう。
立ち上がれる仲間は少なく、まともな火器は手元には無い。
私が、やるしかない。
マーメイが深く息を吐き、アーデルの懐に飛び込もうとした、その時。
マーメイ、リーダー?
みんなー、聞こえてますかー?
無線を介して届いたマチルダの声に、マーメイは動きかけた脚を止めた。
彼女のいるはずの三階を、マーメイはちらりと見上げる。
見つけたのは、手すりから身を乗り出しこちらを見下ろすマチルダと、その手の何やら目いっぱい詰まった買い物かご。
差し入れですよー!
んー......
かごを持った手をぶらんと下げて、振り子のように勢いをつけて、
よいしょっ!
マチルダはそれを放り投げる。
アーデルの頭にぶつかり買い物かごから飛び散ったのは、ドラッグストアの棚から拝借してきたらしき、制汗スプレーやヘアスプレー、ガスコンロ用カセットボンベ。
可燃性ガスの塊をひと目見てマーメイはマチルダの意図を汲み取り、にやりと笑い、だん、と床を蹴る。
不規則に宙を跳ねるマーメイの脚は、アーデルの顔面を、腹を、背中を蹴りつける。
その度に白い肉が裂けて割れ、ぶじゅう、と体液が漏れる。
マーメイを捉えんと、アーデルは歪に太い腕を振り回す。
拳の型も為さないただの握った前腕が、マーメイをかすめて振るわれる度、タイルの床が割れ、支柱を削り、風圧でショーウィンドウがたわむ。
その間隙を縫ってマーメイは、身を低くして、マチルダが投げてよこした缶を拾い集める。
リーダー、生きてるわね?
インカム越しに飛ばしたマーメイの呼びかけに、
勝手に殺さないでください。
わかってますよ
ピクシーは間を置かず応えてくる。
クララを狙って振るわれたアーデルの剛腕に、数メートル先のエスカレーターまで吹き飛ばされていた彼女だったが、素早く立ち上がりパラライザーガンを構え直している。
メルっ! ココアっ!
はいな、いつでも行けますよ!
いいからさっさとやれ、
これ以上好き勝手させんな!
素早くフロアを見回したマーメイの目に、案内カウンターの陰から小さく手を振る二人の仲間も見えた。
ウェーブが揺れる長い髪のメル・ラパーマ、刈り込んだ短髪とタンクトップのココア・ショートヘア。
二人組(ツーマンセル)の彼女らと反対側の位置に立つピクシー。
アーデルを挟み撃つに好都合なポジション取りだ。
行け!
号令と共に言葉通り、ピクシーの銃が火蓋を切る。
アーデルの足元に散らばった缶スプレーを、パラライザーガンの稲妻が直撃する。
一瞬青く翻る赤い火炎を上げて、缶スプレーが炸裂する。
熱された破片がアーデルの白い肉に刺さり、じゅう、と焼く。
強い閃光と、右肩をかすめていった鋭い破片。
クララはびくりと驚くが、直後背後の少女を片腕で抱き、背中でかばいながら柱の陰へ隠れる。
アーデルの足元で次々と上がる炎。
マーメイの与えた傷から染み出した体液が、蒸発して異臭をまき散らす。
しッッ!
プグナーレの蹴り技で切り開いたアーデルの肉に、マーメイは素早く缶スプレーをねじ込んで、離脱する。
直後にそこへ稲妻が刺さる。
表皮の内側を直接焼かれる痛覚に、アーデルが頭を振って喚きたてる。
焼かれた表皮の粘菌が傷をふさぐ事も無い。
よし、十分効いている。
即興で作り上げた火力の成果にも、マーメイは油断せず戦況を分析する。
どうやら他の雑魚はもういない。
こいつさえ、倒せば。
と。
マーメイさん......っ!
呼ばれる声に、マーメイはちらりと振り返る。
柱の陰からこちらを見るのは新入りの少女、クララ。
血の気の薄い青い顔で、腕を失った痛みに耐えながらも、残ったその片手にLサイズのコンロ用ガス缶。
あれなら。
こっちに!
マーメイの短い指示に、よろめきながらクララは缶を投げる。
バランスをくずしてどうと倒れ、左肩を床に打ち付けてああと悲痛な声を上げる。
だが投げた缶はマーメイの手に確かに届いた。
そうだ、さっさと決着をつけてやらなければ。
メル、ココア! とどめ!
言い放つと同時に、マーメイは吹き抜けの広い空間を高く跳ぶ。
はいな!
了解(フェッチェ)!
上昇の頂点で膝を抱えて身を縮め、くるりと前回転をつけて遠心力を生み出す。
ベジェ曲線のベクトルを真下に向けて、急転直下で狙いを定め。
眼のない顔で見上げたアーデルの頭に、天から降った楔の如く、マーメイの踵が突き刺さる!
垂直軌道で通り抜けざま、クララから受け取ったガス缶を傷口にねじ込む。
ふッ!
間断ゼロで飛来したのは、ココアの得意の投げナイフ。
楔を打つ槌。
ナイフの刺さったガス缶はより深くアーデルの頭に潜り、
はいなっ!
狙いすまして撃ち放たれたメルのパラライザーガンが、缶の中身を燃え上がらせる。
体内で燃え盛る炎に、アーデルは悲鳴を上げて倒れ、床をめりめりとヒビ入らせながらのたうち回る。
続けて上からマチルダが降らせる缶にも、ピクシーたちの銃が容赦なく火を入れる。
立て続けに巻き起こる炎の中で、アーデルは身もだえしながら起き上がると、不意に反転してマーメイたちに火傷だらけの背中を向ける。
こいつ、逃げる......!
アーデルの意識が屋外に向いたのを察し、マーメイは追撃の為に再び身構える。
だが。
かまいません。
もう表に援軍が着く頃でしょう。
ココアとメル、それからマチルダは、アーデル追撃を継続しつつ、ケレペシ公道でコマンドギアと合流。
可能であれば連携して対象を撃破してください。
立てる者はマーメイの指示に従って負傷者を回収。機動歩兵部隊は一時退却します
トリガーを引きながら、ピクシーはインカム越しに指示を飛ばす。
辛うじてながら近づいてきた勝利の空気に、ほんのわずかクララの緊張がゆるむ。
だが去り際、頭部の、まっとうな動物であれば目のあるあたりに火傷を負ったそのアーデルが、一度振り返り、クララの方を向いた。
明らかにクララを認識していた。
喰い損ねた餌を悔し気に睨みつけるように、こちらを向いて歯ぎしりをした。
肌の所々に火を灯しながら、アーデルは身を縮めるようにして無人のフードコートへ潜り込んでいった。
直後響いた、面積の広いガラスが割れる音。
続いて、追い立てるメルたちの銃声が、次第に遠くなっていく。
お姉さん......お姉さん......っ!
クララを見上げる 少女の丸い頬が、涙の跡とわずかな煤で汚れている。
笑顔を作ろうとしたそこで、張り詰めていた意識の細い糸が切れた。
少女の上にしなだれかかるように、クララは床へ崩れていった。