午後の授業は眠くなる。

しかも、今は音楽の自習で、
クラシックを鑑賞する時間。

ヨハン・シュトラウス二世が、
百年の時を越えて放った催眠結界が、
音楽室中に張りめぐらされている。

でも、そんなことでは僕の、
「とにかく授業をまじめに受ける」
という学校生活の指針は揺るがない。

僕は目の前のプリントに、
きちんと簡潔かつ的確な感想が書けるよう、
優雅なストリングスの調べに、
耳を傾けていた。

……あなたは、だんだん眠くなーる……

有利なフィールドなのをいいことに、
眠らせようとしてくる催眠術師がいた。

クラシック音楽が似合う、
清楚な印象の女子。
沙鳥の声だ。

ただし、
沙鳥は急に黒板の前に躍り出て、
催眠術まがいのことを、
言い始めたわけではない。

音楽室の端の、窓際の席に大人しく座って、
外の方をぼんやり見ている。

……あなたは、だんだん眠くなーる……

この声は、
僕の頭の中にしか届いていない。

僕と沙鳥は、
声を出さずにお互いの意志疎通ができる、
いわゆる「テレパス」なのだ。

しかし、
せいぜい思考のやり取りができるくらいで、
催眠術で人を眠らせたりするようなことは、
僕にも沙鳥にもできない。

だが、今は状況が状況だ。

沙鳥。本当に眠くなるからやめてくれ

僕が沙鳥に念を送った。

……仰せのままに……

古めかしい従者のような承諾をする沙鳥。

珍しく素直だな、
と思う間もなく、
沙鳥はまたテレパシーを送ってきた。

……あなたは、だんたん……

……眠くならなくなーる……

言葉は逆だが、
催眠効果には大差なさそうだった。

あなたは……だんだん……

……だんだんだだん……

……だだんだんだだん……

ゆるやかにリズムを刻みだす沙鳥。

……眠く……なくにゃ……

……うーん……

……沙鳥?

沙鳥の様子がおかしい。

いや、
まあ、いつもおかしいんだけど。

……うーん……

僕は気がついた。

さては沙鳥。
外をぼんやり眺めているように見せかけて……。

……寝てるの?

……うーん……寝てらいれすよお……

それは、
寝てる人の言う言葉だ。

普段から思考がオープンすぎる沙鳥だが、
まさか寝言までテレパシってくるとは。 

いや、待て。
これはラッキーじゃないか。

起きてたら起きてたで、
それこそ、
寝言のような話をさんざん聞かされるのだ。

本当に眠ってくれていた方が、
かえって好都合かもしれない。

起こさないように、
こっちから念は送らないようにしよう。
全力で音楽の鑑賞に集中だ。

……ヒツジがあ……

……。

ヒツジがあ……一匹……

……寝てから数えてどうする。

……ヒツジがあ……

……一匹も……いません……

寂しい。

……どこへ行ってしまったの……

……これじゃ、今日の晩御飯が……

食う気かよ。

……ああ、そうかあ……ヒツジなんて……

……最初からいなかったんですねえ……

ミステリー。

……私たちが今までヒツジだと思っていたのは……本当は……

……高野豆腐……

どんな騙され方をしてたんだ。

……悪い夢を見てたんですねえ……

いや、まだ夢の中だ、
沙鳥。

……。

どうしよう。
いつも以上に、気が散ってしょうがない。

……ええ……もうそんな時間ですかあ……

沙鳥がまた寝言を脳内に伝えてくる。

では、そろそろ……伝説の宝をヨイショしましょうかあ……

いつも以上に、
訳がわからないことを念じだした。

誰かあ……この伝説の扉の合鍵……持っていませんかあ……

合鍵があるような扉が、
伝説になるのか?

もう……きのうの当番の人……ちゃんと返しておいてくださいよお……

当番制で守られる伝説とは。

しょうがないですねえ……あとでちょっと……

……火あぶりです……

さらっと恐ろしい折檻。

……または、砂の柱にします……

沙鳥。
砂の柱、好きだな。

……。

さて、どうしよう。
おかげで眠くはならないのはいいけど、
正直、流れてる音楽なんか全然耳に入らない。

こんな調子だったら、
テレパシーで怒鳴りつけて起こした方が、
まだいくらかましなんじゃないか。

いや、それも一か八かの賭けだ。

そんな僕の逡巡をよそに、
沙鳥の寝言は続いた。

……ああ……鍵なくても……扉、あきましたねえ……

開いてたのか。伝説の扉。

……十字キー連打でいけましたあ……

なんだそのアナログな裏技的入り方は。

……さあ……とっとと伝説の宝を……ドッコイショです……

さっきはヨイショって言ってなかったか。
具体的にそれは何をするの?

……ああ……あれが伝説の宝の入った……

……タッパーですね……

そんな警備体制でいいの?

……電子ロックを外すには、どの画鋲を抜けば……

ああ、もう。
いろいろ言いたい。

ふうん……開けるには……コウノトリの……

……心臓が……必要なんですねえ……

急にホラーなモチーフ出てきた。

……では、ヤマダさん……

誰だ。
トレジャーハンター仲間か?

それにしちゃ普通の人っぽい名前だな。

たしか、ヤマダさん……

……半分、ペンギンの血が流れてましたよねえ……

ぜんぜん普通の人じゃなかった。

……コウノトリも……

……ペンギンも……

……まあ、だいたい……

……おんなじようなものですからあ……

いや、まったく違うだろ。

……ヤマダさん……

……ちょっと、心臓貸してくださあい……

ケータイ借りるテンションで、
臓器提供を促すな。

……え、今日……

……持ってきてないんですかあ……

うっかり心臓を家に忘れてきちゃうヤマダさん。

では……最悪……

……腎臓でもいいです……

だめだよ。

コウノトリの心臓もってこい、
って言われてんのに、
ペンギン人間の腎臓じゃだめだろ。

おつかいだったら怒られる。

……大丈夫です、ヤマダさん……

……痛くしないからあ……

どんな処置を施そうが、
臓器を抜くのは痛いだろ。

……ああ、そうですかあ……

……風水的によくないなら、やめましょう……

あれだけ強気に出ておいて、
そんな理由で折れるんかい。

……じゃあ、かわりにコバヤシさあん……

普通の苗字の人ばかりで、
パーティー組んでるな。

……コバヤシさんって……

……たしか……

……ツルでしたよね……

鳥そのものかよ。

……コウノトリもツルも……

……似たようなものですよねえ……

まあ、ペンギンハーフに比べればな。

……コバヤシさん……

……痛くしないですからあ……

コバヤシさんがピンチだ!

……みなのもの、コバヤシを捕らえよ……

……捕らえたものに金貨十枚出す……

沙鳥が悪の暴君に!

……ヤマダさん、グッジョブ……

あのペンギンもどき、
沙鳥に寝返りやがった!

コバヤシさん……悪く思わないでください……

……これも世界が平和になる伝説の宝を手に入れるため……

……ひいてはつまり……世界の中心である……

……私のため……

完全なる私利私欲!

……どうしても私、伝説の宝……

……高野豆腐が食べたいんです……

どうりでタッパーに入っていたわけだ!

……観念するがいい……コバヤシ……

逃げて、コバヤシさん!
逃げて!

……つ……

……か……

……ま……

……え……

……た……

コバヤシさん!

優雅なストリングスを乱す声が、
音楽室に響く。

僕の声だった。

沙鳥の夢に感情移入するあまり、
僕はテレパシーどころか、
実際の声を出してしまったのだ。

音楽室中の視線が、
僕に刺さっている。

そして……。

……な、なに?

小林さんが、きょとんとしている。

そう。
このクラスには、
小林さんという女子がいたのだ。

いたのだった。

……え、えっと

……沙鳥さん、何か助け舟をください

ふふふ……高野豆腐……

まだ、夢の中か!

……

小林さんが、
教室に流れる優雅な旋律にそぐわない、
不安げな目で僕を見ている。

……あ、あの

小林さん!

は、はい……

……

……何か言わないと。

……えっと

芯条です

……

……知ってますけど

……

……だよね!

……

戸惑っている小林さんを見て、
僕は心から思った。

ふふふ……









今すぐ、砂の柱になりたい。

pagetop