屋上に吹き込む風が、思いのほか強く目の前の少女の髪を舞い上げる。
屋上に吹き込む風が、思いのほか強く目の前の少女の髪を舞い上げる。
その少女――相月奈緒は、鬱陶しそうに髪を手で押さえながら、屋上の扉をじっと睨んでいた。
もちろん、彼女にそんな趣味があるわけではないし、僕に女の子の髪が風にたなびく様子を眺めるような趣味もない。
僕らは待っているのだ。
僕らが呼び出した人物が、目の前の鉄扉を開けてやってくるのを今か今かと待ちわびている。
最初に言っておくけど、別に呼び出した人物をこれから傷めつけようだとか、あるいは恋慕の思いを伝えようだとか、そういうつもりは毛頭ない。
これから僕がやろうとしているのは、自分に掛けられた容疑を完全に晴らすことだし、相月はこれからやってくる人物に、その人こそが今回の事件――体育の授業中にクラスメイトの貴重品が紛失し、唯一クラスの中でアリバイがない僕が犯人だと誤解されている事件の真犯人だということを告げることなのだ。
そう……これから始まるのは、テレビや漫画でよく見るような、犯人を前にしての推理。
現場に残された痕跡から犯人の手掛かりを探しだし、その人が犯人だという証拠を突きつけて犯行を認めさせる。
唯一つだけテレビや漫画と違うのは、推理を披露するのが僕ではなくて、クラスメイトの女子ということ。
いや……ぶっちゃけ、推理をしろと言われてもさっぱりできないんだけどね!
だから情けなくても、相月が推理を披露するのをぼけっと眺めるしかないんだけどね!
と、僕が誰に向けたわけでもない言い訳を頭の中で並べ立てているときだった。
重い軋みをあげてゆっくりと屋上へ続く鉄扉が開かれ、僕たちが呼び出した人物――担任の先生が姿を現した。
一体なんだというのだ……?
急に話があるからとこんなところに呼び出したりして……
安心してください、長く時間を書けるつもりはありませんから……
それに……、先生は私たちが先生を呼び出した理由に心当たりがあるんじゃないですか?
鋭く見据える相月に、けれど先生は何のことやらと言いたげに首をかしげた。
その様子に、相月は深々とため息をついてから口を開いた。
あくまでとぼけるんですね……
まぁ、いいです……
それでは、今回の事件……、クラスメイトの指輪盗難事件の真相をお話しします……
さぁ……『すべてを白日の下に晒しましょう……』
ちょっ……ちょっと待ってくれ!
満を持して――それこそ決め台詞を言ってまで――推理を始めようとしていた相月の話の腰を、先生がいきなり折る。
真相も何も、横島があの子の指輪を盗んだ、それだけじゃないのか!?
ええ……
最初は私もそう思っていました……
横島君がただ一人だけアリバイがない状態で指輪が紛失したのですから……
けれど、もう一人……アリバイがない人物がいたんです……
その人物はさっきから私たちの目の前にいるんです……
僕と相月以外にこの場にいる人物は一人……つまり先生しかいない……。
先生もそれが分かったのだろう、緊張したようにごくり、と喉を鳴らした。
そう……
今回の事件の真犯人……
それはあなたです、先生!
相月がびしり、と指を先生に向けると、先生は一瞬だけ動揺したように大きく目を見開いた後、掛けていたメガネを持ち上げて笑った。
は……はは……
何を馬鹿なことを……
私は教師だぞ?
そんなことをするはずないじゃないか……
第一、私が犯人だという証拠もないじゃないか……
馬鹿馬鹿しい!
私は戻る!
そう言って屋上から去っていこうとする先生の背中に、相月が不敵に笑いながら声をかける。
証拠ならありますよ、先生……
何……?
これがその証拠です
思わず立ち止まり、振り返った先生に相月が突きつけたのは、僕が職員室の先生の机の下で偶然見つけた、盗まれたはずの鎖つきの指輪。
さっき、横島君が職員室で偶然見つけたんです……
盗まれたはずの指輪が職員室にあった理由……それこそが先生が今回の事件の真犯人であるという証拠です!
は……はは……
何を馬鹿なことを……
乾いた笑いを浮かべ、先生は首を振った。
そんなのは何の証拠にもならないだろ?
第一、それは横島が私を犯人に仕立て上げるためにそういっただけかもしれないじゃないか……!
それはありえないんですよ、先生……
先生は知らないかもしれませんが、彼が犯人だと疑われたとき、真っ先に私たちは身体検査をやりました……
ですが、結局指輪は彼からは出てこなかった……
そしてそれ以降、彼はどこからか指輪を取り出そうとしたそぶりを見せていない……
つまり、先生が言うように、横島君が先生を犯人に仕立て上げる工作はできないんです……
あれ……?
僕、身体検査なんてされてないけど……?
そんな疑問が僕の頭をよぎるけど、そんなこととは関係ないとばかりに、目の前の状況は進んでいく。
横島君に工作ができない状態で、なおこの指輪が職員室にあった……
それが先生が犯人だという証拠です……
そ……それは……
そうだ!
偶然廊下に落ちていたのを私が見つけておいたのだ!
きちんと後で持ち主に返すつもりだったんだぞ!?
はぁ……
論理が破綻していますよ、先生……
さっきあなた自身が「横島君が犯人に仕立て上げるために細工をした」といったばかりじゃないですか……
それなのに、偶然見つけて拾っておいたとは……
苦しい言い訳ですね……
先生は口をパクパクさせて黙り込んでしまう。
どうやら、もう言い訳をする余裕すらないようだ……。
そう思って僕たちが小さく息をついた瞬間だった。
ふは……!
ふふははははは!
突然先生が笑い出し、僕と相月は思わず顔を見合わせてしまう。
見事な推理だが、残念ながら相月……
君の推理には決定的な証拠がない……
その指輪は本当に私が偶然見つけて拾って置いたものだ……
つまり、その指輪は私が犯人だという証拠にはならないのだよ……
なっ……!
まだ言い逃れを……!
第一、私には動機がない
犯行をする理由がないのだよ!
それをどう説明するのだ?
それがない限り、私を犯人と立証することはできない……
今度は、相月が口をパクパクさせて黙り込んでしまう。
どうやら上手く反論できないようで、悔しそうに唇を噛んでいる。
何か、僕にできることはないだろうか……。
というか、元々犯人にされそうになっていたのは僕なのだから、自分の嫌疑を晴らすためにも、僕こそが率先して何かするべきだ……。
そんなことを考えながら、何かないかとポケットを漁っていると、指先に何かが当たった。
取り出してみると、それは職員室の先生の机で見つけた一通の葉書で、表には「請求書」と印刷されている。
あっ……
もしかして……
つい、口を突いて出てしまった僕の言葉に、悔しそうにする相月と、反対に余裕たっぷりな先生が視線を向けてきた。
そんな二人に、僕は持っていた葉書を掲げてみせる。
先生の動機って……これですか?
その瞬間、先生の顔色が大きく変わり、いきなりがっくりと膝を着いて、訥々と語り始めた。
ああ……そうだ……
やったのは私だ……
妻と離婚し……莫大な慰謝料を払わなければならなくなった私は……得ず借金に借金を重ねるしかなかった……
そうしてどうにもならずに困り果てていたところで、あの娘の指輪を偶然見てしまったのだ……
ダイヤがついた指輪……アレなら売れば借金の返済にも役に立つ……
そう思って魔が差してしまったのだ……
まさか、こんなあっさりとばれてしまうとはな……
自嘲気味に全てを吐き出した先生は、ゆらりと立ち上がると、そのまま屋上の扉を開ける。
素直に罪を認めよう……
校長に全てを話してくる……
指輪は君たちの手で返してくれ……
そういいながら背中を丸め、屋上を去っていく先生を見送り、今回の騒動は全て片付いた。
教室で事件の真相を話し、委員長や被害者に頭を下げられた後、そそくさと家に帰ろうとした僕を、後ろから相月が呼び止めた。
待って、横島君……
……?
どうかしたの……?
あなたにお願いがあるの……
私の探偵の師匠になって!
はぁっ!?
突然のことに目を丸くする僕に、相月は一気にまくし立てた。
今回の事件で私はあなたに探偵としての才能を感じたの!
証拠を的確に抑えて、なおかつあっさりと事件を解決したあの手腕!
正直鳥肌が立ったわ……
あんなの見せられたら、私は弟子入りするしかないじゃないの!
だからお願い!
私にいろいろ教えて!
いいかしら!?
いいわよね!?
先生!
え……あの……ちょ……!
そうと決まれば、善は急げよね!
まずは探偵部を立ち上げて、先生には部長になってもらわないと!
それに、部員募集と部室の確保もだいじよねぇ……
あ、先生は待っていてくださいね!
全て私がやっておきますから!
それじゃ!
頭を下げたり笑ったりと忙しない少女は、完全に僕を置いてきぼりにしたまま、廊下を走り去ってしまった。
こうして僕は、僕の意思とは関係なく探偵部の部長として納まり、相月から「先生」と呼ばれるようになってしまった。