第十一話 吸血鬼ハイネ
第十一話 吸血鬼ハイネ
ご家族に、どなたか吸血鬼でも?
ありがとうございましたー
きれいなお姉さんからコンビニ袋と福袋を受け取りながら、俺はごく自然な動作を心がけて首をかしげてみせた。
は? なんすか?
下からえぐり上げるような声音の中に、
「ダレお前、何言ってんのか意味わかんねーんだけど?」といった、
できうる限りの不信感と警戒心を込めた。
普通のヤツなら空気を読んで、「あ、サーセン人違いでした」と逃げてしかるべき場面だが、目の前のイケメンはそうではなかった。
あれ?
だって月光館の人ですよね?
人懐っこくてどこか有無を言わせぬ言い方。
違います。
負けるか、と思い、俺はレジからぷいと身を翻して出口へと向かう。
コンビニで会った見ず知らずの人間に自分の住処を明かす必要はない。
現代人として当然の身の処し方だ。
ああ、待ってくださいよ。ようやく思い切って声かけたのになあ
イケメンはもたもたとレジをしているようだった。この隙にダッシュして逃げてしまおうかなと、肩越しに後ろをチラ見する。
と、
キミ、松彦のムスコでしょ?
背中にぴたりと貼り付くようにして、男が真後ろにいた。
俺の全身がざわりと総毛立った。
やっぱりそうだー。
ねぇねぇ、なんで松彦のムスコなのに親のカタキと一緒に住んでんの?
俺は出口のドアに手をかけたまま凍り付いた。
あれ? もしかして知らなかったの?
ジル・ド・バードリはあんたの父親を殺そうとしたオトコだって……
オイ
ようやく口から出たのは、俺の人生で最も低い声だった。
てめぇ誰だ!!
俺は振り向きざま男の胸倉を捕まえた。男は抵抗するでもなく、いびつな微笑みを浮かべたその美しい顔をまっすぐに俺に向けていた。
ちゃんと自己紹介するからさあ、ここを出てゆっくりお茶でもしようよ。
……ここだと、ね?
男が親指をくいくいと後ろに向ける。はっとして顔を上げると、
アスカセラーズの看板娘たる店員のお姉さんが、俺たちに向けて防犯カラーボールを振りかぶっていた。
…………
って、それカラーボールじゃないよね!?
その宝珠、内に炎を宿して燃えているよね!!
うぁっ、す、すみません、だいじょぶです!!
今まさに発動されようとするいにしえの呪文か何かを俺は必死のジェスチャーで制すると、男の服をぐいと引っ張ってコンビニから連れ出した。
えー、ここだとまぶしーよ、ファミレス入ろうよー
ずかずかと公園に向かっていく俺に、男は甘えた声で言う。
つーかこいつ何歳なんだろう。俺と同じくらいか、俺よりも若く見える。大学生くらい、下手すると高校生か。
ただ間違いないのは、その洒脱な出で立ちからして、マトモな人間ではないということ。
真っ白い肌、銀色の髪。これではまるで……
なんならこのまま月光館に行ってもいーんだよ。
久々にジルおじさまに会いたいし
やっぱり。
お前、吸血鬼か
予想はしてたでしょ?
僕は、ファルネイユ・ド・フランヴァル。愛称はハイネ。よろしく
……今のところ、限りなくよろしくしたくない
えー、僕は名乗ったのにー。名前おしえてくんないとムスコって呼ぶよ
その呼ばれ方は最悪だ。
……アマネ。渋澤普。
ふうん、そんな名前をつけたんだ
妙にしゃがれた声で言うと、吸血鬼ハイネはまた子供のように微笑んだ。
よろしくね、アマネ。会えてうれしい、これはホントだよ
吸血鬼は木陰を選ぶと、俺がそうする前にぺたんとベンチに座った。
あー、いくら夕方でも直射日光はちょっとつらいよね。日焼け止め塗っててもピリピリしちゃう
日焼け止めで何とかなるもんなのか
今どきの日焼け止めなら何とかなるよ。
SPFは100、
PAは++++がマストだけど。
あれ、おじさま日焼け止め使ってないの?
多分知らないと思う
あー、そしたら家から外に出てないんじゃない? 教えてあげてよ、日焼け止め塗っとけば、午前中はムリだけど午後なら外出れるからって
あ、うん……
俺は少し拍子抜けしつつ、しかし相手のペースに乗せられまいと自分に言い聞かせながら、仁王立ちで腕組みをした。防御の構えだ。
で、てめーは何しに来たんだ
怖いなあ、ここに座ればいいのに
大して怖がっているふうもなく、ハイネは自分の隣をぽんぽんと叩く。
俺が返事をしないでにらみつけていると、吸血鬼は苦笑して足を組んだ。
……別に何しに来たってわけじゃないよ。
おじさまが目を覚ましたって風の噂に聞いたから、会いに来ただけ。
ヒマだし、昔話でもできたらおもしろいかなーって
だったら直接月光館に来ればいい。俺にあんなことを言う必要はないだろう
だって、なんか、ムカついてさー
ハイネの目に、赤い光がきらめく。
お前がおじさまと楽しそうに暮らせるなんてありえないでしょ。さっきも言ったけど、おじさまはお前にとってはカタキなんだから。
ってことは、何も知らないで、何も知ろうともしないで呑気に暮らしてるってことでしょ?
…………
そういうの、ムカつくんだよねー。こっちは25年も気を使って、いろいろ苦労をしてきたのにさー。松彦だって……
ぶちんと、俺の頭の中の何かがキレた。
とかく、俺にとってはその名前が、その存在が地雷なのだ。
だから何知ってるんだっつってんだよ
俺はハイネの頬スレスレに拳をかすめさせ、後ろの樹にぶつけた。
うわぁ、幹ドン
てめぇ、あいつになんか関係あんのか。あるんならぶっとばすぞ
……ふぅん
ハイネはごく近距離で俺を見据えると、カチャリとサングラスを取った。
すごく迷ってる目をしてる。知りたいし、知りたくないから、そんなに怒るんだね?
ぶっ飛ばす。決定。俺はハイネの胸倉をつかみ、
松彦は、僕と暮らしてるんだ。
拳を振り上げる。
25年前、病気で死にかけていた松彦を、ジルは見殺しにしようとした。志摩さん、つまり君の母上が、僕に松彦を生かしてほしいと依頼してきた
俺は動きを止めた。
情けないけど僕はジルと戦って負けた。
でも、君の母上がジルを封印したんだ
!?
僕と松彦は生きるために一緒に暮らすことになった。あれから僕らは二人で、結構苦労したんだよ。
情報を整理できずに、拳を振り上げたまま懊悩している俺に、ハイネはたたみかけるように囁いた。
松彦と僕の運命をめちゃめちゃにした元凶は他でもない、おじさまと夜子だよ。
それなのに君は、あの月光館で、おじさまと楽しく暮らしてる。
君たち家族をばらばらにしてしまったのはおじさまなのに。
ねえ、志摩さんが生きていたら今のきみのことを何と言うだろう?
…ちょっ……ちょいまち……
俺の振り上げた拳はへなへなとチカラを失った。それどころか、足すらも俺を支えることをやめ、俺はぺたりとその場に膝をついた。
おっと
傾く俺の体を、ハイネが抱き支える。
え、何? 何がどうしたって……?
ああ、ごめんね。混乱するよね。
大丈夫、僕が全部ゆっくり話してあげる。
その時間はたっぷりあるし。
……おふくろが、ジルを……
はっ?…ええ……?
わけわかんないよね。そうだな、手っ取り早くキミこっちに来ちゃおうか?
…………
耳元でささやかれている言葉さえもよくわからず、俺の頭の中でいろんなものがバグっていた。
特に、ジルに関する情報が繰り返し再生されては。俺を混乱させていた。
いや、ジルがそんなことをするわけがなくて、でも、うちのお袋がジルを封印したとすれば、いろいろな、つじつまは合って。
でも、いや、そんなばかな……
だから俺は、
首元に押し付けられた冷たい唇の感触も、小さな牙の違和感にも気づけなかった。
それがいいね。
とりあえず何も考えなくて済むからね?
つぷ、と微かな痛みが走り、
!?
……
でやあっ!!
俺が痛みに気づいたのと、北鎌倉の回し蹴りがハイネの頭に炸裂したのは同時だった。