面倒な仕事だな、と思ったのは自分だけではあるまい。

 元・SAT隊員にして、現在はPMCの社長を務めている石谷泰山は、四人の部下と共に二人の子供とアキレウスが逃げたと思しき座標――つまり、かつては背徳に塗れていたであろう建物が居並ぶ廃墟に赴いた。

 泰山は近くに停めたバンの車内でタブレットの画面を見下ろしながら、現場に向かわせた四人に無線で呼びかける。

石谷泰山

こちらG1。アルファ、ブラボー、応答せよ

こちらアルファチーム。回線良好、どうぞ

こちらブラボーチーム。右に同じ、どうぞ



 現在は部下四人を二手に分けてツーマンセルで行動させ、それぞれをアルファ、ブラボーと呼んでいる。高校生らしき子供二人と犬一匹が相手なら四人それぞれをばらけさせるのもアリかと思ったが、あのスキンヘッドの巨漢と、彼を引き連れて逃げたもう一人の少年の行動や言動が多少なりとも引っ掛かる。

 だから慎重を期した訳だが、少しやり過ぎなのだろうか。

石谷泰山

各員に告ぐ。目標はあくまでアキレウスの捕獲。それ以外の要素は全て無視するんだ。間違っても民間人に怪我を負わせてはいけない。アキレウスを連れて逃げた子供達に関しても同じだ。どうぞ

こちらアルファ1。子供達が攻撃してきた場合はどうしますか?

石谷泰山

普通に考えれば有り得ないだろうが、その場合は任意に反撃、拘束しろ。しかし殺傷兵器の使用は可能な限り控えろ

了解

石谷泰山

よし。では、作戦開始

 この合図と共に、タブレット上に表示された四つの青い点が一斉に動き出す。

このマーカーは味方が持つGPS端末の位置情報だ。実は逃亡犯とアキレウスの現在地点を割り当てられたのも、少年二人が持つGPS端末――つまりスマートフォンの位置情報を追ってきたからだ。ヘリコプターで公園に降下する直前、念の為に二人の信号をタブレットに登録しておいて正解だった。

野崎栄子

本当に大丈夫でしょうね

 隣で管を巻いていた野崎夫人が横柄に訊ねてくる。

野崎栄子

もしこれで捕まえられなかったら――

石谷泰山

何一つとして問題は無い。相手は袋の鼠です

 飄々として答えてやったが、泰山は正直、早く家に帰りたい気分でいっぱいだった。

 何が悲しくて、俺達は一頭のドーベルマンの為に会社から慌ただしく出て来なければならなかったのだろうか。野崎夫人の旦那、つまりはこちらの会社に高性能なGPS機器を提供してくれる電子機器メーカーの社長との縁が無ければ、こんな仕事は適当な理由を付けて断ってやれたものを。

 まあいい。相手は少数だ。それに、さっきから彼らは同じ場所から全く動いていない。

石谷泰山

……ん!?

 再び確認したタブレットの画面に、信じられない異変が起きていた。

 なんと、相手側を示す赤いビーコンがもう一つ出現して、アルファチームのアイコンに向かって一直線に突っ込んでいたのだ。

 アルファチームの二人は互いの背中を護りながら、忙しなく特殊警棒の先端を揺らし、慎重に寂れた路地を進んでいた。

 隊長がGPSモニターを見ながら進む方向を示してくれるとはいえ、現場でこそ何が起きるか分からない。もしかしたら高校生の分際で生意気にもブービートラップを仕掛けている可能性もある。

 そろそろ相手との位置も近い。さらに集中して、注意力を極限まで高める。

 目の端に黒い影が通り過ぎ、アルファ1はその方向に警棒を突き出す。

 誰も居ない。気のせいだろうか。

どうした?

いや、いま誰かいたような気が……

がうっ!

 余所見をしたアルファ2の真横から、黒いドーベルマンが体当たりを仕掛けてきた。

うわっ!? こいつ、アキレウスか!

捕まえるぞ、そこを動くな!

葉群紫月

そうそう、そこを動かないでちょーだいっ

 慌てるアルファ1の後頭部に、硬い何かが直撃した。

火野龍也

……あんた、一体何モンっすか

葉群紫月

さあな

 白々しく答えると、紫月はたったいま地に伏した二人の元・SAT隊員の腰に括り付けてあったホルスターから手錠を抜き出し、それぞれの手首を後ろ手に拘束してやった。

 さらに、戦利品として警棒を二本押収、うち一本を龍也に投げ渡す。

火野龍也

わっ……ちょっと!? 勝手にかっぱらっていいんすか!?

葉群紫月

緊急事態だし、御守りぐらいにはなんだろ。それより、残りのもう一分隊がもうすぐここにやってくる

 紫月はたったいま龍也の足元に戻ってきたアキレウスを見遣る。

葉群紫月

あいつらが早い段階から俺達の位置を掴んだのは、俺達が持ってるスマホのGPSの信号をキャッチしているからだ。だからさっきはそいつを逆利用した一手で奇襲をかけてやったが、二度も同じ手はさすがに使えないな

 アキレウスが首から提げているストラップ付きの端末は、杏樹が紫月に手渡した仕事用のスマホだ。おそらく相手からしても、一人の民間人が二つ以上のGPS搭載端末を持っているとは思わなかった筈だろう。

 とはいえ、もう相手は迂闊にこちらへ接近してはくれない。

 さて、そうなると、次の対抗策を打たねばならないが――

石谷泰山

こちらG1。アルファチーム、応答せよ……くそ、駄目か

 意外にも相手は反撃という道を選んだらしい。しかも、アルファチームを示す二つのビーコンが一か所に留まったっきり動いていない。

石谷泰山

こちらG1。ブラボーチーム、応答せよ

こちらブラボーチーム、どうぞ

石谷泰山

アルファチームが一瞬で無力化された。しかもこちらのGPSモニターを逆手に取ってくる。こうなった以上は電子端末が頼りにならない。これから俺も出撃するが、そちらも気を引き締めて対処に当たれ

了解

 無線を切り、泰山は野崎夫人を残してバンから飛び出した。

 相手はアキレウスをちらつかせれば必ず後を追ってくる。彼らにとって紫月や龍也の存在は二の次で、本命はアキレウスでしかないからだ。

 なので、まずはアキレウスを残りの分隊の前に放ち、適当に走り回らせて彼らを疲弊させ、今度は潰れたスナックの最奥部に飛び込ませる。すると、連中はスナックの正面口手前で立ち止まり、周囲をつぶさに見回し始めた。

 あのまま馬鹿正直に店内に足を踏み入れはしないか。しかも、背後や頭上をお互いにカバーし合っている。

 おそらく奴らにも自分の仲間が倒されたという情報が既に届いている筈だ。だから尚更、こちらの戦力に対して疑心暗鬼の目を向けるようになる。周囲への警戒はより鋭くなり、神経はより過敏に反応する。

 それにしても彼らの構えには隙が無い。こちらから頭を出せば、即座に反応されて取り押さえられそうな予感がしないでもない。

 だから、どうした。

 紫月は自分に図太くなるよう言い聞かせ、アキレウスが入ったスナックとは対岸に位置する別の廃屋から躍り出る。

 警棒を装備した二人の元・SATが臨戦態勢に入る。

 いいだろう。銃を使わないなら、こっちにもまだ勝ちの目はある。

 相手の一人が正面から肉薄してくる間に、もう一人が紫月の斜め後ろに一瞬で回り込む。正面の一人が仕留め損ねても、後ろの一人が確実にこちらを取り押さえられるという算段か。

 上手い兵法ではある。だが、それはあくまで、普通の犯罪者に対してのみの話だ。

 紫月は背後から突き出された警棒の先を横に飛んでかわし、体を回転させて十手を横にひと薙ぎ、まずは一人目の横っ面を打ち抜いて昏倒させる。

 残りの一人が慌てずに正面から警棒を振りかざしてくる。こいつはいま倒したのと違って接近戦の手練れだ。まるで、アクション映画の殺陣さながらの身のこなしをこれでもかと見せつけてくれる。警棒による打撃だけでなく、手首や体勢の奪い合いも挑みにくるあたり、もしかしたらこいつは本物の格闘家なのかもしれない。

 でも悪いな。これならまだ――

葉群紫月

入間の方が、
もっと強いんだよ!

 逆手に持った十手を突き上げ、鉤で相手の警棒を絡めて奪い取り、左手にさっき押収した警棒を握り、鳩尾に思いっきり先端を叩き込んでやった。

 これで地べたに伏せる元・SAT隊員が二人。残りは隊長格の一人だ。

火野龍也

本当に一人で倒しちゃいましたよ

 スナックの奥から龍也がアキレウスを伴って現れた。アキレウスによる最初の奇襲が成功したのも、龍也にアキレウスの手綱を握る役割を与えたからに他ならない。

火野龍也

ほんと、葉群さんって何モンなんスか

葉群紫月

そいつを簡単に教えて良いモンか、ちょーっとだけ迷ってるんだわ

石谷泰山

俺も知りたいな、君の正体を

 もはや奇襲する気も失せたらしい。隊長と思しき三十代くらいの男が正面からゆったりとこちらへ歩いてくる。

 男は立ち止まり、脇に抱えていたタブレットをちらつかせながら言った。

石谷泰山

まさかこうもあっさり俺の部下を制圧するとは恐れ入った。このタブレットはもうただのガラクタだな

葉群紫月

あんたが隊長だな

石谷泰山

石谷泰山という者だ。以後よろしく

 ここまで来て以後も事後もあるか、などと思ったのは忘れておくとしよう。

石谷泰山

良い事を教えておいてやろう。野崎夫人の旦那はGPS機器の製造を中心にしている中小企業の社長でね。よく高性能な位置情報端末を融通してもらってる

 言われなくても知っている。黒狛探偵社や白猫探偵事務所が有する特殊なGPS関連機器は全てその会社が作っているからだ。

石谷泰山

ところで、一個質問だ

葉群紫月

今度は何すか

石谷泰山

野崎夫人は犬探しに探偵も雇ったと聞いている。君がその探偵かな?

火野龍也

え? 探偵!?

 龍也の声が裏返る。

火野龍也

探偵って……葉群さん、あんた探偵なんすか!?

葉群紫月

…………

 どうしよう。あまり周りに言い触らされたくない事案なんだけど。

葉群紫月

……もし俺がその探偵だったとして、あんたは俺の話を聞いてくれるのか?

石谷泰山

事情を聞く気はあるし、君の目論見は大体把握している

 どうやら話が分かる相手のようで助かる。

 泰山はやや呆れ気味に苦笑する。

石谷泰山

いまの彼女は所謂、『虎の威を借りた狐』という奴だ。ここで言う虎は俺達のことだから、俺達さえ倒せば狐たる野崎夫人を完全に黙らせることができる

葉群紫月

人の話を聞かない奴にはこれが一番確実な手段ですよ

石谷泰山

けどな、俺達にも面目という奴がある

 安心するのも束の間、泰山が腰から特殊警棒を抜き出す。

石谷泰山

一介の未成年に戦争屋が四人も制圧された。これでは彼らのトップである俺の面目も丸潰れだ。ここまでやった君のことだ、俺の言っている意味、分かるよな?

葉群紫月

やっぱりあんたも潰さなきゃ野崎夫人には辿り着けないって訳か

石谷泰山

安心しろ、銃器は使わん。決着はシンプルな方が良い

葉群紫月

仕方ない

 紫月も腰を落とし、十手の先を前方に差し出す。

葉群紫月

やったろうじゃねぇか

火野龍也

あのー、葉群さん?

葉群紫月

お前は犬と一緒にそこで待ってろ。すぐ終わらせる

 紫月と泰山は大股で歩いて距離を詰め、互いの得物が届く間合いまで迫ると、早速十手と警棒の打ち合いを始めた。

 さっきの奴も大概だったが、石谷泰山とかいうこの男の警棒捌きは別次元だ。速さは然ることながら、体捌きも大柄な見た目からは想像もつかないくらい身軽で、一撃の重さは見た目通りの威力を体験させてくれた。

 一撃を十手で受ける度に腕が痺れる。防御のつもりが、直撃よりも性質の悪いダメージを負っている気がしなくもない。

 マシンガンのような乱れ突き、上から被せに来るような大振り、下段からの切り上げ、瞬転して回し蹴り。どれも捌き切るには骨がいる。

 圧倒されているのは、やはり紫月の方だった。

石谷泰山

やるじゃないか

 打ち合いの最中、泰山が涼しい顔で評価する。

石谷泰山

どうだい、うちの会社に鞍替えするというのは

葉群紫月

俺は黒狛の探偵だ!

 この野郎、舐めやがって。こっちは喋る暇すら与えられていないというのに。

 でも、残念ながら見下されても仕方ない戦況だ。あちらは余裕を保っているのに対し、こちらは徐々に疲弊して反応も鈍っている。

 SATは銃の扱いだけの連中じゃないのかよ――と、弱音を吐きたくなる。

 いっそ、このまま倒されるのもアリなんじゃないか? という脆弱な思考が腹の底から喉の中間まで上がってきた。

 よく考えてみれば、この男はこちらの話を聞く気ではいると明言しているのだ。つまり、紫月が倒されようが倒されまいが、何なら降参しようが、泰山を通して野崎夫人を説得することも可能なのだ。その際に依頼の関係もあって紫月の正体を彼女にバラさなければならないのは痛いが、場合が場合なので仕方ないと割り切るしかない。

 だから、ここでわざと相手に気持ちよく勝たせるのも、アリなんじゃないのか?

番外編01「黒犬パラドクス」 その二

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