神さまの春休み・1
神さまの春休み・1
穂波山、標高514mで、穂波棚田で有名。
穂波山の中腹にある山池からの用水と、東西に渡る尾根により、南向きの山面に棚田が作られた。
南方から来る海風により、常に空気が循環され病が付きにくく、南側に緩くカーブした尾根により、山には常に日が当たるため、棚田に適した環境となっている。
南向きの太陽からの照り返しと海からの風で穂が揺れる様から、穂波山と名付けられた。
また、棚田を縫うように植えられたソメイヨシノの花が揺れることから、桜波山とも呼ばれている、と
図書館で借りた郷土史をバス揺られながら読み進める。
海岸線を沿うように進むバスは、すっかり春の雰囲気だ。
田んぼでは土起こしが始められ、畑では冬の間に植えていた豆科植物が花咲いていた。
そういえば、昨日は菜の花のおひたしが出たな、と思いつつ、流れる風景と西日の暖かさを感じていた。
車山市内から国道バスに乗り、一時間ほど南下した停車駅が穂波山の最寄り駅だ。
そこから、歩いて30分ほどで、有名だった棚田にたどり着く。
時間はすでに夕刻、昏くなる空に夕焼けの赤が残る、大禍時――現世と常世の挾間の時間だ。
一応、『神さまに出会うには』ハウツー本に沿ってみたが、果たして……
と、僕は薄暗くなった棚田を見回す。
確かに、立派な棚田だった。
棚田の壁面(法面、と言うようだ)である部分は、土で固めていた。長年よく管理されていたからか、壁面はよく均されていて、雑草はまばらにしか生えていない。
僕はそのあと、首をかしげた。
田の方も、雑草は方々で生えてはいるが、量が足りない。これだけ日の当たる場所だというのに、ススキが群生していないのは、あり得なかった。
それどころか、あぜには大豆、水抜きされた水田には蓮華草という植え付け無ければ生えない植物が生えていた。
少なくとも、数年野放しされている田んぼのようには見えなかった。
そして、山際と田んぼを縫うように生えている桜の樹。数十本はあろうかという桜の樹は、年輪を増やし、悠々と太さを増していた。だが、見るところはそこじゃない。
すべての桜の樹に取り付けてある、注連縄。
ここは、放置されている訳ではない。誰かが来て、管理されている神住まう土地だった。
僕は、神地に入っていたこと理解すると、無意識に背筋を張る。
そして、向き直ると、
あら、珍しいわ珍しいわ。若い男が種なしに困っているのいるの?
……
居た。白く長い髪の女性が。
でも種なしではないみたいだし、何をしにここに来たの来たの?
神秘的な女性だった。
透き通るような白い肌に、少し桃色がかった白い髪、大人なのか子供なのか人目では見分けが付かない背丈だけど、その闇夜桜の着物の着こなし方は、妙齢の女性のそれだった。
しかし、僕はその風貌よりも、向こう側にある存在感を感じ取ってしまった。
一目では、影が薄く希薄で華奢な人かと思えば、二目では、計り知れないほどの存在感が揺らめいている。
疑いようのない、神さま、だった。
おーい、聞いてるかな。生きてますかー生きてますかー
人の目には有り余る神さまの存在感を目のあたりにして、僕は言葉を失っていた。
……ああ、ごめんねごめんね。まさか一発で私の神威を見抜いているなんてなんて
手をパン、と合わせ僕に謝罪する神さま。まさか神さまに謝られるなんて、恐れ多いことこの上ない。
と思って僕は、ん?と首をひねる。ここまで自分は信仰心とかあっただろうか、と。
いけないいけない、このままだと私の『もの』になっちゃう、それでもいいけど巫はもういらないしいらないし
少し考え込む神様。その一挙一動に僕は魅入ってしまう。
最近、ちからを集めすぎたすぎたかしらかしら。
うん、ちょっとちからを分散させましょうそうしましょう
はっ、という神様の声とともに、衝撃波のようなものが神様から発せられた。風が、棚田にあるすべてのものを揺らしていく。そして、
山の桜が、一斉に花咲いた。
……?!
驚きで目がちかちかする。
桜の香りが棚田の土の匂いを吹き飛ばし、淡い燐光を纏った桜吹雪が山を照らす。
神の奇跡だろうか、視覚、嗅覚、そして聴覚を奪われながら、僕はその光景から目を離せなくなっていた。
そして、数分後、落ち着きを取り戻した僕に、神さまが一言。
どう? これで私と話が出来るかな出来るかな?
僕はゆっくりと、首を縦に振った。