三日も経つ頃にはスクウェアM百夜街道沿い店にはいつもの閑古鳥が帰ってきて、自分の巣のように居座っていた。

暇になっちゃいましたね

百手

うぅ、私のお客さん

そんなに落ち込まないでくださいよ

ゆかり

そうそう。お客さんが多すぎると大変だしねー

じゃあ、富良野さんも手伝ってよ

ゆかり

あたしは面倒だからパース

秋乃

マスター、忙しい方が良いのですか? 忙しいと体力や精神力に負荷がかかり、体調を崩す恐れがありますが

何事も適度がいいんだけど、暇だとそれはそれで精神に負担がかかるし

秋乃

私にはよくわかりません

そう言われると返す言葉もないけどさ

半分以上戦力外なんだもんなぁ

 ゆかりは当然として、小木曽はゆかりの指示がなければ側を離れないし、百手は客を見ると背中から触手が出てきてしまう。

百手

それじゃ何かボーナス出そうか

今の話聞いてました!?

百手

ここ数日、売上よかったね、って

いいとこだけ聞いて、悪いことが抜けていってる!
また売上が戻っちゃったって言ってるんですよ!

百手

でもここ数日頑張ったのは事実だし

ゆかり

そーだー。ボーナス欲しー

富良野さんは頑張ってなかったよ!

百手

たとえば社員旅行とかどうだろう?

どこに行くんですか?

百手

春先から営業している温水プールがあるんだけど

ゆかり

あたし包帯が濡れるからパース

秋乃

私も防水には問題がないですが、泳げないので

百手

うーん、残念

 顎を擦って唸る百手の背中から何故か触手が一本伸びている。

何で、って、あの触手カメラのレンズ拭いてるよ。水着の写真が撮りたかっただけだな

百手

それじゃどうしようか。福利厚生を充実させるのも店長の務めだからね

収支を考えて経理するのも立派な店長の仕事なんだけどなぁ

福利厚生って、例えば?

百手

要は社員に特典をつけるんだろう? 廃棄のお弁当持ち帰り可、とか

ごめんなさい。俺既にやってます

だってほぼ全部残るんだもの。もったいないよ

百手

えぇと。じゃあ私の秘蔵の紅茶。休憩室のやつ。あれが飲み放題

ゆかり

あれおいしくなくない? なんか変な味するし

富良野さんがそれ言う!?

百手

ラプサンスーチョン。おいしいと思うんだけどなぁ

 店長秘蔵の紅茶はちょっと珍しい紅茶葉で、キッチンに大量に入庫されてある。とにかく癖の強い紅茶で要も一度勧められて飲んだことがあるが、砂漠にでも行かない限りは二度と飲まないと思っている。

百手

じゃあ、段ボール箱持って帰っていいとか

ネタ尽きましたね?

秋乃

それはとてもよい考えだと思います!

あ、秋乃さん落ち着いて

秋乃

私の部屋を全て段ボールに作り変えることも夢じゃないです!

段ボールハウスに住むのが夢なの!?

 キラキラと発光しているような笑顔で夢想する秋乃に要はどう答えてやればいいかわからない。

っていうか普通に金一封とかじゃダメなのかなぁ

 あれやこれやと話し合う面々から一歩引いて、要は窓の外に広がる青い空を見上げた。

 結局話はまとまらず、百手が何かやる、とだけ言い残してボーナスの話は打ち切りになった。

 そして、要はすっかり忘れていた。

 百手の金遣いが荒いこと、謎のコネがあること、やることが少しズレていることを。

何これ?

 いつものようにコンビニに自転車でやってきた要は通うのにも慣れてきたバイト先を見上げていた。

なんで伸びてんの? この建物もなんか秘密があるわけ?

 普通より土地が広く大きいとは思っていたが、さすがに階数は間違えない。

 昨日までは平屋建てだったはずの店舗が三階建てになっていればすぐにわかる。

この建物は竹でできてて、最近はよく育つ時期だからそれで……

ってそんなわけあるかー!

百手

どうしたんだい、高橋くん。そんな大声出して

大声も出ますよ。なんでちょっとしたビルに変わってるんですか。しかも一晩で!

百手

ほら、福利厚生

はい?

百手

福利厚生のために社員用の施設を充実させようと思って

それと増築に何の関係があるんですか……

百手

せっかくだから高橋くんも見てきなよ

 百手に勧められるままに要は店の奥、ロッカールームに続く道を歩いていく。

 休憩室、キッチン、シャワールーム。

 そして最奥のロッカールームの隣に無理やりつけたような階段が鎮座していた。

ゲームの隠し階段じゃあるまいし

 恐るおそる一段目を踏んでみるが、崩れる心配はなさそうだ。

福利厚生って言ったってそんな一晩でできることには限界が

 二階に上がった要の目に飛び込んだのは、高級そうなトレーニング器具だった。

 二階の半分ほどのスペースにルームランナーやバーベル。要が名前を知らないウェイトがたくさん付いた器械もある。

小木曽

あ、高橋さんっすか

何やってるの?

小木曽

少し鍛えておこうかと思いまして

 汗を流していた小木曽が平然とダンベルを持ち上げている。

なんで簡単に順応しちゃってるの!?

小木曽

最近運動不足かと思いまして

話聞いてないし

っていうか運動不足じゃなくてウイルス感染なんだけど

 ジムに通った事はないが、普通に営業しているスポーツジムなら入会金だけで一万円くらいは取られそうな設備だ。

隣は脱衣所、ってことはシャワールームか。洗濯機もついてるし、ってお風呂もある!

 いったいいくらお金を使ったのか。聞く気になれずに要は三階に上がった。

 室内にしては少し肌寒いコンクリートの階段を上がりきると、急に足元が暖かくなる。

 世界が切り替わったかのように足元が柔らかな絨毯で覆われている。

ゆかり

あ、要くんだ

富良野さん、何してるの?

ゆかり

だってここのソファすっごく気持ちいいんだもん。要くんもどう?

遠慮します

 うって変わってホテルのエントランスのような豪奢な趣。ゆかりがいつもの休憩室のように転がっていなければ店を間違えたと飛び出してもおかしくない。

置いてある雑誌は全部一週間遅れだけど

 フロントがない分広いスペースから一本廊下が伸びている。

もしかしてこの奥の部屋って

ゆかり

あたし達の仮眠室だってー

仮眠レベルじゃ済みそうにないんだけど

 要は廊下を進み、自分の名前が書かれた部屋の扉を開けてみる。

うわ、広い。机ついてるし、小さなクローゼットもあるし。これ、キングサイズのベッド?

 横になると立ち上がれなくなりそうで、要はゆっくりと手で押してみる。抵抗も少なく沈みこんだ腕をすぐさま引き抜いた。

ダメだ。半端な覚悟じゃここから帰れなくなるぞ。うちの布団と交換してほしいよ

ゆかり

どう、すごかったでしょ?

富良野さんは何もしてないじゃない

ゆかり

ふーんだ

 一向に起き上がる気配を見せないゆかりを放っておいて、要は一階に戻ろうと階段を目指す。

 すると、さらに上に向かう階段があることに気がついた。

もしかして屋上もあるの?

 見つけてしまったからには行かないわけにはいかない。要は運動不足の体を重力に逆らって上に進む。

俺もジムで鍛えた方がいいかな

 青空の下、コンクリートで固められた屋上には見事なプールが埋め込まれていた。

店長、どんだけ水着が見たいんだよ

 まだ水泳には涼しすぎるからか水は入っていないが、プールサイドでは秋乃が少しだけ水のたまったプールの水面に顔を映している。

何してるの?

秋乃

えぇと、私は誰でしたっけ?

懐かしいなぁ、それ

秋乃

マスター、このプールはあまりにも水深が低いと思うのですが、人間はここで泳ぐのですか?

いや、まだ少し寒いからね。もっと暖かくなったら水を入れるんだよ

秋乃

寒い。なるほど。私には体感気温というものがないのでわかりませんでした

プールの水面見つめてるけど、何かいるの?

秋乃

いえ、今朝ここに来たところ店舗の形状が変わっていたのでデータを修正していたのです。情報量が多いので、再起動後にアップデートが必要でもう少しかかります

そっか。焦らずゆっくりやってくれていいからね

秋乃

ありがとうございます

 また水面を見つめ始めた秋乃を置いて、要は階段に戻る。

なんか福利厚生を充実させた結果、士気が下がってるんだけどいいのかな?

 疑問を胸に抱えたまま、自分だけは頑張ろう、と要は拳を突き上げた。

四話 喜劇的ビフォーアフター!(前編)

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