閑散としている事務所に足を踏み入れ、呆然と室内を見渡す。

アイドルポスターや壁時計は外され、
パーテーションや応接セットなどのオフィス家具はなく、
私が愛用していたデスクが広い空間にぽつんと残されている。

その上には会社支給のデスクトップパソコンや資料が雑然と積み上げられていた。

月城虎子

私が日本を離れている間に、何があったの……?

竜胆あんな

虎子さん……

あら? また来てくれたんですか?

聞き覚えのある声に、ハッとして振り返る。

開け放したままだったドアの前。

立ち尽くしていたあんなに声をかけているのは、私を日本に呼び寄せた張本人――香谷里見先輩だった。

香谷里見

前にもお話したとおり、プロデューサーさんには今、アイドルのライブをプロデュースできる余力がないので、お仕事は受けられないんですよ

竜胆あんな

いえ、あの、今日はそうじゃなくてっ

月城虎子

里見先輩っ!

何やら話している二人の声を遮るように、私は声を上げた。

里見先輩とあんなは、驚いたように目を丸くしてこちらを見る。

香谷里見

え、虎子ちゃん? もう帰国してたんですか?

月城虎子

はい。今日の昼過ぎに。訪問は夕方五時以降にとのことだったので、この時間まで他の場所に行っていました

香谷里見

あ、到着って今日だったんですね。連絡してくれれば迎えに行ったのに

月城虎子

いえ、お気になさらず。一人で来たおかげで、よき出会いもありましたし……

私は、ちらりとあんなを見やる。

あんなは不安そうに眉尻を下げて、私と里見先輩の顔を交互に窺っていた。

だが、それを気遣えるだけの余裕が今の私にはなく。
曖昧に微笑み返すことしかできなかった。

香谷里見

とにもかくにも、おかえりなさい。大変な時期なので本当に助かります

月城虎子

ただいま、です。日本へ帰ってくることに躊躇いがないわけではありませんでしたが、プロデューサーの頼みとあれば断るわけにはいきませんから。ところで、私がいない半年の間に、一体何があったんですか?

香谷里見

それが……

里見先輩は言いづらそうに目を泳がせた後、意を決した様子で私を真っ直ぐに見つめた。

香谷里見

アイドリズム総選挙が……なくなったんです

月城虎子

え? なくなったって……そんなはずは……

アイドリズム総選挙とは、歌手、女優、モデル、声優、ダンスパフォーマー、動画投稿サイトのクリエイターなど、あらゆるジャンルのアイドルが集い、ナンバーワンのアイドルを決める究極のアイドルレース。

すべてのアイドルが目指す華々しい大会だったはずなのに、それが突然なくなってしまったなんて、一体どうして……?

香谷里見

信じられないかもしれませんが、事実です

里見先輩は消沈した様子で、私たちをデスクへと招いた。

スリープモードになっていたパソコンを起動させ、インターネットでニュース記事を呼びだす。

見出しには大きく『アイドリズム 崩壊!』と書かれていた。

香谷里見

大手芸能事務所のひとつ、『1 million music』の社長の十八歳未満のアイドルに対する労働基準法違反疑惑を皮切りに、ネットが炎上。他のアイドル事務所でも、根も葉もない噂が飛び交い、過熱化したメディアによるスキャンダル騒動が相次ぎまして……

スクロールしていくと、アイドリズム総選挙委員会に加入していた各芸能事務所にかけられた疑惑が表になっていた。

香谷里見

イロモノ事務所化した結果アイドルに逃げられたり、アイドルが宇宙に行ったまま帰ってこないと何故か財界まで巻き込んで大騒ぎになったり……

竜胆あんな

うう……イヤな記憶が……

香谷里見

結局、そうした騒動の結果、1 million musicは倒産し、実行委員会が空席状態に。アイドリズム総選挙は事実上の無期限停止となってしまったんです

まさかそんなことになっているなんて、思いもしなかった。

説明を聞いても、信じがたいという気持ちが勝る。

けれど、その話が事実である証拠が画面には映し出されていた。

香谷里見

その煽りを受けて、アイドルというもの自体に悪いイメージがついてしまい、どの事務所でもアイドル部門が廃止になったり、縮小したり……

香谷里見

今となっては、以前から巨大グループとして活動していた『TRAMP』のメンバーが、アイドル界を背負って活動しているという状況です

里見先輩は事情を説明しながら、ニュース記事を遷移させていく。

そこには、1 million musicを代表するアイドルとして、猫耳宇宙人アイドルと、そのアイドルを中心とした、宇宙人、ロボット、妖精の異色ユニットの宣材写真が掲載されていた。

月城虎子

まあ、こんな正統派アイドルではない、イロモノばかりが出場しているようでは、根も葉もない噂が立つのも仕方がないという気もしますが……

竜胆あんな

え、そんな……た、確かにイロモノかもだけど、結構、その、可愛くないですか!?

月城虎子

顔は可愛いけど……ん?

何故か必死にフォローするあんなの言葉に釣られて、改めて画面を注視する。

すると、妙な既視感が湧き上がってきた。

この杏菜・リンドバーグというアイドル、どこかで会ったことがあっただろうか。

こんな目立つ子と同じ現場になれば、忘れることはないと思うのだが……。

竜胆あんな

いや、そんなにまじまじと見なくてもいいんじゃないですかね!?

考え込んでいるうちに、里見先輩はニュース記事を閉じてしまった。

香谷里見

今ではアイドルイベントというだけで会場を借りられないことが多くて。結果、ライブプロデュースの数が激減し、我が音楽事務所もこのありさまというわけです

大きなため息を吐き、里見先輩は目を伏せた。

今までひとりで頑張ってきたのか、薄っすらと隈ができている。

月城虎子

そういえば肝心のプロデューサーはどこに?

香谷里見

あー……プロデューサーさんは、こうした状況がいつまでも続くはずがないと、アイドルの復権を目指してメディアや財界の有力者と交渉したり、全国の支援者に掛け合うために奔走したりしている……はず、です

自信なさげに萎んでいく声が気になって、じっとその顔を見つめる。

里見先輩は観念したようにもう一度ため息を吐いて、スマートフォンを取りだした。

それを操作しながら、言葉を続ける。

香谷里見

じつは、プロデューサーさんが今どこで何をしているのか、私も知らないんです。ただ、時折メールが送られてきて……

差し出されたスマートフォンの画面を、あんなと共に覗き込む。

そこには、山登りをしているプロデューサーらしき人物の姿を遠目に捉えた写真が映しだされていた。

写真には、メッセージアプリのかわいらしいスタンプが添えられている。

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香谷里見

『捗る!』とか『どやっ』って。プロデューサーさんって、たまに意味がわからないスタンプを送ってくるんですよね

過去へ遡っていくと、大空を飛ぶ気球に乗っていたり、港で大漁旗を掲げた漁師と肩を組んでいたりするプロデューサーの写真があった。

これは、アイドル復権のための行動、なのだろうか。
なんだか、単に遊んでいるようにも……。

ううん、プロデューサーのことだ。
深い考えがあるに違いない……と思いたい。

竜胆あんな

プロデューサーさん、すごく楽しそう……

月城虎子

楽しそうねえ

香谷里見

楽しそうですよねえ

きっと、みんな同じようなことを考えているのだろう。

プロデューサーはちょっとノリがよすぎるところもあるけれど、アイドルプロデュースに関しては情熱に満ち溢れた素晴らしい人だ。

『アイドリズムは人生!』というのが口癖だった。

メッセージアプリに貼りつけられたイラストを眺めつつ、あの人とともにアイドルを応援していた日々を思い出す。

よくわからないけど、きっとアイドリズムを復活させようと頑張ってくれているに違いない、はずだ……。

香谷里見

虎子ちゃん、さっきから百面相してますよ

月城虎子

いえ、その、いろいろ思うところはあるんですが。プロデューサーを信じようと……

香谷里見

そうですね。プロデューサーさんは遊び心も大切にする人なので。きっと私たちには想像もつかない壮大な計画のもと、行動しているんですよ。多分

そう言って笑う里見先輩を見ていると、ふつふつと焦りに似た感情が湧き上がってきた。

私も、このままじっとしているだけではダメだ。

月城虎子

事情はわかりました。ただプロデューサーの帰りを待っていても何もはじまりそうにないので、自分で仕事を取ってきます!

香谷里見

そうは言っても、うちにはプロデュース契約しているアイドルはもういませんし、スカウトからはじめないと……

月城虎子

アイドルなら……います

そう言って、話についていけずにきょとんとしているあんなの手を取る。

竜胆あんな

え……えっ!? 私ですか!?

月城虎子

何をいまさら。約束したでしょう?

竜胆あんな

約束、というか、なんというか……

月城虎子

アイドル頑張りたいのよね?

竜胆あんな

は、はい!

月城虎子

事情が少し変わってしまったけれど、やることに変わりはないわ。私はあなたがアイドル界のトップを目指す手伝いがしたいの

不安そうなあんなの目を真っ直ぐに見つめて、宣言する。

月城虎子

行方不明のプロデューサーに任せていたのでは、いつまで経っても先行きが不透明なまま、予定のひとつもまともに立てられない。そんな状況、私には耐えられないわ。だから、私は私の方法でアイドルを復権させてみせる!

竜胆あんな

虎子さん……私、あの……

あんなは、涙目で言い淀む。

竜胆あんな

いろいろ大変なこともあったけど、やっぱりアイドルが好きなんです。だから……

力強く手を握り締めると、そろりと手を握り返された。

竜胆あんな

だから、アイドルの頂点を目指して、もう一度頑張ってみたい!

その目には、星のような輝きが宿っていた。

やはり、この子にはスターになれるだけの素質がある。

月城虎子

それでこそ、私が見込んだアイドルだわ! ……って、もう一度? あなた、新人アイドルよね?

香谷里見

ああ、それは……

竜胆あんな

あわわわわ! わ、私は新人ですよ! でもその、これは言葉の綾と言いますか!

にへらと誤魔化すように笑う姿に、出会ったときのことを思い出した。

そういえば、あんなはマネージャーもいない状態で、一人で頑張っていたのだった。

自分に関係のない仕事も引き受けてしまうような、お人好しな性格だ。

さぞかし苦労も多かったことだろう。

もしかしたら、挫折したことも一度や二度ではないのかもしれない。

それでも、こうやって再び夢を目指そうしているのだとしたら……。

月城虎子

そう……そうだったのね……

竜胆あんな

え、あの、虎子さん……?

思わず涙が滲みそうになるのを、首を横に振ることで誤魔化す。

月城虎子

任せておいてちょうだい! この月城虎子、あなたのマネージャーとして完璧な計画を立ててみせるわ!

竜胆あんな

えーと……ありがとうございます!

私たちは、固く握手を交わす。

改めて、想いがひとつになったような気がした。

香谷里見

うーん……絶妙に噛み合っていないような、噛み合っているような……案外いいコンビなのかもしれませんね

里見先輩がそんな呟きを漏らしているとは露知らず。

私たちは早速、今後の予定を練りはじめた。

善は急げ、という言葉を私はあまり好まないのだが。

計画の幅を広げるためには布石を打っておくべきと判断し、あんなを連れてテレビ局へとやってきた。

竜胆あんな

あの、アポも取らずに入ってきちゃってよかったんでしょうか?

月城虎子

知り合いのディレクターに留守電は入れたわ。だいたいデスクにいるんだけど、直接出向いて顔見せした方が早いのよ

竜胆あんな

でも、いきなりテレビ局なんて……

慣れない場所に来たからか、あんなは落ち着かない様子で辺りを見回していた。

誰かが前方から歩いてくる度、びくりと肩を震わせては俯く姿に、思わずため息が漏れる。

月城虎子

手早く知名度を上げるにはテレビが一番よ。さっきの威勢はどうしたの? 堂々としていなさい

竜胆あんな

ううう、でも、こんなところで知り合いにでも会ったら……

やめて!

さほど広くはない廊下に、女性の甲高い声が響いた。

声音から、それが年若い少女のものであることがわかる。

何事かと周囲に目を走らせると、階段下の影になっているスペースで、青年が少女を壁に追いつめているのが見えた。

竜胆あんな

えっ、虎子さん!?

あんなの焦ったような声が聞こえたが、私は構わず駆けだしていた。

そう言うなって。俺はもう、お前を離すつもりはないぜ?

何度でも言うわ! 私は――

月城虎子

そこまでよ!

いってぇ! 何するんだよ!?

私は先ほど青年に投げつけたカバンを拾い上げ、少女を背中に庇う形であいだに入る。

そして、カバンを盾として身体の前に突き出した。

月城虎子

あなたこそ、何をしているの! 嫌がる女の子を無理やり押さえつけるだなんて!

ハァ? いや、勘違いしてんのかもしれねえけど……

青年はカバンのぶつかった背中を擦りつつ、歩み寄ってこようとする。

月城虎子

問答無用! それ以上近づいたら蹴るわよ!

蹴るって……おいおい、随分と物騒な姐さんだな

あの、酷いことしないでください!

背後に庇っていた少女が、私の服の裾を引く。

肩越しに後ろを見ると、不安そうな顔をした少女と目が合った。

月城虎子

こんなヤツ、庇う必要ないのよ

そうじゃなくて、誤解なんです!!

月城虎子

え?

少女の必死な物言いに、血が上っていた頭が少しだけ冷静さを取り戻す。

竜胆あんな

虎子さん!

そこへ、追いかけてきたらしいあんなが姿を現した。

竜胆あんな

もう、急に走りだしてどうしたんですか……って、透子ちゃんと、陸くん?

透子と、陸。

その名前には聞き覚えがある。

暗がりな上、私服だったためすぐには気づかなかったが、その顔にも見覚えがあった。

月城虎子

もしかして、EARTH・RAYの一ノ瀬透子と、MySTARの嵯峨山陸!?

~ つづく ~

3|第3話 アイドリズム崩壊

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