12│うまくいかない

幸谷 舞

で、晴華は先輩のこと好きなの?

川越 晴華

わ、わかりません……

これが、今の私の正直な気持ちだった。

好きか、嫌いか、そんなのわからない。

幸谷 舞

わかりません、かあ。

ま、いい人だよね、先輩。

ミステリアスなのはイメージだけで、話したらすぐに仲良くなれそうって思ったよ

にやり、と舞が笑う。

幸谷 舞

話しやすいってばれちゃったら、いろんな人が接近するだろうなあ

川越 晴華

い、いいことだよ! 

先輩、転校生だし、友達増えるのは嬉しいことだし!

言いつつ、もし他の人にも先輩が猫見を分けたら、なんてことを考えて胸がぎゅっと痛くなる。


そうなったら、私はきっと、辛いはずだ。

川越 晴華

少し……いやだけど……

まいまい、大爆笑。

私の頬は真っ赤のはずだ。体が熱い!

幸谷 舞

あははは、ごめん晴華、からかって。

大丈夫だよ、とりあえず私は先輩のこと、好きになったりしないからね。

とまどってる晴華を見る方が楽しいもん

だからさ、と舞は小さく笑って

幸谷 舞

たまには、こうやって一緒に帰ってくれると、嬉しいな

とつぶやいた。

川越 晴華

……まいまいー!

幸谷 舞

わ、バスの中で抱きつくと危ないよ! 


あ、ねえ、今日まだ時間平気?

川越 晴華

ん、どして?

幸谷 舞

駅前の本屋に寄りたいなって思ったんだけど、よければ一緒にどう? 

無理なら、いいけど

私を受け止めながら、舞が首をかしげる。

外を見ると、もう日が落ちて暗くなっていた。

少し遅い時間帯だけれど、たまには夜遅くに帰るのも悪くない。

川越 晴華

行く!

幸谷 舞

やった、久々のデートだね

駅前の広い本屋で、舞はひょいひょいと本を選んでいった。買いたい本は決まっているようだ。


舞のあとをついていきながら周りを見渡していると、ある猫の動きに足が止まった。

他の猫がおとなしくしている中、その猫は落ち着きなくぴょんぴょんととびはねている。

川越 晴華

……あれ? 

何だろ、あの猫……あの男の人の猫かな

背の高い男の人に目をやる。

その人は、猫とは裏腹に、じっと本棚を見つめている。

何か本を探しているのだろう。
別におかしな様子はない。


気のせいかな、と思った、そのとき。




その人は、小さな本を手にとって、素早くショルダーバッグの中に入れた。

川越 晴華

あっ

クロニャ

にゃっ!

私とクロニャが、同時に叫んだ。


その人と猫も、同時にこちらを見る。

猫は、にゃーにゃーと叫び、毛を逆立てている。
一方、男の人は平然とした表情で、一度私を見たあと、すぐに私から目をそらした。

クロニャ

ごめんにゃさい、晴華にゃん。

さっき言えばよかった。

あの猫、ずっと『今かな、まだかな、今かな』って叫んでたんです。

今は、『見つかった、やばい』って。

間違いないですにゃ

私は小さくうなずく。


考えるより先に行動に出ていた。

とっさに歩み寄って、驚いて目を見開いている男の人に手を伸ばす。

川越 晴華

ちょっと!

私の手が、その人の腕をつかむ前にーー

川越 晴華

わっ!

何が起こったか、一瞬わからなかった。


手首がずきりと痛む。

どうやら突き飛ばされて、本棚に激突したみたいだ。

クロニャ

晴華にゃん! 大丈夫ですか!

幸谷 舞

晴華! 大丈夫?

川越 晴華

あてててて……

舞の声がする。

立ち上がると、なんだなんだと人があつまってきていた。


さっきの男の人が、店員に止められているのを確認する。

私は小走りでその二人に近づくと、男の人の鞄を指差した。

川越 晴華

さっき、この中に本を入れるのを見たんです

男の人が、ぎろりと私を睨んできた。

猫も、ぎゃーぎゃーと甲高い声でないている。


私は、その視線もなき声も無視して、くるりときびすを返す。

本をもとの場所に戻して、不安そうに見つめる舞に向かってにこりと笑う。

川越 晴華

大丈夫だよ、行こう、まいまい

気丈に笑ってみせたけれど、実際は大丈夫ではなかった。

手首が少し痛む。

本棚にぶつかったときに、ひねってしまったようだった。

雨音 光

久々にいるって、下校中の人が騒いでる

次の日、放課後に先輩と待ち合わせた。


舞は、用事があるからと先に帰ってしまった。

本当かどうかわからないけれど……。


先輩は、帰る人達を見下ろしながら、困っている人がいないかを探している。

私はその姿を、少し後ろから座って見ていた。

膝にはクロニャが寝転んでいる。

雨音 光

あ、幸谷さんだ、ばいばーい

なんて手をふっている。

その言い方が子どもみたいで、少し笑ってしまった。


先輩も、転校生だ。

部活にも入っていないから、知っている後輩は私と舞しかいないのかもしれない。

わかりづらいけど、先輩も嬉しいのかもしれない。だとしたら、舞を紹介してよかった、と思う。




ところで、手をふられた舞はどんな反応をしているのだろうかと思い、立ち上がろうとしてーー。

川越 晴華

いたっ!

昨日ぶつけたところが、ずきりと痛んで、思わず声をあげてしまった。

先輩がはっと顔をあげ、駆けよってくる。

雨音 光

大丈夫? どうしたの?

川越 晴華

いえ、大丈夫です。

昨日、少し手首をひねっちゃって

雨音 光

転んだの?

先輩が心配そうにしてくれるのが嬉しい、なんて考えながら、私はいえいえと痛くない方の手を横にふった。

川越 晴華

違うんです。

実は昨日、舞と一緒に帰りに本屋に寄ったときに

雨音 光

本屋で?

川越 晴華

はい。万引きしてる人がいて、私、捕まえようとしたんです。

そうしたら突き飛ばされちゃって

先輩の顔色が、さっと変わった。

あ、しゃべりすぎたかな、心配するかな、と思ってしまったが、もう遅い。

雨音 光

突き飛ばされた? 

他に怪我はない?

川越 晴華

大丈夫ですよ! 

手首の怪我も、すごく痛いわけじゃないですし。

さっきまで忘れてましたよ

笑っても、先輩の心配そうな表情は消えない。

私の笑顔も、少しずつ消えていく。

雨音 光

でも、怪我は怪我……

言いかけて、先輩は目を大きく見開いた。

私から少し視線をそらし、もう一度戻したときには、不安そうな表情は消えていた。

代わりに、少し驚いたような表情で、先輩は私に詰め寄る。

雨音 光

ねえ、万引きしてるってわかったの、もしかして、猫のせい?

急き立てるように先輩が言う。

思わず、私もこくこくとうなずいてしまう。

川越 晴華

そ、そうです。

猫が変な動きをしていたので

雨音 光

それで、万引き犯だって気がついたんだね。

そのあとに、捕まえようとしたら……怪我をした

川越 晴華

すぐに治ると思いますよ、本当に

雨音 光

そういう問題じゃないよ!

先輩が、私の両肩を強くつかんだ。思わずひるむ。

雨音 光

大きな怪我をしたらどうするの

強い口調。先輩の声は、確かに怒っていた。
しかし、目は寂しげだ。


どうしてだろう。


いや、そんなことを考えている場合じゃない。

謝らなきゃ。
ごめんなさい、私がまた、いつもみたいに猪突猛進でした。
もうしません、怪我をしたら、大変ですもんね。


そう言わなくちゃ。


頭ではわかっているのに、喉の奥でつっかえた声は、外に出ないままだった。


何も言えない。


私の肩をつかんでいた先輩の手の力が、ゆっくりと緩んでいく。

私は、それでも何も言えない。


今にも泣き出してしまいそうな表情のまま、先輩は小さい声で言う。

雨音 光

川越さん。

俺は、川越さんが一緒に人助けをしてくれるって言ってくれて嬉しかった。

でもそれは、無理をして、怪我をしてまでしてほしいってことじゃないんだ

先輩が私の肩から手をゆっくりと離して、静かにためいきをついた。

目を閉じ、首を横に小さくふる。

雨音 光

無茶をするなら、人助けはしなくていいよ。

その怪我が治るまで、一時中断

川越 晴華

え、先輩! そんな

やっと出た声は、情けないものだった。


違う。そうじゃないのに。


そう思ったときには、もう遅い。

先輩が、私の言葉を遮るようにして、叫んだ。

雨音 光

一時中断だよ! 

これ以上無茶はさせられない!

私は、はっと息をのんだ。先輩も、はっと息をのむ。

雨音 光

言い過ぎた、ごめん……


何か言って、私。何か言って。


そう思うのに、また、何も言えない。

首をふることさえもできずに、呆然と立ちつくすだけ。




先輩は、私の返事を待つこともなく、背を向けて去ってしまった。


ばたん、と扉の閉まる音。

取り残された私。

川越 晴華

何でこう、上手くいかないかなー……

頭の中がぐちゃぐちゃだった。




私は何をしたか、わからないまま、また、置いていかれる。

クロニャ

晴華にゃん……

クロニャが、私にぎゅっと抱きついてきた。



そうだ、今は、一人じゃない。

川越 晴華

クロニャ、どうしよう

クロニャを抱き締めながら、私はその場に座り込んだ。

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