数学の時間。

方程式の小テストが出され、
僕の頭の中では、
数字とXとYがぐるぐると回っていた。

芯条くん

集中力を乱す声が頭に響く。
耳ではなく、頭に。

声の主は、斜め前の席に座っている女子、
沙鳥。

僕と沙鳥は、考えるだけで会話ができる、
いわゆる「テレパス」なのだ。

芯条くん

沙鳥は指にペンを挟んだまま頬杖をついて、
テスト用紙を眺めている。

傍目には、
計算問題に頭を悩ませているように見える。

実は折り入って相談があるんです

実際には、
まったく別のことを考えている不届き者だ。

沙鳥……

僕は数学に使うべき頭の一部を割いて、
沙鳥に念を送った。

その話は、今じゃなきゃだめ?

数学の女先生はいつもニコニコしているけど、
厳しい先生だ。
試験の結果や授業態度が悪いと、
説教なり補習なりが待っている。

だから、まじめ一筋の僕としても、
特に真摯に取り組まなければならない授業なのだ。

だめではないですが、今がいいです

だめじゃないなら後にしてほしいんだけど。今、授業中だし

うーん。では一応軽く、相談のタイトルだけお知らせします

相談にタイトルとかあんの?

相談のタイトルはこちら。じゃん!

「こんなセリフ言ってみたいのに、言う場面がない!」

絶対、今じゃなくていい話だ。

……このあとの休み時間に聞くからさ

えー、ですが芯条くん

芯条くんって、だいたい休み時間も、教科書とノート開いて勉強したりしてるじゃないですか

まあな

ですから、お邪魔じゃないですか?

……

沙鳥が信じられないことを言ってきた。

あのですね、沙鳥さん……

僕が休み時間にしょっちゅう勉強してるのは……

誰かのせいで授業をちゃんと受けられてない分、それを取り返そうとしてるんだけど

……なるほどです

わかってもらえましたか?

じゃあ、やっぱり今お話した方がいいですね

……話聞いてた、沙鳥?

どこまでもマイペース。
それが沙鳥だ。

そもそも、沙鳥はテストの問題解けたの?

いいえ。まだです

そして、この先も解けることはありません

諦めたんだな

だから、時間余っちゃったんですよね

斬新な考え方だな

僕は時間余ってないから。あとにしてくれないかな

もう、しょうがないですね

なぜこの文脈で、
そっちがやれやれ感を出せるんだ。

まあ、
納得はしてくれたようだから、
しばらく大人しくしてくれるだろう。

では、タイトルに続いて予告編を

僕が甘かった。

あの全米が泣いた相談がやってくる……

いちいち、かかわっていたら負けだ。

僕は、
だいぶ出遅れてしまった問題に意識を傾けた。
全部で十問あるのに、まだ一問目。

えーと、Xが3のときの……。

「おい小僧。夜道に気をつけろよ?」

えーと、Xが3のときの……。

「もう、お前らの手のひらの上で転がされるのは、まっぴらなんだよ!」

えーと、Xが3……。

「それが人間のやり方か!」

……。




気が散る散る。

……などなど、人生で一度は言ってみたいセリフっていろいろあるじゃないですか

沙鳥は留まるところを知らず、
次々に念を送ってきた。

でもです

なかなかそれがポロリとはまる場面に出くわすことって、ないものです

ポロリじゃ、はまってない。

ですから、私の言いたいセリフを、ばっちり言えるような場面に出くわすにはどうしたらいいか

それを一緒に考えてほしいんです

沙鳥……

もう予告編じゃなくて、相談本編なんだけど

あっ、本当ですね。では、この流れで相談しちゃいましょう

そんな流れはない

どうしたら、ばっちり言える場面に出くわせると思います?

……どのセリフを?

さっき三個セリフ出てきたけど、
正直、
沙鳥の人生で言うことになるセリフは、
一つもないと思う。

そもそも女子のセリフじゃないだろう。

あ、今のはサンプルで、本当に言いたいのはまた別です

そうなの?

さっきの三つは、以前に言う場面がありましたので

そうなの!?

沙鳥の過去に何があった。

この先言ってみたいなと思ってるセリフはですね。例えば……ウウン

沙鳥はちょっと低めの声色……。

声じゃないけど、
低い声の咳払いを念で送ってから、
さらにセリフを伝えてきた。

「わかったよ刑事さん。私の負けだ」

逮捕されたな

「残念。安全装置は解除しておくんだったな」

ピストル奪ったな

「地獄で会おうぜ、相棒」

溶鉱炉とかに飛び込みそうだな

この三つですね

あっ

この三つですね

今のは言いたいセリフではなかったらしい。

これらのセリフを隙あらば言ってやろうと思ってるんですけど、ちっとも言う場面がないんです

そりゃあ、ないだろう。

だって、どれもこれも法に触れてそうな人の言うセリフだよ?

「よく気づいたな小僧」

そこなんです。こういうセリフを言おうと思ったら、もう無法者になるしかないんですよね

ルールをやぶることなんて……私にはできません

どの脳が言ってんだよ。

せめぎあいですよね。ルールを守りたい気持ちと、セリフを言いたい気持ちのどちらが勝つかの

いや、せめぎあうなよ、ルール守れ

法を犯さずにこういうセリフを言える場面って、あります?

……身近に刑事がいれば、一つ目は言えるんじゃない

「わかったよ刑事さん。私の負けだ」
だっけ?

熱心に考えることでもないので、
僕は適当に答えた。

うーん。身近に刑事がいないこともないんですが

知り合い?

父がちょっと刑事です

ちょっと刑事なら、全部刑事だよ

というか、まさか、
こんなにいい加減なやつの親が警官だったとは。

何やってんだ日本の警察。
きちんと子供をしつけてくれ。

じゃあ、お父さんとゲームでもして、負けたらさっきのセリフ言えば?

ちょっと芯条くん。父に勝負事で負けるなんて嫌です

負けねーしです

子供かよ。

でも、さっきのセリフ言いたいんだろ?

うーん。しょうがないですね。その誘惑には負けますね

セリフの優先順位高いな。

では、もし奇跡的に負けるようなことがあったら言ってやります

お父さんがんばって。

では、二つ目の安全装置のセリフも

「残念。安全装置は解除しておくんだったな」
だっけ?

こちらも父の銃を奪って――

それはまじでだめだろ

えっ、では赤の他人の銃を?

それはもっとだめだ

安全装置ってエレベーターとかにもあるだろ。それで我慢したら?

うーん。でも安全装置が解除されてないことが残念な場面なんてないですよ

安全装置が解除されてなかったら、むしろ安心です

そりゃ安全装置だからな

あっ、ではちょっとだけ変えて……

「安心。安全装置は解除してなかったな」

……に、しましょう。これならいつでも言えます

ちょっと変えてというか、
それは真逆なのでは?

……沙鳥が、それでいいんならいいけど

そこで、チャイムが鳴った。

……鳴ってしまった。

しまった。終わった……。

続いて、先生の声が響く。

はい。では後ろからプリントを回収して

僕は一問も解けていないプリントを、
前に回すことになった。

くっ、沙鳥め……。

沙鳥さん。芯条くん

不意に、名前を先生に呼ばれた。

昼休み、職員室に来なさい。ちょっとお話があります

…まずい!

問題を解いてるふうの顔をしながら、
手がまったく動いてなかったのが、
先生からまる見えだったようだ。

沙鳥。どうしてくれるんだよ……

僕が頭の中でぼやくと、
沙鳥からは、こんな念が返ってきた。

地獄で会おうぜ、相棒

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