2.知らないうちに、勝手に話が進んでいくのは、よくあることで。

私に、縁談?


紅鶴(べにづる)は目を丸くして、正面に座している父を見た。

そうだ。伊香(いか)の国の長男、伊香信繁(のぶしげ)殿の嫁御にとの申し入れがあった

あの人は、その申し入れの使者だったのね。でも……

そんな、急に縁談だなんていわれても

紅鶴はもう、いつ嫁に行ってもおかしくない年頃だ。童子のような行動をするので忘れておったが、先方からの申し入れに、なるほど、もうそんな年齢だったかと思い、お受けすることにした

そんな!


紅鶴は悲鳴に近い声を上げた。

そんなもこんなも、ないのだぞ。紅鶴よ。武家の女の仕事がなにかを、そなたは十分に知っておろう。だからこそ、それまで自由にさせておった父の心を、よもや知らぬとは言うまい

紅鶴は言葉に詰まった。結婚とは、家と家とを繋ぐもの。この植村(うえむら)家の子どもは、紅鶴ひとり。重要な役目を担っていることは、重々承知して生きてきた。だから、こういう申し出があったときには、いさぎよく頭を下げて、ありがたく承ろうと決めていた。

しかし。

事前になにか、打診のようなものがあれば、私も気持ちの整理がついたのに、こんなふうに急に言われては、驚いてしまって当然です


非難がましい声を出すと、父は軽くうなずいた。

さもあろう。だが、これほどの縁談は、ほかにはないぞ、紅鶴

どのあたりが、これほどの縁談なのか、ご説明いただけますか。どれほどの良縁なのか、お父様の頭の中にしまわれているままでは、ちっともわかりませんもの


気持ちを落ち着けるため、紅鶴は湯飲みに手を伸ばし、口をつけた。茶菓は好物の葛餅だが、食べる気になれない。

おお、おお。そうだな。そなたは説明を聞く権利がある。よもや断わりはすまいと思うが、聞いてくれ


紅鶴は居住まいを正して、まっすぐに父を見た。咳払いをした父が、脇に置いていた書状を紅鶴の前へ滑らせる。

まずは、それを読んでくれ


紅鶴は書状を手にし、目を通した。そこには伊香と植村の、さらなる国交の親密さを求めるために、姻戚関係を結ぼうと書いてあった。

植村の財政は、伊香の国との取引によってまかなわれているといっても、過言ではありませんものね。それがこの婚姻により、さらなる交易の発展へと繋がれば、民の暮らしの安らかさは増しますわね

お父様が良縁だというのも、当然だわ

紅鶴が文を返すと、父は重々しくうなずきながら、前にのめった。他聞をはばかる話があるのだと、紅鶴は父ににじり寄る。

父は左右に目を配りながら、低めた声で紅鶴の耳にささやいた。

それだけではない。ふたつの国の間にある、瀬至(せい)の国とのこともある。あれはよい港を持っている。諸外国との取引には欠かせぬ、すばらしい港だ。土地は我が植村や伊香よりも少ないが、交易での利益は莫大。そのために、すこし天帝様のおわす中枢をないがしろにしている、というウワサがある

えっ……。そんな、とんでもなく恐れおおいことを、する領主がいるというのですか

うむ。にわかには信じられぬが、そういう例が過去に、ないわけではないのだ。紅鶴も、書物で読んだことがあろう

そういえば古い昔に、おごりたかぶり、自らは天帝様よりも優れた帝王になると豪語し、打ち倒された愚かなものがいた、という物語を読みましたが……。まさかあれは、本当にあったことではございませんでしょう

いいや、あれは真実の話だ。ああいうものが、今後、現れぬようにと、いましめのために流布された書物なのだ。天帝様に逆らうは、世の理(ことわり)に逆らうもおなじ。成敗されてしかるべし、という教訓の物語だ

そうなのですね……。おどろきました。ですが、お父様。それと縁談と、どう関係があるというのです

わからぬか。考えてみよ


紅鶴は、頬に指を当てて天井をにらんだ。しばらくして、ハッと息を呑む。

まさか、あの物語の愚かな領主のように、瀬至の方々が謀反を企んでいると、おっしゃるのですか

そうは言っておらん。だが、その可能性は否定できんと、中枢は考えておられる

そんな……。もしそうなれば、どうなるのです

戦乱に巻き込まれ、多くの民が犠牲となろう。隣国である植村と伊香の民にも、影響が及ぶであろうな


物語の中に描かれていた、凄惨な地獄絵図さながらの戦語りを思い出し、紅鶴は蒼白になった。

武家が行っておる日々の鍛錬は、有事の際に民や領土を守るためのものだ。だが、それを使わぬまま死ぬことの幸せも、ワシらは精神に刻みつけておる。戦など、愚かなことだ

それは、瀬至の武士らもおなじでしょう。それなのに、どうして

過ぎた欲は人の目を曇らせ、さまざまなものを見えなくさせるものと、覚えておくがよい


紅鶴は黙考し、もうひとつの婚姻の理由を見つけた。

瀬至をはさんだ我等が手を組み、目を光らせておくために、婚姻を結ぼうとなされているのですね

そのとおりだ

縁組の話は、戦を阻止するための礎(いしずえ)なのね。ひいては民の命を救うことになる、大切な役目なんだわ

紅鶴は覚悟を瞳に込めて、深く頭を下げた。

つつしんで、縁談をお受けいたします

よろしくたのむぞ、紅鶴


いかにも武門の娘らしい、重大な責務が自分の肩に圧し掛かっていると知って、紅鶴はひそかに心を奮わせた。

(つづく)

Novel by Kei Mito
水戸 けい

Illustration by Logi
ロ ジ

2.知らないうちに、勝手に話が進んでいくのは、よくあることで。

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