あの……大佛(おさらぎ)さん。

涼花(すずか)でいいって言ってるでしょ。

大佛涼花はかつて国民的アイドルグループTRAMPに所属していた。年齢詐称を咎められ追放の憂き目を見るも、ファンからの支持は止むことなく、ワンミリオンミュージックに移籍しての再デビューを経て、IGE(アイドリズム総選挙)を制し再びスターダムにのし上がった。言わば生ける伝説であり、深春にとっても憧れの存在だ。そんな涼花のいる事務所にスカウトされたことは、深春にとってこの上ない僥倖と言えよう。
アイドル業界の裏も表も知り尽くした涼花なら、カーミラについても何か知っているに違いない。深春は思い切って尋ねてみることにした。

あっ、すいませんっ。涼花さん、カーミラさんってどんな人なんですか?

カーミラに会ったの?

はい、ちょっと色々ありまして……。涼花さんなら業界長いからご存知かなって。

そうねえ……あなたにはどう見えるかしら?

ええ!?

あなたはあの子をどんな子だと思う? 先にそれを聞かせてちょうだい。

えっと……かっこよくて、自信があって、でも礼儀正しくて、親切で……どっちが本当のカーミラさんなのか、よくわかりません……。

そっか。あんまり舞台裏を見せちゃうのは野暮だけど、そこまで知ってるんだったらいいわ。教えてあげる。

一呼吸置いて、涼花は話し始めた。

あの子は……カーミラはね、いつも一所懸命なのよ。

そうなんですか?

私の見立てではね。あの子のコンセプトは知ってるでしょ?

吸血鬼……ヴァンパイアアイドルですよね。

そう。パッと見では目立つし簡単そうだけど、ああいうのって自分を支えていくのがものすごく大変なのよ。

自分を支える……?

例えば、深春ちゃんはこれから「メイドでアイドル」としてやっていくのよね? それって、メイドの知識も経験もまるでない人が一朝一夕でできることかしら?

できないと……思います……。

カーミラも同じよ。吸血鬼になるなら、まず吸血鬼のことを知らないと。付け焼き刃で舞台に出ても、お客さんをがっかりさせるだけだからね。

わかります。

吸血鬼だけじゃないわ。狼男とかクトゥルフとかの怪奇にも通じてないといけないし、音楽だって、メタルやメロスピなんかを沢山聞いて学んだ上で、カーミラとしての音楽を作り上げているの。

どうして、そこまでするんですか?

自分がそれを好きだから、というのが大きな動機だろうけど、もう一つ大切なことがあるわ。わかる?

えっと……なんか、うまく言葉になりません……。

まだ難しいかしらね。ちょっと休憩にしましょうか。

はい、私、コーヒー淹れてきます。

立ち上がり、給湯室へと向かおうとした深春。だが、ふと立ち止まり、振り返る。

おっと。ミルクとお砂糖は?

ミルクはいいわ。お砂糖は二個でよろしく。

喜んで!!

コーヒー二杯を携えた深春がロビーに戻ったとき、涼花は台本のようなものを開き、ところどころに傍線を引いていた。朗読の練習らしい。淹れたてのマンデリンの香りが届いたのだろう、彼女は本を閉じ、深春に向き直った。

どうぞ、お嬢様、マンデリンでございます。

ありがとう……ねえ、今私のことを「お嬢様」と呼んだけど、これはお客さんのことよね。

はい! 男性の方はご主人様、女性の方はお嬢様とお呼びしてます!

覚えてる? カーミラがお客さんのことをどう呼んでいるか。

えっと……。

深春は記憶をまさぐる。確か歌の歌詞にあったはずだ。

妾ダケノ下僕ニサセテア・ゲ・ル

――「カーミラ伝説」作詞:min-hwa

下僕……?

そう、下僕。其方(そなた)って言い方もよく使うけどね。
深春ちゃんにとってはご主人様、あの子にとっては下僕。まったく逆だけど、どっちもお客さんのことなの。面白いと思わない?

それは……。

ねえ、メイドさんが、お客さんをご主人様と呼ぶのは、どうして?

それは、メイドとしての奉仕の心を……ええと……。

じゃあカーミラはお客さんのことを見下しているのかしら?

そんなことは……ないと思います……。

はい、今のあなたは限りなく正解に近づきました。もう少し考えてみて。ほら、コーヒー冷めちゃうわよ。

あっ……。

言われて深春は反射的にカップを手に取る。幾分温度は下がっていたが、ぬるいという程ではない。
深春は涼花を盗み見たが、彼女は優雅にコーヒーをすするばかりで、これ以上ヒントを与えてくれそうにはない。
ともかく一息入れようとコーヒーを口に運ぶ。だが思いの外に苦く、深春は顔をしかめた。

うっ……砂糖持ってくればよかった……あれ?

見ると、深春の分のソーサーの上に、コーヒーシュガーが一つ載っている。確か、涼花に頼まれた二つしか持ってこなかった。それも二つとも彼女のソーサーに置いたはずだ。
深春はそれを指で摘み上げる。確かに自分が持ってきたものだ。いつの間に移されたのだろう?

あの……これって……。

涼花はカップを下ろし、静かに口を開く。

案外、自分のことって、おろそかになりがちなのよね。

言いながら、ソーサーに一つだけ残ったコーヒーシュガーをカップに落とす。それはほろりと溶け、コーヒーと一体となる。

でもそれは、何より相手を思っている証拠。でしょ?

あっ……。

深春の中に、あの楽屋でのカーミラとの記憶が蘇った。あのとき、本来ならば、彼女は自分自身の衣装を直すのに手一杯だったはずだ。貴重な時間を割いてまで、深春の衣装を直してくれたのだ。
ではその後は? ソーイングセットを返すときのカーミラは、テレビで見たような尊大な態度だったが、それは取り巻きが周囲にいたためだ。しかし深春がそうした振る舞いを受け容れるとは限らない。だから丁寧な手紙を添えてきた。恐らく、本番後の僅かな時間を使って書いたのだ。

わかってくれたみたいね。

コーヒーの液面に映った自分の顔をじっと見つめる深春に、涼花はそう語りかけた。

はい……ヴァンパイアも、メイドも、元はみんな一つなんですね。まあ、なんとなくなんですけど。

今はそれでいいわ。まだ色々あると思うけど、追々わかってくるでしょう。ところで……。

しばらく顎に指をあて、何か思案した風の涼花だったが、不意にずい、と深春に顔を寄せた。

あなた、カーミラに何かされなかったわよね?

ええっ!? 何か、って……いえ、特に何も……。

深春の頬が紅に染まった。一瞬、カーミラの口唇が思い浮かんだが、それを口にしたいとは思えなかった。

そう、それならいいんだけど。

コーヒーご馳走様、と付け加え、涼花は席を立つ。そのまま歩み去ろうとするかに見えたが、やおら振り返り、

まあ、カーミラって名前の由来だけは、調べておいたほうがいいかもね。

と一言を残してロビーを出て行った。
後には呆然とする深春。わかったようなつもりが、またわからなくなってしまった。
コーヒーの湯気はすっかりなくなっていた。事務所の経費とはいえ、残すのももったいなく思え、深春はそれを一気に煽った。

にがっ!!

せっかく涼花が残してくれたコーヒーシュガーが一つ、寂しそうに佇んでいた。

え? カーミラの名前の由来? あんまり舞台裏を晒すのは野暮だって言ったでしょ? せめてぐぐってくださいね、読者くん。

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