俺は感情を読みとられないように、かすれた声でそう言った。
鰭ヶ崎。キミはたしか鰭ヶ崎と言ったね
………………
美由梨のSPが中庭でIDカードを紛失したのは知っている。キミがそれを使って理事長室に侵入するだろうことは、容易に予測できた。まあ、美由梨を上手くあおって、講堂に人を集め、職員棟から人をいなくしたのは少し感心したがね
知っていたのか
俺は感情を読みとられないように、かすれた声でそう言った。
当然だよ。だから私も利用してやった。発表会を大々的なものにしてやった。キミさえ捕まえれば、そのことになにも問題はないからね
理事長はそう言って奥に入った。
それから偉そうな椅子に座り、電話をかけた。
俺はSPに起こされ、後ろ手につかまれた。
ああ、私だ。そちらの面接はどうなってるかね? ああ、そうそう。流山だよ。彼女はまだいるのかね?
………………
なるほど社内を見学させているところか。では、小一時間ほど連れまわした後に、面と向かって『不採用』と言ってやりたまえ。散々期待させておいてから突き落としてやるといい
理事長は、これ以上ない憎たらしさでそう言った。
しかし、電話を切った理事長は穏やかな顔だった。
油断したのである。
ふふっ。しかし、鰭ヶ崎くん。計画は短絡的で稚拙だったが、私に歯向かったその度胸と、実行に移した行動力は褒めてやろう。特に、美由梨の心理を誘導したところなんかは見事だと言える。そのことだけは私もキミに手ほどきを受けたいくらいだよ
くっ
とはいえ、それ以外はまるでダメだな。そう。たとえばの話だが、キミがこの部屋に上手く侵入し、私たちにばれることなく、そのふところに隠した端末で私のPCからデータを盗めたとする。家に帰ってデータを見たとする。ところが鰭ヶ崎くん
と、理事長はここまで言ってくちびるを結んだ。
それから沈黙を楽しみながら、ノートPCを手に取った。
ディスプレイを俺に向けた。
そして理事長は自信満々にこう言った。
このPCには、キミが求めるようなデータはないのだよ
………………
ふふっ。だって当たり前じゃないか。そんなデータをいつまでも残しておくわけないだろう。まあ、流山の場合はキミと違って書類保管庫を漁ろうとしていたのだが、どちらにせよ、そもそも保管庫にもPCにもキミたちが望むようなデータなどないのだよ
だったらそのPCにはっ
部室棟の写真と、そして新たな棟――文化部のための部室棟――の完成イメージが入ってる
新しい棟って?
運動部ばかり優遇するわけにはいかないだろう。だからもう1棟建てる。ちなみに、この2棟の予算を足すと、ちょうどキミたちの探してる慰謝料と同じ金額になる
理事長はゲスな笑みでそう言った。
彼はノートPCを小脇に抱えて、俺のところにやってきた。
俺の肩を、ぽんと叩いた。
そして言った。
講堂に戻ろうか。まあ、キミの処分は後で考えるから、まずは、美由梨の発表と新しい部室棟のプレゼンを楽しみたまえ
ふんっ
ああ、そうだ。鰭ヶ崎くんがふところに隠している端末は、念のため、取り上げておきなさい
はっ
SPは俺から小型端末とIDカードを奪った。
では行こうか
俺はふたりのSPにはさまれて、理事長の後ろを歩いた。
講堂に戻ったのである。――
※
俺たちは講堂に戻ると、ステージのそでに入った。
PTAや教育委員会の人たちが座る来賓席、それに全校生徒からは見えないよう、裏口からだった。
ちょうど、美由梨たちの発表だな
理事長は、本当に嬉しそうに目尻を下げた。
それから俺を肩を抱いて言った。
さあ、キミもしっかり見たまえ。美由梨は毎晩、『キミに見せるんだ、ラクロスの衣装が誰よりも似合ってると、そう言わせるんだ、屈服させるんだ』と、しつこく言っていたからね。怒られてしまう
くっ
俺は理事長の腕を振りほどくようにして、前につんのめった。
それから五十殿さんに伝わるように、しかし理事長には彼女の存在がバレないように、細心の注意をもってこう言った。
理事長、そのノートPCの角が背中に当たって痛いです
理事長は、俺をにらみつけた。
しかし、すぐに余裕の笑みでこう言った。
ははは、悪かったね
理事長はそう言って、俺をSPにまかせた。
それからステージの美由梨に集中した。
ちょうどそこにイヤホンから五十殿さんの声がした。
あと五分。時間をかせいでほしい
……了解
俺はSPに気づかれないように、ぼそりと言った。
ステージを見ると、美由梨たちがラケットで次々とパスを送っていた。
しかしそれはすぐに終わった。
美由梨は、満面の笑みで部員を募集しはじめた。
ラクロス部の発表は、今にも終わりそうだ。
理事長が、ノートPCを小脇に抱えてステージに向かった。
全校生徒と来賓の前で、新しい部活棟のプレゼンをするためである。
俺は、しばし考えた。
そののち大きく息を吸って、それから叫んだ。
アンコール!
ラクロス部をもっと見たい!!
講堂は静寂に包まれた。
理事長と美由梨が、ぽかんと口を開けて俺を見た。
ラクロス部のメンバーも俺を見た。
しかし生徒や来賓からは、ステージのそでにいる俺の姿は見えなかった。
講堂はざわついた。
そして。
しばらくすると拍手が起こった。
ラクロス部の再演を望む声が上がった。
それは理事長の娘……美由梨を気づかってのアンコール、権力者に媚びへつらったアンコールであった。
ほほほほほ
美由梨が勝ち誇ったように笑った。
ははははは
理事長が美由梨そっくりの笑顔になった。
ラクロス部のデモがはじまった。
……――それではラクロス部をよろしくお願いします!
美由梨は、すべてを終えるといきおいよく頭をさげた。
清々しい顔をしてステージを下りた。
そして、いよいよ理事長のプレゼンが始まった。
それでは、みなさん――
理事長は、ノートPCの画面をプロジェクターでステージの背壁いっぱいに映した。
竣工したばかりの部室棟の写真を何枚も表示して、理事長は気持ちよさそうに語った。
これからのことを語った。
学園の未来を、理事長は夢見るような顔で語りはじめた。
その雄弁さはさすが理事長、超巨大企業のCEOを務めるだけはあると、俺は圧倒され舌をまいた。しかし、その部室棟の建設費が近藤さんの犠牲のもとになりたっていると思うと、それ以上に嫌悪した。
俺は、厚顔無恥な理事長を心から軽蔑した。
では――
理事長は、新たな部室棟について語りはじめた。
CGで描かれた部室棟の完成イメージが、スライドショーで流れはじめた。
今だ
俺は、ぼそりと指示を出した。
了解
イヤホンから五十殿さんの笑いをふくんだ声がした。
それと同時に、講堂がざわめきはじめた。
ステージの背壁いっぱいに、理事長の淫行写真が映し出されたからである。
ふふっ
もちろん、五十殿さんの作った合成写真である。
彼女は、理事長が持ってきたノートPCにWi-Fi経由で侵入した。
そしてプレゼン写真を、いかがわしい写真に差し替えたのである。
バッ、バカな!?
なんだこれは!?
理事長はうろたえた。
あわててノートPCを閉じた。
電源を落とそうとした。
しかし何をやってもムダである。
背壁には、淫行写真がスライドショーで次々と映し出されている。
きゃああぁぁあああ!!!!
女子の悲鳴があがった。
男子がつばを呑みこんだ。
そして、PTAと教育委員会の人たちや教職員といった大人がガヤガヤと騒ぎはじめた。
バカなッ!?
これは合成だ! 私をおとしいれるための合成写真だッ!!
理事長は一心に叫んだ。
その瞬間――。
背壁にいっぱいに、理事長と外国人女性による淫行動画が流れはじめた。
しかも外国人女性は、明らかに未成年だった。
うわあ……
合成写真ならあり得るかもしれないが、合成動画というのは聞いたこともない。
講堂は大騒動になった。
不潔よ! お父さま不潔よッ!!
美由梨が泡を噴いて、ひっくり返った。
SP! なにをしてるんだ!!
はやく映像を止めなさいっ!
ええい、PCを壊してくれる
理事長!
あんた何やってんだ!!
いいから早くしろ!
ステージの幕を閉じろ!!
生徒を教室に戻しなさい!
大人は会議室に!
そんな騒ぎのなか、イヤホンから五十殿さんの声がした。
動画の顔差し替えもマスターしたのよ
誇らしげな声だった。
俺は口を押さえ、笑いを懸命に隠しながらこう言った。
やりすぎだよ
しかし声には笑いが混じっていた。
まあね
五十殿さんは、ほんとすごいな
鰭ヶ崎クンと流山クンの動画も作ってあげよっか
やめてよっ
あはは、冗談よ
ふふっ
混乱する講堂で、俺と五十殿さんは達成感に満ちたため息をつくのだった。――
後日。理事長の解任が決定した。
彼の金と権力をもってしても、この騒ぎはおさえることはできなかった。
決め手が、未成年との淫行動画だったことは言うまでもない。
教育委員会もPTAも、そして講堂での出来事を知った生徒の親たちも、みな、子を思う気持ちは同じだったのだ。――
無敵のケンカ中学生
九条まこと