発表会当日。

← 俺は講堂にいた

← 休学期間を終えた五十殿さんも講堂にいた

← だけど流山さんは東京にいた

 鷹司の関連企業の採用面接のためだった。

 今日は、学内のすべての人間が講堂に集まる。そんな日に流山さんの面接を設定したのは、鷹司理事長が流山さんを警戒しているからにほかならない。

 が。

 このことは俺たちの思惑通りだった。


 俺は、理事長を油断させたかった。

 そのために、流山さんにはこの学園から離れてもらったのである。――

 発表会が始まった。

 理事長の挨拶が終わると、部活棟に入る運動部の紹介が始まった。

 理事長は、いったんステージのそでに下がった。

 俺は目立たないように、そっと講堂を出た。

 超小型のイヤホンを耳に入れた。

 このイヤホンは、五十殿さんからもらったものである。

 俺は、ためしに話しかけてみた。

もしもし。聞こえてる?

……うん、聞こえてるよ。そっちは?

聞こえてる。今、講堂を出たところ、これから理事長室に向かうところだよ

了解。このイヤホンは、5kmまで離れても大丈夫よ。ただし、電波が遮断された部屋では使えないから気をつけてね

了解。しかし、イヤホンつけているだけで話せるんだな

骨伝導だからね。ちなみに、ワタシには鰭ヶ崎クンの声しか聞こえないから注意して

うん?

そっちで何が起こっているのかは、鰭ヶ崎クンがしゃべってくれないと、まったく分からないのよ。まあ、トイレとかそういう音が聞こえないのは、このイヤホンの良いところなのだけれども

分かった。今、職員棟に入ったところだ。見た感じだと誰もいないよ

あはは、やっぱり理事長は親バカね。娘の発表を全職員にお披露目したいのよ。まったく、PTAや教育委員会の人たちまで呼んじゃってさ

まあ、そこが付け入る隙だよ。って、そんなに笑って大丈夫? 今、講堂にいるんじゃないの?

小声でしゃべってるから大丈夫。それにワタシがうつむいてひとりでブツブツしゃべっているのは、いつものことよ。だから誰も気にしていないわよ

 五十殿さんは、誇らしげにそう言った。

 俺は、痛い人間と関わってしまったと、今ごろになってようやく気がついた。


 この件が一段落したら、休み時間等々できるだけ彼女と一緒にいようと思った。

 すこしでも彼女の役に立てればと心から俺はそう思うのだった。

って、鰭ヶ崎クン。今、ワタシのことを哀れんだでしょ

えっ、いやっ

そんなに動揺しないでよ。余計みじめになるじゃない

ごめんっ

冗談よ。ワタシ、気にしてないから。ひとりのほうが気楽だし慣れてるから。で、話は戻るけどさ、4階の理事長室なんだけど

ああ。今、ちょうど3階だよ。これから4階

防犯カメラがあるから、一応、気をつけてね。まあ、後で録画データは修正するけど、できるだけ映る面積は少なくしてほしいわね。楽だから

了解。で、そっちはどう?

陸上部がステージに上がってる。ものすごいハイレグでエロいわよ

うーん、俺が知りたいのはそういうことじゃなくて。……理事長はどう?

あー。理事長の席はステージにあるんだけどね、ちょくちょくステージのそでに下がってはスマホで話してる。いかにもCEOって感じで偉そうだわ

まあ、あいつが理事長なのは3年くらいで、基本的には鷹司ホールディングスのCEOだからね

だけど、そんな超巨大企業のCEOも、娘のワガママには勝てなかった。ちなみにその娘の発表は一番最後。そしてラクロス部の後には、理事長からありがたいお言葉があって、それで発表会は終了よ

だいたい1時間くらいかな?

それくらいね。小型タブレットを持ってきて正解だったわ。ヒマがつぶせる

いやっ、遊んでないで助けてよ

分かっているわよ

 五十殿さんは、母性に満ちたため息をついた。

 俺は穏やかな笑みで、歩を進めた。


 真っ白で無機質な廊下だった。

 やはり誰ひとりいなかった。


 俺はそんな廊下を、ゆっくり進んだ。

 防犯カメラは見あたらなかったが、念のため隅を歩いた。

 そして何事もなく理事長室の前まで来た。

今、理事長室の前だよ

了解。理事長室は、防電波処理がほどこされてるわ。ケータイやこのイヤホンは使えないわよ

中に入ると話せなくなるんだな

その通り。なんだけどね、それはまあ副作用みたいなもので、本来の目的は、室内のPCにアクセスされないためなのよ。最近のノートPCにはどれもWi-Fiがついてるからね、そこから侵入されないためなのよ

侵入……って、ネット回線を使うんじゃないんだ

理事長室からは、一台のPCもネットにつないでなかったわ。さすが超巨大企業って感じのセキュリティ意識。理事長のPCは完全なスタンドアローンよ

なるほどね。というわけで、俺が直接乗りこむわけだけど――

部屋の中に入ってしまえば、Wi-Fiから侵入できる。昨日渡した小型端末は持ってきてる?

ああ

スイッチを入れるだけでOKよ。後は自動でデータを盗むわ

了解。しかし、五十殿さんは凄いな。ハッカーってプログラムだけかと思ってたよ

画面のなかだけでどうこうするのは、古いタイプのハッカーよ

いやほんと、頼りになるよ

鰭ヶ崎クンの行動力もね。で、部屋に入ってからのことだけど、PCは探さなくても良いからね。その端末なら、遮蔽物のないところだと100メートルの距離からハッキングできる。まあ、現実的には50メートル以内に近づくのがベストだけど、とにかくPCが部屋のどこにあっても大丈夫よ

なるほど、じゃあ行ってくるよ

 俺は穏やかな笑みでそう言った。

 すると五十殿さんは、真剣な声でこう言った。

鰭ヶ崎クンってクールっぽいけど、でも、意外と感情が顔に表れるから気をつけてね

ああ、気をつけるよ

 俺は気合いを入れた。

 SPから奪ったIDカードをポケットから取り出した。

 それを理事長室の扉にかざした。

 扉が開いた。

 俺は扉を引いた。

 そして、なかに入った。

 ひどく重い扉に感じたのは、これから起こることに緊張しているせいだと思う。

ふう

 俺は扉を背にして、額の汗をぬぐった。

 顔をあげて、理事長室をまじまじと見た。

 と。

 そのときだった。

 扉が閉まった。

 ロックされた音までした。

 そして室内の警報ランプが点灯した。


 閉じ込められたのだ。

……さてと

 俺は大きく息を吸って、それから吐いた。

 気持ちをリセットした。


 理事長の机には、ノートPCがあった。

 俺はとりあえず小型端末のスイッチを入れた。

 これであのPCのデータを盗みはじめたはずである。

 念のため、上手く動作したのか五十殿さんに確かめたかったが、しかし、この部屋で彼女と話す手段はなにもない。


 俺は、ただひとり、計画が成功することを祈った。――

 数分にも数十分にも感じる時が過ぎた。

 突然、廊下が騒がしくなった。

 そう感じた瞬間、扉が開いた。

まったく。浅はかだなキミはっ

 理事長とSPだった。

ああっ

 俺は理事長の顔を見た瞬間、床に手をついた。

 がっくりとうなだれ崩れ落ちたような――そんな姿勢で首をたれた。

 それから土下座をするように突っ伏し、頭をかかえ、顔を隠した。

 こんなの。


 こんなの無理だ。


 無表情でいるとか、絶対に無理だ。

 俺は笑いをこらえきれず、ただただ顔を隠すだけのために床に突っ伏した。

 勝利を確信した俺の肩は、止まらない笑いによってふるえている。

ふんっ。情けないヤツめ

 それが理事長の目には、絶望からくるふるえに映っていた。

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