発表会当日。
発表会当日。
← 俺は講堂にいた
← 休学期間を終えた五十殿さんも講堂にいた
← だけど流山さんは東京にいた
鷹司の関連企業の採用面接のためだった。
今日は、学内のすべての人間が講堂に集まる。そんな日に流山さんの面接を設定したのは、鷹司理事長が流山さんを警戒しているからにほかならない。
が。
このことは俺たちの思惑通りだった。
俺は、理事長を油断させたかった。
そのために、流山さんにはこの学園から離れてもらったのである。――
※
発表会が始まった。
理事長の挨拶が終わると、部活棟に入る運動部の紹介が始まった。
理事長は、いったんステージのそでに下がった。
俺は目立たないように、そっと講堂を出た。
超小型のイヤホンを耳に入れた。
このイヤホンは、五十殿さんからもらったものである。
俺は、ためしに話しかけてみた。
もしもし。聞こえてる?
……うん、聞こえてるよ。そっちは?
聞こえてる。今、講堂を出たところ、これから理事長室に向かうところだよ
了解。このイヤホンは、5kmまで離れても大丈夫よ。ただし、電波が遮断された部屋では使えないから気をつけてね
了解。しかし、イヤホンつけているだけで話せるんだな
骨伝導だからね。ちなみに、ワタシには鰭ヶ崎クンの声しか聞こえないから注意して
うん?
そっちで何が起こっているのかは、鰭ヶ崎クンがしゃべってくれないと、まったく分からないのよ。まあ、トイレとかそういう音が聞こえないのは、このイヤホンの良いところなのだけれども
分かった。今、職員棟に入ったところだ。見た感じだと誰もいないよ
あはは、やっぱり理事長は親バカね。娘の発表を全職員にお披露目したいのよ。まったく、PTAや教育委員会の人たちまで呼んじゃってさ
まあ、そこが付け入る隙だよ。って、そんなに笑って大丈夫? 今、講堂にいるんじゃないの?
小声でしゃべってるから大丈夫。それにワタシがうつむいてひとりでブツブツしゃべっているのは、いつものことよ。だから誰も気にしていないわよ
五十殿さんは、誇らしげにそう言った。
俺は、痛い人間と関わってしまったと、今ごろになってようやく気がついた。
この件が一段落したら、休み時間等々できるだけ彼女と一緒にいようと思った。
すこしでも彼女の役に立てればと心から俺はそう思うのだった。
って、鰭ヶ崎クン。今、ワタシのことを哀れんだでしょ
えっ、いやっ
そんなに動揺しないでよ。余計みじめになるじゃない
ごめんっ
冗談よ。ワタシ、気にしてないから。ひとりのほうが気楽だし慣れてるから。で、話は戻るけどさ、4階の理事長室なんだけど
ああ。今、ちょうど3階だよ。これから4階
防犯カメラがあるから、一応、気をつけてね。まあ、後で録画データは修正するけど、できるだけ映る面積は少なくしてほしいわね。楽だから
了解。で、そっちはどう?
陸上部がステージに上がってる。ものすごいハイレグでエロいわよ
うーん、俺が知りたいのはそういうことじゃなくて。……理事長はどう?
あー。理事長の席はステージにあるんだけどね、ちょくちょくステージのそでに下がってはスマホで話してる。いかにもCEOって感じで偉そうだわ
まあ、あいつが理事長なのは3年くらいで、基本的には鷹司ホールディングスのCEOだからね
だけど、そんな超巨大企業のCEOも、娘のワガママには勝てなかった。ちなみにその娘の発表は一番最後。そしてラクロス部の後には、理事長からありがたいお言葉があって、それで発表会は終了よ
だいたい1時間くらいかな?
それくらいね。小型タブレットを持ってきて正解だったわ。ヒマがつぶせる
いやっ、遊んでないで助けてよ
分かっているわよ
五十殿さんは、母性に満ちたため息をついた。
俺は穏やかな笑みで、歩を進めた。
真っ白で無機質な廊下だった。
やはり誰ひとりいなかった。
俺はそんな廊下を、ゆっくり進んだ。
防犯カメラは見あたらなかったが、念のため隅を歩いた。
そして何事もなく理事長室の前まで来た。
今、理事長室の前だよ
了解。理事長室は、防電波処理がほどこされてるわ。ケータイやこのイヤホンは使えないわよ
中に入ると話せなくなるんだな
その通り。なんだけどね、それはまあ副作用みたいなもので、本来の目的は、室内のPCにアクセスされないためなのよ。最近のノートPCにはどれもWi-Fiがついてるからね、そこから侵入されないためなのよ
侵入……って、ネット回線を使うんじゃないんだ
理事長室からは、一台のPCもネットにつないでなかったわ。さすが超巨大企業って感じのセキュリティ意識。理事長のPCは完全なスタンドアローンよ
なるほどね。というわけで、俺が直接乗りこむわけだけど――
部屋の中に入ってしまえば、Wi-Fiから侵入できる。昨日渡した小型端末は持ってきてる?
ああ
スイッチを入れるだけでOKよ。後は自動でデータを盗むわ
了解。しかし、五十殿さんは凄いな。ハッカーってプログラムだけかと思ってたよ
画面のなかだけでどうこうするのは、古いタイプのハッカーよ
いやほんと、頼りになるよ
鰭ヶ崎クンの行動力もね。で、部屋に入ってからのことだけど、PCは探さなくても良いからね。その端末なら、遮蔽物のないところだと100メートルの距離からハッキングできる。まあ、現実的には50メートル以内に近づくのがベストだけど、とにかくPCが部屋のどこにあっても大丈夫よ
なるほど、じゃあ行ってくるよ
俺は穏やかな笑みでそう言った。
すると五十殿さんは、真剣な声でこう言った。
鰭ヶ崎クンってクールっぽいけど、でも、意外と感情が顔に表れるから気をつけてね
ああ、気をつけるよ
俺は気合いを入れた。
SPから奪ったIDカードをポケットから取り出した。
それを理事長室の扉にかざした。
扉が開いた。
俺は扉を引いた。
そして、なかに入った。
ひどく重い扉に感じたのは、これから起こることに緊張しているせいだと思う。
ふう
俺は扉を背にして、額の汗をぬぐった。
顔をあげて、理事長室をまじまじと見た。
と。
そのときだった。
扉が閉まった。
ロックされた音までした。
そして室内の警報ランプが点灯した。
閉じ込められたのだ。
……さてと
俺は大きく息を吸って、それから吐いた。
気持ちをリセットした。
理事長の机には、ノートPCがあった。
俺はとりあえず小型端末のスイッチを入れた。
これであのPCのデータを盗みはじめたはずである。
念のため、上手く動作したのか五十殿さんに確かめたかったが、しかし、この部屋で彼女と話す手段はなにもない。
俺は、ただひとり、計画が成功することを祈った。――
※
数分にも数十分にも感じる時が過ぎた。
突然、廊下が騒がしくなった。
そう感じた瞬間、扉が開いた。
まったく。浅はかだなキミはっ
理事長とSPだった。
ああっ
俺は理事長の顔を見た瞬間、床に手をついた。
がっくりとうなだれ崩れ落ちたような――そんな姿勢で首をたれた。
それから土下座をするように突っ伏し、頭をかかえ、顔を隠した。
こんなの。
こんなの無理だ。
無表情でいるとか、絶対に無理だ。
俺は笑いをこらえきれず、ただただ顔を隠すだけのために床に突っ伏した。
勝利を確信した俺の肩は、止まらない笑いによってふるえている。
ふんっ。情けないヤツめ
それが理事長の目には、絶望からくるふるえに映っていた。