笑顔の彼女――空とは対照的に、恵司は驚いた顔で自身の身体を押さえる。自分は刃物か何かで刺されたはずではなかったのか。現に、先程まで恐らく自分を刺したであろう少女と話していたではないか。それなのに、今の恵司の身体には傷一つ無く、痛みすらない。その上目の前には死んだはずの恋人までいるのだ。
恵司
へ……あっ!?
何だ妙な顔をして。ほら
え?
『え?』じゃない。折角のクリスマスなんだ、一緒に過ごしたいと急にわがままを言ったのは悪いと思っているが、流石にその反応は傷付くぞ
笑顔の彼女――空とは対照的に、恵司は驚いた顔で自身の身体を押さえる。自分は刃物か何かで刺されたはずではなかったのか。現に、先程まで恐らく自分を刺したであろう少女と話していたではないか。それなのに、今の恵司の身体には傷一つ無く、痛みすらない。その上目の前には死んだはずの恋人までいるのだ。
ん? 何か忘れ物でもしたか?
いや、その……今日って、クリスマスだっけ?
照れ隠しでももう少しマシなことを言え。ほら
そう言って、彼女が見せた携帯の画面には確かに12月25日の文字。だが、恵司の記憶が正しければ、少なくとも彼が傷を負った日はクリスマスではない。なら、この日付は? それに、目の前の空は一体?
ほら行くぞ。私のおすすめの店がある。そこでご飯でも奢ってくれ。彼氏らしく、な
あ、ああ。勿論……
考え始めた恵司の手を空が引いた。そのせいでリセットされる思考。しかし、恵司が再び元の謎に向き合う時間を空は用意してくれなかった。
それにしても、急にすまないな
いや、全然構わんさ
音耶は元気してるか?
ああ。だけど、折角の二人きりのディナーに他の男の名前は出されたくなかったな
ふふっ、悪いな。でも、お前の双子の弟のことくらい気遣ったって良いだろう。私の義弟でもある訳だしな
ちょ、ま、まだ決まった訳じゃ
ん? 不満か?
いや……そんなことは……
本当に反応が面白い奴だな。もう少しぐいぐい来てくれてもいいんだぞ? 夜みたいに
――げふっ!? ばっ、妙な事っ、言うな……っ、咽た……
あはははっ! 冗談だよ。はぁ……やっぱり、楽しいな
少し寂しそうに笑った空はワイングラスを傾ける。対して恵司は一気にグラスを呷った。
アルコールが入ったせいか、恵司の頭の中からは現状の奇妙さなど微塵も気にかかっていない。
空になってしまったグラスを見た空は、「全く、もう少し上品に飲め」と茶化しながらウェイターを呼んで恵司のグラスにワインを注がせる。ウェイターは二人のやり取りを知ってか知らずか、くすりと微笑していた。
本当に……今日は嬉しい日だ。だけど、そうも言っていられないな
な、何かやっちゃったか俺? ごめん、マナーとかはあんまり分からなくて……
気にするなら一気に飲まなければいいのにな。……まぁ、そうじゃない。そんなこと、私は気にしないさ
空は一つため息を吐き、グラスをぼーっと眺める。白ワインが注がれたグラスには、困り顔の空が映る。
素直に帰れと言えるとばかり、思っていたんだけどな。実際目の前にしてしまうと、やはり後悔が募る
……空?
お前に愛してもらうために死んだのに、こんなに寂しいとは思わなかった。お前の姿を、見るだけで……こんなに嬉しくなるとは……思わなかった……
瞳に涙を浮かべる空に、恵司は慌てて思わず席を立ってしまう。気付けば周りには誰もおらず、先ほどのウェイターも見当たらない。静かな空間に、空の嗚咽のような独白が響く。
ごめん、ごめんなさい……恵司…………。きっとお前は、私以上に寂しかっただろうに……私は、本当に……自分勝手だった…………
何、言ってるんだ? 空、俺は――
大丈夫だ。……もう、大丈夫だ。だから、今は、抱きしめて欲しい
恵司は拒むことなく、空の横へと立つ。ゆっくりと立ち上がった空を包み込むように抱きしめ、頭を撫でてやる。美しい髪が恵司の手に触れる。――久しぶりの、暖かな空の身体。恵司はその体温を自身に刻み込むかのように黙って空を抱きしめ続けた。
……恵司
愛してるよ、空。今でも、ずっと
何か言いたげな空の唇を、恵司は自身の唇でそっと塞いだ。空は何も言わず、そのまま身体を委ねる。空の瞳から、一筋の涙が零れ落ちた時、恵司はゆっくりと唇を離した。
もう、行くといい。私の気が変わらないうちに。お前はまだ来ちゃいけない
……わかってる。でも、案外戻ってくるのは早いかもしれないぞ
その時はまた、私が追い返そう。お前は危なっかしいから、私がいないと駄目だな
ああ、本当に。それじゃあ。……麻衣が、呼んでる
私の義妹を泣かせるんじゃないぞ。それから、緋糸の事も頼む
わかってるさ。じゃあまた――
兄者……兄者ぁっ! お願いだから、目を覚まして欲しいのじゃ……
病院の廊下で、麻衣は母親に背を擦られながら嗚咽を零していた。恵司が病院に運ばれてから、どれだけの時間が経ったのか彼女にはわからない。
恵司は集中治療室に居て、今は会えない。母から聞かされたのはそれだけで、麻衣には恵司がどの病室に居るのかすら全く分からなかった。
ふと、慌てたような看護師が、麻衣の母に声をかけた。麻衣は恵司の身に何かあったのではないかと、顔色を真っ青にして立ち上がるが、母親は涙を流して頭を下げていた。
おっきい兄者に、何かあったのか?
母親は涙を拭きながら、麻衣の頭を撫でた。
――恵司が目を覚まし、容体も安定してきたのだという。流石にまだ今すぐに会うということは出来ないが、このまま行けば明日には一般病棟に移されるため、面会も可能になる。麻衣はぱあっと顔を輝かせ、母に思い切り抱きついた。
やったのじゃ! 兄者、兄者が目を覚ましたのじゃ!
麻衣があまりにはしゃぐので、母親は少し困った顔で彼女に「しーっ」と静かにするよう促す。それでも抑え切れない麻衣は、母親の胸にぎゅっと顔をうずめた。
やれやれとばかりにほっと胸を撫で下ろしながら、母親は彼女の姉と兄に一通メールを入れてやる。すると、間髪入れずに兄の方から返信が届く。
『心配させた馬鹿兄に、直接メールを送らせてくれ。母さんからじゃなくて、あいつからの謝罪が欲しい』
そんな文面ではあるものの、彼も心配していたというのはすぐさまメールが来たことからもわかる。
とんだバカ息子共だ、と母親は笑顔で溜息を吐いた。