10│気になる先輩

雨音 光

うーん、それはよくわかんないねえ

レイン

なかなか難しそうな方ですね、そのお友達

屋上の隅で、先輩はいつもと変わらず私の話を真剣に受け止めてくれて、真剣に悩んでくれた。


その様子に、変わりはなかったと思う。

先輩も噂なんて気にしていない、と信じたい。

雨音 光

猫と人の行動がうらはらなのはよくあることだけど、そこまで露骨なのは珍しいね

川越 晴華

そうなんですね……先輩も初めてのパターンですか

雨音 光

うん。

っていうか俺、猫見に関してはまだまだ初心者だよ

先輩の言葉に、そうそう、とレインが相づちを打っている。

川越 晴華

そうなんですか。

生まれたときから猫見が使えるものと勝手に思っていました

雨音 光

はは、まあ、そのへんはまた今度話そうか

また今度、という言葉に、再び安堵する。


先輩との関係は、終わったりしなさそうだ。

雨音 光

まずは、その子の問題だよね

川越 晴華

そう、ですね……

思い出す、あの視線。

考えただけで胃のあたりがきりきり痛むようだ。

川越 晴華

どうすればいいと思いますか

雨音 光

素直に訊くのが一番だと思う。

私、何かした? って

川越 晴華

……勇気がいりますね

まあねえ、と先輩が空を仰いだ。

雨音 光

でもほら、俺も今朝のにゃいんで、素直に書いたでしょ

今朝のにゃいん。

その言葉で、もう何度も読み返したあの言葉が脳内を駆け巡る。

川越 晴華

……あれ、先輩がもう会いたくないんじゃないかって思っちゃいました

雨音 光

えっ、嘘、ごめん。

そんなつもりは全くないよ

川越 晴華

今そのことがわかって安心しているところです……

レイン

ほーら、だから、直接話すべきだって僕は言ったんだ

レインが先輩をちょんと小突いた。


うう、と先輩が大きな手で自分の顔を包みこむ。

雨音 光

ごめん、本当に……レインの言うとおり、直接話さないといけないね

先輩は自分の顔から手を離して、にこりと優しく微笑んだ。

雨音 光

訊いてみなよ、勇気出してさ。大切な友達なんでしょ?

川越 晴華

……そう、ですね

私は、膝の上にのせていた手をぎゅっとにぎりしめた。

そうだ、舞は大切な、大切な友達だ。

それこそ、私の秘密を打ちあけた、数少ない人の一人でもある。

先輩にも、話していない秘密。




だからこそ、しっかりと向き合わなくちゃ……怖くても。

幸谷 舞

先輩といちゃついている人とは、話したくない

次の日、ばっさり。

さすがの私も、少しカチンときてしまう。

川越 晴華

何で怒ってるのか、わかんないのに教えてくれないのは、困る

幸谷 舞

いいよ、わからないならそれで

にゃー! にゃんにゃ、にゃ、にゃあ!

クロニャ

『ごめんね、違うの』って……わけがわかりませんにゃあ

怒りの気持ちは、すぐにどこかに飛んでいってしまった。

うらはらな舞の気持ちを再確認する。

川越 晴華

……納得できない

まっすぐ、私は伝えた。

幸谷 舞

納得できないなら、先輩に相談してみたら

仲裁をするように、無機質なチャイムが教室になりひびく。

言いあい、終わり、とでも言いたげだ。



舞は、ツンとそっぽを向いて席に戻ってしまった。

にゃ

しかし、昨日と同じく、彼女の猫は私のそばにいるままだ。


かわいく首をかしげる猫を見て、私とクロニャは同時にためいきをついた。

授業中、私の足元でクロニャと舞の猫はにゃんにゃんと楽しそうにおしゃべりをしていた。


すっかり仲良くなったのはよかった。

いや、もしかしたら私が猫を見ることができるようになる以前から、この二人は仲が良かったのかもしれない。


そう考えると、ますます気分は落ち込んだ。


そう思えるほどに、私達だって仲が良かったはずなのに。

レイン

大丈夫ですか、ぼーっとして

足元から、聞きなれた声がしたかと思うと、机の上にレインが現れた。


よく声を出さなかったと思う。

川越 晴華

びっくりしたあ……!

レイン

心配だったので、見に来ましたけど……クロニャ、授業中は静かにしなよ

クロニャ

にゃ、つ、つい

足元にいたクロニャが、ばつの悪そうな声を出した。

いつもの言い争いになるかな、と構えたけれど、そんなことにはならなかった。

きっとクロニャが、いすの下で小さい体をますます小さくしていたに違いない。

そんなクロニャを見て、レインもぎゃあぎゃあと言う気にはならなかったのだろう。

レイン

ま、いいけどさ。

晴華さん、元気なさそうですね

レインの青い目が、心配そうに覗きこんでくる。

私が小さくうなずくと、レインが困ったようにためいきをついた。

レイン

光から伝言です。

いつでも連絡していいよ、って。

抱えこみすぎないようにしてくださいね。

じゃあ、僕は戻ります

レインがいなくなったあと、クロニャがごめんなさい、と謝ってきた。

そんなの、ちっとも気にしていないのに。

首を横にふると、にゃあ、とクロニャが寂しそうにないた。

川越 晴華

屋上、行こう……リフレッシュしたい

気持ちがリフレッシュしたら、もう一度いろいろ考えて、先輩に相談しよう。

そう思って、十分間のわずかな休み時間に、私は教室を飛び出した。

一人で屋上に出たことのない私は、出てまずいっぱいに空気を吸い込んだ。


この時間帯に屋上に出るのも、そういえば初めてだ。

川越 晴華

気持ちいい……

胸いっぱいにためた空気を、勢いよく吐く。

少しだけ、体が軽くなる気分だった。


もう一度、深呼吸。


二、三歩前に出て、息を大きく吸ってーー

雨音 光

川越さん

川越 晴華

おふわー!

空気をいっぱい吸い込んだあとに驚くと、人は空気を含んだ変な声を出すようです。

雨音 光

ごめん、大丈夫?

川越 晴華

せ、先輩! どうしましたか!

雨音 光

階段駆け上がってく姿が見えたから、屋上かなって……レインにさっき様子見てもらったけど、元気なかったって言うしさ

川越 晴華

飛び降りませんよ

雨音 光

はは、心配だっただけ

ふわりと風のように先輩が笑う。へへ、と私も思わず笑みをこぼす。


心配だから着いてきてくれた。

ただそれだけのことが、本当に嬉しい。

川越 晴華

大丈夫です、相変わらずよくわかりませんけど、深呼吸したら落ち着きました

雨音 光

そう、よかった

川越 晴華

休み時間、すぐ終わっちゃいますよ、戻りましょう

リフレッシュして、さあ、授業中にいろいろ考えてみるぞ。


そう意気込みながら、先輩と並んで階段を降りていた、そのとき。

幸谷 舞

にゃあ!

舞と、舞の猫が同時に声をあげた。

舞の声は小さくて、猫の声は大きい、声。

にゃー! にゃあああ!

猫は必死だ。
それと対照的に、舞はとても冷静だ。


とても冷静に、私を見て、先輩に視線を反らし、すぐに私に視線を戻す。


なる、ほど、ね。


視線がそう言っているようだった。

視線で言い終えた彼女は、ふいと教室に戻っていく。

レイン

違うんだよーって、彼女の猫、必死だったね。

例の友達ですよね?

私はゆっくりとうなずく。

思考を巡らせる。あの、視線、あの態度。

雨音 光

なるほど……本当によくわかんないね。

大丈夫?

川越 晴華

大丈夫、です

チャイムが鳴る。

先輩は、無理しないようにねと言って、教室へと戻っていく。


私は、駆け足で教室に向かいながら、思考を巡らせる。

今度は、ぐつぐつと煮たつ気配はしなかった。
先程、屋上に出たときのように、クリアになっていく。

川越 晴華

わかったかもしれない……

何で私は気がつかなかったのだろう。

川越 晴華

舞、先輩のことが好きなんじゃ……!

そうだ、絶対にそうだ。

気になっていた先輩と急接近した人がいたら、それは、あんな態度になっても仕方がない。


仲良しの先輩、と強調していたような気がする。
あれは、嫉妬だったんだ。




だとしたら、先輩に相談するわけにはいかない……!

先輩と仲良くなってから初めて、私は放課後に先輩と会わずに、家に帰った。




舞は、先輩のことが好きなんだ。
舞は、先輩のことが好きなんだ!

川越 晴華

どうしよう、クロニャー!

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