日はすっかり山陰に隠れ
あたりは薄暗さに包まれる。
紗希と那由汰は帰路へと向かう田圃道を
いそいそとゆく。
帰り道
紗希の家につく頃には、
あたりはすっかり暗くなってしまった。
街灯の少ない田舎道では
星明かりも道を照らす光となる。
那由汰は紗希を玄関先まで送る。
ただいまー
おかえり。
じゃあ、また明日。
紗希ねぇちゃん。
帰ろうとする那由汰に
気づいた紗希の父は、
夕闇の中、娘を送ってくれた労を
ねぎらおうと声をかける。
お、那由汰君、夕飯食べていかないか?
寸杜むすびは作れないが、焼き魚と味噌汁ぐらいは私でも作れるぞ。
そうだよ!
那由汰、食べていきなよ。
紗希も相槌を打つ。
んー…
と那由汰は少し考えた後
ちょっとばあちゃんに聞いてみる。電話借りていい?
と言った。
うん
ちょっと、お邪魔します。
那由汰は玄関にある電話の受話器を取り、
自宅の電話番号を押す。
しばらくすると、電話が繋がったようで
喋り出す那由汰。
……うん。
……うん。
……わかった。
じゃあね、ばあちゃん。
ガチャンと受話器をおいた後、
紗希と紗希の父の方を振り向き、那由汰は
いいってさ。
と微笑んだ。
いえーい!
はしゃぐ紗希。
その嬉しそうな娘の姿を見た父は
今日はタチウオの良いのが手に入ったんでな。タチウオの塩焼きと大根と油揚げの味噌汁だよ
とにこやかに献立を告げた。
* * *
いただきます。
おかわりならあるから、どんどん言ってくれよ。
ありがとうございます。
寸杜むすびに苦戦するのがわかってたんでな。朝かなり多めに炊いたんだ。
やめてよ、お父さん!
じゃあ、お言葉に甘えておかわりを……。
はい、那由汰、お茶碗かして。
ありがと、紗希ねぇちゃん。
* * *
ふぅ…食べた食べた。
ごちそうさまでした。
じゃあ、洗いものしちゃうね。
紗希は席を立ち、エプロンをつけると
シンクで食器を洗い始めた。
瀧林教授は
そんな娘の姿を少し眺めた後、
那由汰の方へ視線を向けて、
学者の顔に変わった。
那由汰君。
はい、何でしょう?
今朝言ったこと覚えてるかね?
僕に教えたいことがある、って言っていた事ですか?
ああ、そうだ。
ちょっと私の部屋に来ないかね?
紗希、部屋に行ってるぞ。
は〜い。
二人は二階にある瀧林教授の
書斎へと向かった。
先生のお部屋、久しぶりです。
我々が引っ越してきたばかりの頃、2年ほど前だっけかな?あの頃はよく君が入り浸っていたね。
懐かしいです。
那由汰は部屋の中を見回しながら、
変わりない風景を懐かしんだ。
書棚に並ぶ、たくさんの学術書。
研究を裏付ける標本群。
未知なる世界を感じさせるその風景は
少年の心を掴んで止まなかった。
今日見てもらいたいのはこれだよ。
瀧林教授は
日の当たらない位置にある棚から
標本瓶持ち出してきた。
うっ……。
標本の中にあるものを見た那由汰は
本能的に後ずさる。
これはなんですか?
動物…哺乳類みたいですね。
ネズミの亜種だよ。
正確にはげっ歯類ネズミ亜目の未発見の種類というべきかな。
……やっぱり……ネズミ……
へぇ……。
ネズミの仲間ですか……。
なんか前脚と後脚が長いですね。
これだけ破損した状態なのに、
よく気づいたね。
そうだ。
ネズミなのにまるで
犬のような体型になっている。
だが、門歯と呼ばれる
ネズミ目特有の前歯がある。
これは紛れも無くネズミの仲間だ。
私の専門ではないので詳しくはないが、民俗学をやる上では大なり小なり自然人類学も関わってくるのでね。
生物の分類学もそれなりに噛んでるのさ。
瀧林教授はそう言いながら
書棚の方をチラッと見た。
自然人類学かぁ……。
ふふふ、覚えておいたほうが良いと思うよ。で、このネズミが私の研究と何が関係あるかと言うとだね……。
瀧林教授は目をキラキラと輝かせながら
語調を変えて話し始めた。
以前、御握島にだけに存在する説話があると入ったのを覚えているかな?
『鬼の施し』、ですね。
そうそう。
穴の中にいる青年が赤鬼と青鬼から食料を施されるが、礼を返すと赤鬼に感謝されるが青鬼は油断した村人に襲いかかるという話だね。
欲をかいた人間が、青鬼にたかってしっぺ返しを喰らう、という道徳的な話ですよね。
一見するとそうだね。だが……。
瀧林教授は視線を窓の外へと向け、
夜空を眺めながら続けた。
私はずっとこの話に疑問を抱いていたのだ。
なぜ青年は穴の中にいたのか?
なぜ村は穴の中にあるのか?
そうですね……。
でも昔話なので深くは考えていませんでした。
瀧林教授は再び那由汰の方を向いて問う。
では、聞くがなぜ村祭では寸杜むすびを流すのかな?
那由汰は祖母からの教えを思い返しながら
それはその食料を施してくれた鬼神様への感謝の意を表して、ですね。
と、答えた。
瀧林教授は
ふむ。
と、言った後間髪入れずに
だが、村祭では、洞窟へと流れる川に食料を乗せた船を流す。それはまるで、鬼側の役目じゃないか。
と那由汰に返した。
あ!
寸杜とは、
鬼神への感謝なのか?
命を失った人々への贖罪なのか?
……いや、違う。
村祭の寸杜には何かが隠されている。
………。
そして、洞窟のそばで見つけた
このネズミ……。
と言いかけた時、
一階から紗希の声が聞こえてきた。
那由汰ー!
そろそろ街灯消えちゃうよ!
あ、もうこんな時間だ!
先生、その続きまた聞かせて下さい!
そうだね、こんな焦った状態で聴かせるものでもないし、やはりちゃんと時間がある時にしよう。
* * *
どこへ行ったんだ?
まさか、母親が遺体を持ちだしたんじゃ……?
病院内では消えた遺体と
その母親の消息を探していた。
こっちには来なかったか?
病院の受付で目撃情報を集める看護スタッフ。
見てないです。
しかし、受付のスタッフは
母親の姿も、
人を背負ったり抱きかかえたりした
人物の姿も見ていないという。
……母親は受付に向かわず、
どこかへと消えてしまったのだ。
つづく