撫子

またですか、お師匠様ぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!!

 今日もまた、レディアヴェール王宮の一室で、一人の少女が堪えきれない怒りを爆発させていた。
 研究室兼、少女が『お師匠様』と呼び慕う青年の部屋の中は、一言で表現すると……、『混沌空間』と評するべきか。

フェインリーヴ

ふあぁぁ……。どうした? 弟子その1。

撫子

どうした? じゃないですよ!!
わかってます? 自分を取り囲む空間が物凄くカオスな事になっている件について!!

 汚部屋と化している部屋……、服やら本やらが乱雑に散らばったその奥にあるソファーで休んでいた青年が、欠伸を噛み殺しながら起き上がった。
 そのアメジストの双眸がゆっくりと周囲を見回すが、何を気にした様子もなく、彼は一言。

フェインリーヴ

撫子……、腹が減った。

撫子

いやいや!! 毎回言ってますけど、その反応おかしいですよね!? 腹減ったって、お師匠様の神経どんだけ図太いんですか!?

 いつも通りの反応ではあるが、撫子と呼ばれた少女は恒例のように全力でツッコミを入れている。
 すでに空高くまで昇っている太陽は、とっくに昼の時刻を知らせているというのに……。
 撫子が薬草を摘みに行っていたのは、ほんの数時間の事。それなのに、何故また部屋が恐ろしい事になっているのか……。

撫子

はぁ……。
短時間でここまで汚せるのも、才能の一種なのかなぁ……。この駄目お師匠様め。

フェインリーヴ

撫子、何度も言っているが、
お前は顔に出やすいタイプなんだ。
師匠への悪口は、陰でこっそりやっておくんだな。

撫子

うぐっ!!
で、でもっ、毎回部屋を汚すお師匠様が悪いんじゃないですか!!
その度に弟子の私がお片づけを頑張ってるんですよ? 少しは気遣うとか、部屋を少しでも綺麗に保とうとか、ですね……。

 お師匠様と呼ばれているこの青年の名は、フェインリーヴ。レディアヴェール王国の薬師、正式には、薬学術師(やくがくじゅつし)という職に就いており、薬草に関する知識と、それを扱う術(すべ)はかなりの凄腕レベルだ。
 撫子も縁あって彼の弟子となり、その才能と知識には尊敬の念を抱いている。……の、だが。

撫子

それ以外が、……駄目駄目、なんだよねぇ。
これじゃ恋人が出来ても、「この顔だけ男!!」的な感じで、絶対にフラれる。うん。

 そう確信出来る程に、彼女の師匠は人間として問題ありの人物でもあった。
 王宮の女官や城下の町娘に至るまで、フェインリーヴの美しい顔立ちに歓喜の悲鳴を上げる者は多いが、撫子的には一度でいいから、この駄目過ぎる内面を見てほしいと、切に願うばかりだ。
 もし、奇跡的に結婚出来たとしても、確実に三日で離婚は確実だと思える。

撫子

お師匠様……、聞いてます?

フェインリーヴ

ん? あぁ、悪いな。
ハウスの薬草の成長具合に思いを馳せていた。食事をとる前に見ておくか。

撫子

また人の話を聞いてない!!
あああああああぁぁっ、もうっ!!
いっぺん、そのお綺麗な顔に右ストレートでも打ち込んでやろうかしら!!

 そんな弟子の心中も知らず、フェインリーヴは身支度を整え、汚部屋になっている空間もなんのその。
 普通に障害物を避けて出口へと向かってしまう。
 少しは気にしろ……、こんな部屋で暮らしていたら、確実に嫁どころか、友人、知り合いに至るまで、いつか訪問しなくなるぞ。
 撫子は溜息と一緒にその場を放置すると、マイペースなお師匠様の後を追って部屋を出る羽目になったのだった。

フェインリーヴ

ディシュカの花、クレオ草……。
特に成長段階に問題はないようだな。
この分なら、十日後には栽培可能か。

 レディアヴェール王宮の裏手、巨大な栽培ハウスの中には、多種多様な薬草や花の類が種類ごとに管理され、順調な成長過程を見せていた。
 眩い陽の光が差し込んでくる透明仕様の天井の下、計画的に植えられた種の成長を守る為に、薬学術師達が配した魔術の陣が幾つもハウス内に見える。
 

撫子

はぁ……。このハウスの子達に向ける気配りのひとつでも、あの部屋に向けてくれれば。

フェインリーヴ

まだ言ってるのか、お前は。
別に俺の部屋の掃除はしなくても構わん。
そう言っているだろう。
薬学術師たる俺の弟子となったお前は、
薬草やそれに関する事にだけ勤しめばいい。
それが、お前の成すべき事だ。

 つまり、人のプライベート空間的な場所に世話女房のような真似はしなくてもいい、と?
 それはそうかもしれないが、撫子にとってあの部屋は、見たくなくても毎日通う場所なのだ。
 気にするなという方が無理である。
 というか、自分が掃除をしなくなったら、この掃除とは無縁の師匠は、いつか汚部屋に呑み込まれてしまうのではないだろうか……。
 撫子は嫌過ぎる未来を想像しながら、薬草に関する知識を語るフェインリーヴの傍でこっそりと溜息を漏らした。

フェインリーヴ

似たような薬草は多いからな。
まだお前の経験値では選別も難しいだろうが、
せめて、毎日行かせている『リリィアの森』に生えている薬草だけは頭に叩き込んでおけ。

撫子

はい。回復系の種類が多いので、それを中心に覚えを進めていますので、ご安心を。
あと、お師匠様。知識を教えて頂けるのは有難いんですが……。
さっきから、ぐーぐーとお腹が鳴りまくってますよ。盛大に。

フェインリーヴ

あ……。そういえば、腹が空いていたんだった。

 キリリとした真面目顔で師匠顔をしていたこの男だが、その間中腹の虫が盛大になっていた事には全く気付いていなかったようだ。……本当に残念なイケメンである。
 その場にへにゃんと膝を着き、フェインリーヴはお腹を押さえて呟く。

フェインリーヴ

撫子……、俺はもう駄目だ。

撫子

いやいや、大食堂まで行けばいい話じゃないですか。何をそんな世界の終末を前にしたかのような顔で項垂れているんですか。
ほら、行きますよ。自分の足でちゃんと歩いてください。

フェインリーヴ

何故だろうな……。
生命の本能故か、歩く力も……。

撫子

じゃあ、放置して私だけ昼食に行ってきます。
ではでは。

 駄目師匠の食事の面倒まで見ていられるものか。
 撫子はわざとらしく自分を支えてほしそうに見上げてくるフェインリーヴをスルーし、さっさと栽培ハウスから出て行ってしまった。
 後に残されたフェインリーヴは、弟子のつれなさに嘆くでもなく、ゆっくりと立ち上がり……。

フェインリーヴ

ふふ……。

 撫子を相手にしていた時とは違い、何かを楽しむように余裕めいた笑みを零した。
 

1・私のお師匠様!

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