その後――。

 俺は痛みをこらえて下校した。

 家に帰る前に、流山先生のマンションに寄った。

 先生は驚いた後、複雑な笑みで俺を部屋に入れてくれた。

もう先生じゃないしね

………………

 先生は、懲戒免職されたことの顛末を語った。

 やはり無実だった。

お金の流れを確認してるときにね、ちょっと一線を越えてしまったの。それでバレちゃって、あっという間。使途不明金やらなにやら身に覚えのない罪をきせられて、スピード免職よ

……そうだったんですね

うん。それで鰭ヶ崎くんも何かあったの?

えっ?

そのことで来たんでしょう?

……あの、実は

 俺は、今日起こったことを話した。


 先生は俺のことをうかがうような瞳で見ていた。

 まるで何か言いたいことでもあるような、そんな瞳で話を聞いていた。


 俺がすべてを語り終えると先生は言った。

心配が半分、喜びが半分。ほとんど矛盾に近いふたつの感情が、先生の心の中でからみあってるわ

はあ

鰭ヶ崎くんの欠点は、怒りやすいことね

……はい

ううん、感情表現が豊かなのは素晴らしいことよ。でも、理事長のような人を相手にした場合、それは大きな欠点となってしまう

……俺は退学になるのでしょうか?

それはないわ

 きっぱりと、先生は言った。

理事長の立場で考えるとね、鰭ヶ崎くんを退学にして騒がれるより、『ウソつき少年』として学園に残したほうが楽だもの

でも、先生は懲戒免職に

先生の場合は、こう言っては悪いけど、鰭ヶ崎くんとは違って専門知識があるから。それにW大学のOBにはマスコミ関係者が多いのよ。だから、理事長や学校関係者にとって脅威となる可能性があったの

それでも、いきなり懲戒免職なんて

教師が騒いで懲戒免職になるのと、懲戒免職になった教師が騒ぐのでは、まったく違うのよ。くやしいけど、この件に関して理事長はベストな対処をしているわ

ベストって

学園の立場で考えた場合の――ベストよ

 先生は無理に笑ってそう言った。

それで鰭ヶ崎くん。……転校は、しないの?

それはっ

 俺は言葉をつまらせた。

 すると先生は、やわらかな笑みでこう言った。

その気持ちはもっともよ。鬼神学園は、県下で三本指に入る進学校。特待生には学費免除があるし、部活動や学業の成績優秀者には大学推薦もある。魅力的な高校よ

でも、あんな理事長っ

鷹司さんが理事長に就任したのは、3年前。娘の美由梨さんがワガママを言って公立中学に進学したときに、理事長の椅子を欲したと言われているわ

そんなことが

近藤さんと同じ中学に行きたかったらしいの

………………

いろいろとあるんでしょうね。と、それはさておき。学園と理事長は切り離して考えるべきよ。鬼神学園が魅力的な高校なのは、彼の実績ではないわ。むしろ、鷹司理事長は新参者。まあ、私よりは長く務めているんだけどね

 しんみりと、先生は言った。

 俺はどう応えていいのか分からなかった。

 沈黙が流れた。


 俺は、しばらく考えたのちに、覚悟を胸にこう言った。

先生、俺は転校しません。このまま学園に通い、必ず彼らにやり返します。奪われた近藤さんの尊厳と慰謝料を、俺は絶対に奪い返します

鰭ヶ崎くん?

あのとき、理事長は俺に言いました。『富と権力はあらゆる手段をもって護持される。もちろんそれに汚い手も含まれる』と

………………

先生、俺はやってみたくなったんです。あらゆる手段を駆使して、全身全霊をかけて、あの理事長から取り返したくなったんです。フェアプレイもなにもない、そんな戦い方で奪われたものを取り返したいのです

しかし鰭ヶ崎くん

これはSPのIDカードです

それをどうして?

殴られたときに盗りました。ここから鷹司の不正をたぐり寄せます

………………

もちろん盗みは悪いことです。軽蔑しましたか?

……激情のなかに潜む、抜け目のなさ。そういうのは別に嫌いじゃないわよ

先生、力を貸してください

………………

お願いします

 俺は頭を下げた。

 先生は、うーんとうなったまま、深くソファーに沈みこんだ。

 やがて先生は言った。

いいわ。一緒にやりましょう

ありがとうございます

フェアプレイもなにもない――っていうのが気に入ったわ。まあ、先生も……って、私もう先生じゃないし、無職だからヒマだしねっ

いや、無職のままはマズイと思うけど

ううん。懲戒免職って一番重い処分なのよ。だから再就職先なんかそうそう見つからないわ

そっか

まあ、先生の……じゃなくて、私の職もついでに奪い返そうかって、そういうイヤらしい計算もあってのことなのよ

ああ、そうか。近藤さんの慰謝料を奪い返すことは、不正を暴くことにもなる。不正を暴けば、先生の無実も証明される。きっと学園に復職できる

復職はまあ、あまり期待してないけれど。でも、身の潔白は証明したいわね

いいですね

ちょっと悪賢(わるがしこ)かったかな

いや、俺たちはこれからあらゆる手段を用いて戦います。悪党でいるくらいでちょうどいいです

悪党かあ

嫌ですか?

ううん。……ねえ、鰭ヶ崎くん。ピカレスク小説って知ってる?

ピカレスク?

スペイン語のピカロ(ならずもの・悪漢)に由来する小説の様式よ。社会の下層に位置する悪漢が主人公なの

じゃあ、俺たちにピッタリだ

うふふ。チーム名にする?

チーム・ピカレスク。俺たちはピカレスクだ、みたいな?

悪者は『ピカロ』なんだけどね

じゃあ、ピカロ。チーム・ピカロ

うーん

うーん

俺と先生は、目と目を逢わすと苦笑いした。

ピカロ……。いや、ピカレスクかな?

ピカロにする? ピカレスク? それとも、わ・た・し?

いやっ、そんな冗談っぽく言わないでよ。これで結構、真剣に考えてたんですよ

ごめんねっ

というか、先生って意外と冗談好きなんだ

 しかも、スベリ気味のオヤジくさいやつを。

ねえ、鰭ヶ崎くん。これからは先生って呼ぶの禁止。あと、お互い敬語は徐々になくしていきましょう?

えっ、ああ、はい

 俺がうなずくと、先生……元教師の流山敦子さんはやさしく微笑んだ。

 シャンメリーをグラスに注いだ。

 そして言った。

それでは、ふたりの新たなる門出を祝してっ

いやっ、それってなんか新郎新婦っぽくないですか?

あら、先生は構わないわよ

俺は構います。というか、自分で先生とか言ってるし

あらいやだ。まあ、私の呼称については後でじっくり考えるとして

ああ、はい

チーム名は、ピカレスクでいいかな?

いいですね

それじゃ、鰭ヶ崎くん。乾杯の音頭をっ

ええっと、じゃあ……

 俺は大きく息を吸った。

 それから不敵な笑みでこう言った。

俺たちピカレスクは――。権力者に奪われた、平等・自由・幸福追求を含む不可譲の権利を必ず取り返すことを、今、ここに宣言する

 俺たちはグラスを鳴らした。

 というわけで。

 このアメリカ独立宣言を丸パクリした言葉とともに、俺たちピカレスクはスタートしたのだった。

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その4 ピカレスクの始動

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