近藤さんの自殺から1ヶ月が経った。


 俺は退学にならなかった。

 休学処分にもならず、また、これといった罰もなかった。


 学校は今まで通りだった。

 鷹司美由梨は、相変わらず女子を引き連れ、学園生活を満喫していた。

← 彼女に罪の意識はまったくなかった

 時折、俺を見ては意味ありげにニヤニヤ笑っていた。

 鷹司美由梨は、俺を蔑(さげす)み、あざ笑っていた。

………………

 俺はそんな美由梨の態度に怒りをおぼえたが、しかし、懸命に抑えていた。

 これは訓練だと思ってこらえた。

 どんなときでも冷静で悪賢(わるがしこ)くいられるための、これは精神修行なのだと思っていた。


 すべては鷹司美由梨と理事長に報復するためである。

 近藤さんの奪われた尊厳を、奪い返すためだった。――

 そんなある日のことだった。

 俺は学校帰りに、流山さんの家に寄った。

あら、いらっしゃい

おじゃまします。さっそくですが、あれからどうですか?

SPのIDカードでしょう? 調べたわよ

 流山さんはそう言って、ノートPCを開いた。

 会社のサイトを表示させ、それからこう言った。

このIDカードは、TTSPCという会社のものよ

TTSPC?

鷹司セキュリティ・ポリス・カンパニー。鷹司ホールディングスの関連会社よ。ちなみに、鰭ヶ崎くんが奪ったIDは、かなり上位の階級ね。TTSPCが警備するエリアのほとんどにアクセスできるわよ

まあ、それはなんとなく予想してたけど

 鷹司ホールディングスのご令嬢……美由梨のSPなのだから。

でね。どこかで見たことがあるなあって思ってたんだけどね

ええ

ほらココ、会社の実績ページにね、学校法人鬼神学園ってあるでしょう?

あっ、ほんとだ

TTSPCは、SPを派遣するだけの会社じゃないの。防犯カメラや赤外線センサーなどによる機械警備も扱う会社なのよ

ということは?

鬼神学園の最深部、書類の保管庫や金庫のあるエリアには、防犯センサーが設置されているんだけど、その設備がTTSPCのものなのよ

もしかして、そこに学園の帳簿がある?

うん。私はそこに入って捕まっちゃったの

じゃあ、このIDカードがあれば問題ない?

問題ないわね。書類の保管庫には、年間予算計画書と毎月の予算実績比較表がある。非公開の書類がある。お金の流れが追える

それで近藤さんの慰謝料がどうなったのか調べられる

理事長を追及できるわね

 流山さんは自信に満ちてそう言った。

 俺は不敵な笑みをした。

 と、そのときだった。

 突然、ノートPCの画面が暗くなった。

 電源が勝手に切れた。

あら、故障かしら

なんだ?

買ったばかりなんだけどなあ

あっ、起動画面になった

 俺たちは安堵のため息をついた。

 しかし画面はすぐに青く変わり、意味不明の文字が流れはじめた。

困ったわね

修理に出したほうがいいかもしれませんね

 そんなことを言っていると、やはり唐突に、

 インターホンが鳴った。

 宅配便だった。

 流山さんはそれを受け取ると、困り顔でソファーに深く沈みこんだ。

差出人に心当たりはないけれど

 流山さんはそう言いながら包装を開けた。

 なかにはケータイが入っていた。

 しかも着信した。

きゃっ!?

なんだ!?

 俺たちは、おそるおそる覗きこんだ。

監視されている

 メールにはそう書かれていた。

 俺と流山さんは首をかしげた。

 またすぐにメールが送られてきた。

会社のサイトにアクセスするのは危険だ。だからシャットダウンした

 その後も次々と送られてきた。

ワタシは『ナードハード』。国際指名手配のハッカーだ

国際指名手配?

ハッカー?

 思わず声に笑いが混じった。

 いや、笑い事ではないのだけれども。

ワタシはキミたちを助けることのできる能力を持っている

 なんだか自動翻訳サイトで翻訳したような文章だ。

日曜の午前11時。北欧家具のショッピングセンター、そこのフードコートで会おう。鰭ヶ崎クンは10時到着、流山クンは10時50分到着。別々に入店し、集合時間まで店内で時間をつぶすこと

 このメールを最後にケータイは沈黙した。……。

とりあえず会ってみますか

えっ!?

だって『ナードハード』とか名乗っててバカっぽいし。それに流山さんの家とか知られちゃってるし

あっ、そうか

会って、どんなヤツか見てやろう

そうね。とにかく会ってみましょう

 俺たちは、結構、致命的な状況なのにも関わらず。

 それなのにワクワクしてしまうのだった。――

 日曜日。

 俺は、メールの指示通りに時間をつぶした後、フードコートに入った。

 流山さんは、すでにいた。

ああ、鰭ヶ崎くん。こんにちは

こんにちは

なんだかデートみたいだわ

クラスメイトに見られたら勘違いされちゃいますよね

ふふっ、私は別に構わないわよ

いやっ。……まあ、冗談って分かってますけど、でも、俺は高校入ったばかりなんで、そういうの結構気にしちゃうんですよ

あら、好きな子でもいるのかしら

別にそういうのじゃないですけど

うふふ、じゃあ敬語禁止

ああ、すみません。……って、なかなか慣れないすね

 などと話をしていると、俺たちの机に突然、

 トレーが置かれた。

 それと同時に、メガネ娘が俺たちの正面に座った。

 そして、いきなり早口で言った。

初めまして。1年2組の鰭ヶ崎クンに、元教師の流山クン

……もしかしてナードハードさん?

ちょっと大声で言わないでよ。恥ずかしいじゃない

恥ずかしい……って、自覚はあるんだ

 俺と流山さんは、懸命に笑いをこらえた。

 するとメガネ娘は、ほっぺたを赤く染め、可愛らしくこう言った。

だからリアルで人と会うのはイヤなのよ

ごめん

あの、なんて呼べばいいのかな?

あん子。ワタシは五十殿あん子(おむか・あんこ)。だから、あん子でいいわ

それって本名?

隠す意味ないでしょ。同じ学校だから、すぐ分かるし

キミ、鬼神学園なんだ

1年1組よ。まあ、ずっと休学してるのだけれども

休学?

あっ、五十殿さんって、あの?

さすが、元1年2組の副担任。実はワタシね、家電ショップで捕まっちゃったの。展示してあるハンディカメラの映像をハッキングしていたんだわ

ハンディカメラをハッキング?

テレビに映るハンディカメラの映像をね、リアルタイムで別人の顔に差し替えてたの。歩いてたらそういうプログラムを突然思いついちゃってさ、ちょっと試したくなったのよ

リアルタイムで顔の差し替えって、そんなことできるの?

テレビの映像は、1秒間におよそ30枚表示されてるの。だから1秒間に30枚の画像を描き換えれば可能……だったんだけどね、ちょっと間に合わなかった

すごいな

 俺は感嘆の声をもらした。

 すると流山さんが彼女の経歴を語った。

五十殿さんは、中学の全国学力テストで1位を取った才女。それだけでなく数学や情報関連の分野で多くの発表をしているのよ

すごい

彼女は受験して鬼神学園に来たのではないわ。学園が彼女を誘ったの。そうよね?

えっ、ええ

 俺と流山さんは、尊敬の眼差しで彼女を見た。

 すると五十殿さんは、ひどく照れて、もじもじしながらこう言った。

まっ、まあ、顔の差し替えに話は戻るけど。防犯カメラのフレームレートなら充分実用可能よ。さっき試してみたけど問題なかったわ

それって結構すごくない?

すごいわよ。……犯罪だけど

 俺と流山さんは興奮して彼女を見た。


 五十殿さんは、あわてて顔をそむけた。

 いかにも恥じらっているような、おびえているような仕草だった。

 まるで可憐な少女のようだった。

 純真無垢な、もしかしたら今どき珍しい深窓の令嬢、箱入り娘かもしれない。

 と。

 このとき俺は思ったのだけれども。

 しかし、それはそう見えるだけだった。

町を歩いてる人なら楽勝なんだけどね。裸の場合だと肌の色を合わせるのが結構難しいのよ。微妙な差異が気になっちゃって、あはは、これがなかなか使いものにならないんだわ

 まあ、結論から先に言って、五十殿あん子(おむか・あんこ)は高すぎる知能をどこか持て余していて、それでいて、どこかブッ壊れていた。

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