おはようございまーす

百手

おはよう、高橋くん

ガラス、昨日の今日で綺麗に直ってますね

百手

まぁ、色々とツテがあるからね

そうなんですか

あんまり聞かないでおこう

 光をキラキラと反射するガラス面は綺麗で気分まで澄んだ気分になる。

でもお客さんはいないですね

百手

高橋くんが来たし、これからだよ、これから

じゃあ俺、着替えてきますね

 さっそく自分の名前が入ったロッカーに荷物をいれ、着替えを済ませる。

 店内に戻ると百手が触手を店内に縦横無尽に伸ばしていた。

うわぁ!

百手

どうしたの?

すいません、まだ慣れなくて

百手

いやぁ、ごめんごめん。こうしないと仕事が終わらないからね

 そう言って百手が頭を掻いている間にも黒い触手はそれぞれ意思を持っているかのように棚の整理、飲み物の補充、窓ガラスの拭き掃除をしている。

便利というか、店長にはそれが普通なんでしょうけど

百手

人間から見れば恐ろしいものにしか見えないよね。ちょっと驚くだけでこうしてバイトに来てくれるんだか高橋くんは私にとっては神様だよ

お客さんだけじゃなくてバイトも神様なんて懐が大きいのか、間口が緩んでるのか

商品にあの粘液みたいなのつかないんですか?

百手

昨日みたいに焦ったりしてなければね。昨日は高橋くんに正体を知られまいと必死だったから

でもそうやっておおっぴらに触手出してるから幽霊コンビニなんて言われちゃうんじゃないですか?

百手

 触手の動きが一斉に止まる。

 他の店舗と比べても二周りは大きな店。それに今拭いているガラス窓もその先には地元ドライバー御用達の裏道だ。奇妙なものがコンビニの中でうごめいていれば噂にもなる。

百手

やっぱり私は裏で仕事をやることにするよ。申し訳ないけど高橋くん店番を頼むよ

あ、はい

百手

そうそう他の仕事は出来る範囲で構わないから。君が帰った後に私がやっておくよ

 大きな体を揺らして百手が逃げるように店内から消える。

 それでも見えないように触手を床に這わせてモップがけしているのだから仕事熱心だ。

やらなくていいとは言ってもなぁ

 立っているだけで仕事をしたと言い張るのもなんだか気分が悪い。定期的に客が来てくれればまだしも、店内は閑古鳥すら飛び立った後のように静かだ。

 要はやっぱり誰も近付く気配を見せない道路の方を見やる。

店先の掃き掃除でもしておこうかな

 箒とちりとりを掃除用具入れから持ち出して、自動ドア近くの車止め辺りで箒を鳴らす。客は現れなくても風が色々なものを壁まで運んではここに溜め込んでいくものだ。

きれいにしてればお客さんも来るかもしれないしね

ゆかり

あれ、君誰?

え、あ、いらっしゃいませ

ゆかり

いらっしゃいませくん?

違います!

 不思議そうに首をかしげた少女に思わず声をあげる。
 胸元には緩んだリボン。短いスカート、目に痛いほどの金色の髪。

 ロリポップをコロコロと舌の上で転がして、ときどき唾液の絡んだ音がする。

なんか不良っぽい女の子だなぁ

ゆかり

どしたの、ジロジロ見て?

あ、いえ。どうぞ

ゆかり

あー、もしかして新入り? あたし、ここのバイトの富良野ゆかりって言うんだ。よろしく

 そう言ってゆかりはポケットから自分が舐めているのと同じロリポップを要に押し付けた。

あ、どうも

ゆかり

もらったものはすぐ食べてね

でも今はバイト中なんで

ゆかり

大丈夫。店長そのくらいじゃ怒らないし、そもそもお客さん来ないし

それはそれで問題なんじゃ

ゆかり

あたし着替えてくる。じゃーね

そんなに悪い子じゃないのかな?

 レジを通って店裏に向かう背中を見送っていると、その視界に誰かが映りこんだ。

小木曽

おい

はい!

小木曽

姫にあんま馴れ馴れしくすんじゃねぇぞ

は、はい!

 ゆかりが後ろに連れていたらしい男だった。こちらは学生服は着ていないし、顔からして歳も要と同じか少し上に見える。

お友達? それとも彼氏かな? それにしても今の人、顔色凄く悪かったなぁ

それにしても店長、バイトがいないからお客さんが来ないって言ってたけどちゃんといるんじゃないか

 掃き掃除を終えて、要はふとゆかりからもらったロリポップを思い出す。

ちょっと食べてみようかな

うわ、何これ? 舌が痺れるみたいな味がする! 何味なんだろう? でももらったものを食べないのも悪いよなぁ

 ピリピリとする舌を時々外気で乾かしながら、要はゆっくりと店の中に戻った。

百手

あ、高橋くん。ちょうど良かった。紹介しておくよ。アルバイトの富良野(ふらの)さんと小木曽(おぎそ)くんね

あ、さっきすれ違いました。よろしくお願いします

ゆかり

要くんね。ゆかりでいいよ。よろしく

小木曽

しゃっす

あんまり女の子を名前で呼ぶのは、ってあれ? その腕

 制服の時は気付かなかったが、半袖になったゆかりの両腕には白い包帯が巻かれている。よく見ると首筋にも巻かれているらしい。

ゆかり

あ、これ? ファッションだよ。カッコいいと思わない?

えぇと、個性的でいいんじゃないかな

邪気眼ってやつなのかな? 女の子では珍しい気もするけど

 自分にも覚えのある要としては、あまりこの話題を広げたくはない。

それじゃ頑張ろうね

 それだけ言うとゆかりはくるりと後ろを向いて裏の方に戻っていく。

え、結局表は俺一人?

ゆかり

あたしは適当にしてるからー

ちょっと

百手

彼女、こんな感じだからよろしく頼むよ、高橋くん

なんだかなぁ

 気の弱そうな百手がゆかりに強く言えるはずもない。とはいえ店は店で手伝ってもらうこともなく、ぼんやりレジに立っているだけだ。

 誰もいない店内をモップで拭き、ダスターで拭き、棚の見栄えを研究し、普段読まない雑誌をめくっていたが、本当にやることがなくなってくる。

バイト中暇ってこんなにも落ち着かないものなんだ

 新たな発見をして少し賢くなった要に店裏のゆかりから声がかかる。

 バイトの制服には着替えているものの、ゆかりはさっきから休憩室兼店長の部屋である畳部屋から全く出てこない。

ゆかり

ねーねー、要くん

どうしたの?

ゆかり

グルーとって。爪割れちゃった

仕事もしてないのに?

ゆかり

うるさいなぁ。ほらあれ。早く取ってきて

 這い出るように休憩室から出てきたゆかりはレジに立った要の肩に顔を乗せて指を差す。

いや、あれは商品だからダメだよ

ゆかり

じゃあ買ってよ

どうして俺が

 抵抗する要の顔をゆかりが覗き込む。

ゆかり

要くん、あたしがあげた飴食べた?

た、食べたけど?

ゆかり

本当に?

すごく舌が痺れる味だったんだけど

ゆかり

ふーん

謝ってくれないの!?

ゆかり

まぁ、いいや。裕一ー、グルー買ってー

小木曽

うっす

 呼ばれた小木曽がコスメ用品の中から爪の補修用のりを取ってレジに持ってくる。買う意思をもってレジに持ってこられれば要は売らざるをえない。

はい

ゆかり

やったー。ありがとー

 レジを通した商品に一応シールを貼り、要の後ろで待ちかねていたゆかりに渡してやる。

まったく最近の若い子ってやつは

 自分と二歳しか違わない少女がはしゃいでいるのを見ながら、要はすっかり老け込んだ気持ちで溜息をついた。

二話 紫色の愛情疾走(前編)

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