ケンイチが十二歳になった小学生最後の冬休みにそれは起こった。
その頃になると学校が休みに入って給食が無い日などは彼は近くのスーパーで食料品を万引きして飢えを凌ぐことを覚えていた。
ケンイチが十二歳になった小学生最後の冬休みにそれは起こった。
その頃になると学校が休みに入って給食が無い日などは彼は近くのスーパーで食料品を万引きして飢えを凌ぐことを覚えていた。
この冬初めて雪が降った十二月のある寒い日、母親は昼過ぎに起きると男と出かけたまま夜になっても帰ってこなかった。
ケンイチはスーパーで万引きしたクッキーを食べながらいつものようにテレビを見ていた。
テレビでは黒い軍服をきた小柄な男の熱のこもった演説が一時間以上続いていた。
画面越しにも強烈な存在感を放っている小男、まだ若いがこの国の首相であった。
退屈してテレビのチャンネルを変えてみたが放送があっているのはこのチャンネルだけだった。
ケンイチはテレビに手を伸ばしスイッチを押した。
外は雪が降り続いていて寒い夜だった。
テレビを消すと何もすることがなかった。
暖房器具もない部屋に一人で膝を抱えて座っていた。
隣の部屋から微かに話し声が聞こえてきた。
精神を病んだ女が一人で住んでいる部屋に誰か客が来ているようだった。
低い男の話し声が途切れ途切れに聞こえてくる。
女の部屋に客が来ることは今まで一度もなかった。
ケンイチは壁に耳を当ててみた。
話し声はすぐに止んでしまった。
かわりに何か人が争うような物音が聞こえてきた。
ケンイチはベランダに出た。
このアパートのベランダは繋がっていて石膏ボードで仕切られている。
ケンイチは手すりを乗り越えボードを回りこむと隣のベランダに移動した。
ガラス戸は閉まってカーテンが引いてあった。
ケンイチはしゃがみこんで気付かれないようにガラス戸を少しだけスライドさせてみた。
鍵は掛かっていなかった。
僅かだけカーテンをずらすと中の様子を見ることが出来た。
男が女の身体の上にまたがって首を締めあげていた。
二人とも裸だった。
女は苦しそうに何か言っていた。
「シュンちゃん……シュンちゃん……」
と男の名前を呼んでいるようだった。
突然男は顔を上げた。
逆光で男の顔はよく見えない。
目を凝らすと男と目が合った。
男がケンイチに向かって手招きをする。
操られるようにケンイチはガラス戸を開くと部屋に入った。
ケンイチは男の顔をはっきりと見た。
間近で見ると男の両腕の内側にはおびただしい火傷の痕があった。
ケンイチはそれを見て煙草を押し付けられた痕だとすぐにわかった。
男の下で横たわってる女を見た。
女の顔は固く目が閉じられていて本当に隣に住む女なのかどうかということがケンイチには曖昧になっていた。
男はケンイチに向かって低い声で何か囁いた。
最初、男が何を行っているのかケンイチには聞き取る事が出来なかった。
突然男がケンイチの首に触れた。
その瞬間、電流が走った様に身体が震え、ケンイチは身動き一つ出来なくなった。
男が強い力でケンイチを引き寄せる。
男は両腕でケンイチの首を締め付けた。ケンイチは息が出来なくなりもがいた。
……
頭の中が一瞬真っ白になったその時、
こうやるんだ。お前を痛みつける者を。いいか、うまくやらなければまたオレと会うことになるぞ
男はそう言いケンイチの首から手を下ろすと、向こうへ行けというようなジェスチャーをした。
静かにケンイチはその場を離れた。
ケンイチは自分の部屋に戻りクッキーを手に取ると風呂場に向かった。
浴室の棚には母親が飼っている金魚の小さな水槽があった。
ガラスのケースの中で一匹の金魚がゆらゆらと泳いでいた。
母親が可愛がってる金魚だった。
金魚は美しかった。
ケンイチは母親に隠れてこの赤くて綺麗な金魚を眺めるのが好きだった。
ぼんやりとさっき見たことを考えた。
ケンイチは手に持っていたクッキーのカスを金魚の上にパラパラと落としてみた。
クッキーのカスは水面に落ちるとゆっくりと水槽の底に沈んでいった。
金魚は腹が膨れているのかそれには見向きもしなかった。
今度は一欠片のクッキーを水槽に落としてみた。金魚はするりとそれを避けた。
その時ケンイチの足元にどこからともなく一匹のトカゲが現れた。
あわてて捕まえようと手を伸ばしたがトカゲは素早い動きで姿を消した。
ケンイチはめまいを感じてしばらくその場にうずくまった。
トカゲが身体の中に入り込んだような奇妙な感覚に襲われ吐き気がこみあげてきた。
おもむろに立ち上がるとケンイチは水槽の中に手を突っ込み金魚をつまみ出した。
彼の右手の中で金魚はピクピクと蠢いた。
ケンイチは思いきり右手を握りしめた。
体中に電気が走ったような感じがした。
頭がしびれて足の感覚がなかった。
頭のしびれはだんだんと快感に変化していった。
ケンイチは初めて射精をした。
握り締めていた手をじわりと開くと金魚は無残に潰れていた。
ケンイチは金魚の死体をトイレに流すと、いつも寝ている奥の部屋の布団の中に潜り込んだ。
体の感覚はまだおかしかったが頭はすっきりしていた。
金魚を殺してしまったことを母親に知られたら間違いなく殺されるだろうとケンイチは確信した。