ケンイチは母親達による虐待を受けて育った。
物ごころがついた頃からまともな食事は与えてもらえなかった。
一日の食事がカップ麺一個というのが日常的だった。
いや何も食べられない日が一週間のうちに何日かあった
……
ケンイチは母親達による虐待を受けて育った。
物ごころがついた頃からまともな食事は与えてもらえなかった。
一日の食事がカップ麺一個というのが日常的だった。
いや何も食べられない日が一週間のうちに何日かあった
五歳になったケンイチは本当の父親を見たことがなかったが、母親が連れてくる何人かの男達によって絶えず暴力だけは与え続けられた。
男達は理由もなくケンイチを殴った。
博打に負けた腹いせに横腹を加減なく蹴りあげられる事もしばしばだった。
老朽化した二階建てのモルタルアパート。
その日当たりの悪い一階の角部屋が親子の住み家だった。
母親は無職だった。
親子は母子家庭に政府が支給する生活保護費で生活していた。
もとより母親にとってケンイチはその保護費を受け取る為だけの存在に過ぎなかった。
男が泊まっていく夜、母親はケンイチの両手両足をナイロンの紐で縛ると体ごとケンイチを洗濯機の中に押し込んだ。
彼は蓋を閉じられた洗濯機の中で首まで水に浸かりながら一晩過ごした。
母親はケンイチ一人を残して平気で、二、三日帰ってこない時もあった。
そんな時は隣に住んでいる見た目は美しいが精神を病んだ女がケンイチに手料理を食べさせた。
代わりにケンイチはその女の妄想話を延々と聞かされた。
しかしそれだけが彼が口にするまともな食事だった。
ケンイチは小学校に通うようになったが、先生や同級生とは一言も口を聞くことはなかった。
誰もケンイチが言葉を話す姿を見たことがなかったし、クラスの子供達に至ってはケンイチは口が利けないものだと思っていた。
それにケンイチの両腕の内側にある煙草を押し付けられて出来た無数の火傷の痕を気味悪がって誰もケンイチに近づく者はいなかった。
もちろん友達はいなかったし、いつも一人で遊んでいた。ケンイチは給食だけが楽しみだった。
学校に行けばトウモロコシで出来たパンと人工牛乳だけは必ず給食として食べることができた。
ケンイチはまずくてみんなが食べ残したパンをこっそりカバンの中に隠して持ち帰った。
相変わらず母親からまともな食事を与えられる事はなかったが、盗んだ給食のコーンブレッドのおかげでお腹を空かす日々から抜け出すことが出来た。