7│自分の感情に

川越 晴華

絵が完成しないことと、会いたい人がいることって、多分つながってますよね。

でも、先輩。

先生、放っておいてほしいですかね……今さらですけど

屋上で、私は夕焼け空を仰いだ。

昨日と同じように、屋上の隅で座って話をしている。

二匹はもちろん、膝の上だ。

雨音 光

守り猫が話しかけてきたってことは、本心では誰かに相談したくて、それが俺達でもいいってことだと思うよ

川越 晴華

あー、なるほど。

守り猫は正直、でしたっけ。

なんだか筒抜けな感じですね

思わず笑うと、まあねえと先輩も微笑する。

雨音 光

基本、守り猫達は無口だし、わからないことも多いけど、嘘はつかないからね

レイン

僕はつきますけど、特別ですから

しっぽをぱたぱたと揺らしながら、レインが得意気に笑った。

川越 晴華

そうなの?

レイン

そうです、他の守り猫より人間に近いので、特別です

川越 晴華

人間に、近い……

レイン

例えば、人間の言葉をしゃべれるようになりますし、ついている人間の心もリンクしにくくなりますからね

川越 晴華

へえー。

ってことは、他の守り猫ちゃん達は、ついている人の心に影響を受けるんだ

レイン

そうです。

悲しいときは悲しい、外に出たいときは外を見て、授業を聞きたくないときは眠って……。

まあ、この前みたいに、話を聞いてほしいときは勝手に動いたりって、自我がないわけじゃないですけど

川越 晴華

なるほどねえ

レイン

横入りすみません。
光の説明が少ないので、思わず。

僕からも少しずつ説明していきますよ。

どうぞ、先生の話に戻してください

レインがしっぽで先輩を叩く。

雨音 光

ありがとねレイン……あ、そうだ。

俺、絵を見て少し、違和感覚えたんだよね

神妙な顔つきで、先輩は言う。

綺麗な絵だった、という感想以外何も考えていなかった私は、先輩の観察眼に驚いた。

川越 晴華

さすがですね、先輩!

雨音 光

いやいや、なんとなく、なんだけど……何かが足りなかったんだよ。

でも、それが何かわかんないんだよね……明日、もう一回絵を見せてもらい行かない? 

そうしたら、わかるかもしれない

川越 晴華

もちろん! 

足りないもの、見つかればいいですね

次の日の教室で、私は必死に笑いをこらえることとなった。


朝のニュースで、確かに今日は午後から雨が降るだろうと言っていた。


言っていたけれど、まさか、教室中の猫ちゃん達が顔を洗っている事態になるとは、想像できなかった。

川越 晴華

猫が顔を洗うと雨が降るってやつか……

昼休み、そういえば今日は屋上で待ち合わせができないな、と思い、先輩にメッセージを送信することにした。

晴華

今日、雨降りますね。

どこで集合します?

すぐに来た返事は、予想外のものだった。

雨音光

ああ、そうだね。

川越さん、二組だよね?

川越 晴華

これ迎えにくる気だ……先輩ってそういうところ気にしないのかな……

複雑な気持ちでいると、私が返信をする前に、新たなメッセージが届いた。

雨音光

レインが迎えに行くって言ってる。どこかで合流しよう

川越 晴華

……そうだよね。何期待してるんだろ

いや。

川越 晴華

期待じゃないし! 

おこがましい! うわあ!

相変わらず、先輩に翻弄されまくっているのは、レインにもばれているようで、放課後迎えに来たレインは、開口一番、

レイン

あのメッセージだと、光が迎えに行くみたいでしたよねえ

とにやついた。

先輩と無事合流し、美術室に再度お邪魔した。

今日は美術室に何人か生徒がいたけれど、みんな黙々と作業をしていて、私達には一瞥をくれたぐらいだった。
何だか、安心する空間だ。


昨日と同じ位置に、先生の猫はいた。

相変わらず窓の外をじっと眺めている。

川越 晴華

先生! また絵を見せてください

先生は、未完成のもので申し訳ないと言いつつ、昨日見た絵とは違う三枚の絵を見せてくれた。




ピンク色のイルカが星空の中で泳ぐ絵、白黒の地球の絵、色とりどりの花の絵ーーどの絵も、本当に素敵だった。

足りないものなんて、あるのだろうか?




私のとなりで絵を見つめている先輩を盗み見る。

先輩は、綺麗だなあとつぶやきながらも、その絵を見る目は昨日とは少し違うように感じた。

まるで探偵のように、隅々まで観察するような視線だ。




先輩が無言で絵を見ている間、私は先生と話をしていた。

どんな絵が好きか、どんな絵が描きたいか、絵に関する思い出……五分ほど、話していただろうか。

雨音 光

昨日の絵

話が途切れたタイミングで、先輩が顔をあげた。

雨音 光

オレンジ色の空に、桃色の花。

赤色の花の上に浮かぶ、白い船。

森の中で、その木が隠した空を見る男の子。


そして、今回の絵を見て、わかりました、共通点が

先生が、笑顔のまま首をかしげる。

先輩は、一呼吸おいて、ゆっくりと先生に訊ねた。

雨音 光

先生が足りないと思っているものって、青色じゃないですか

牧野先生

青色……

先生の視線が、自分の絵に移る。


移って、しばらくして、表情がすっと消えていく。

牧野先生

……本当だ

先生の悲しそうな表情を、私は初めて見た。


今にも泣き出してしまいそうだ。

牧野先生

無意識にか……

川越 晴華

先生、どういうことですか?

牧野先生

……いえ。青色を使うのは、どうも苦手なのです

にゃあ!

先生の猫が、つんざくように叫んだ。


危うくそちらに顔を向けてしまいそうになる。

にゃあ!

もう一度、力強く叫ぶ、先生の猫。

レイン

嘘だ、気づいて、って

レインが声を落とし、通訳をしてくれる。

川越 晴華

嘘だあ。顔にかいてありますよ

反射的に、私は言った。努めて、明るく。


嘘には、嘘だ。

本当は、まなと君のときのように、すぐに嘘だとはわからなかった。

先生の嘘は、きれいに隠されている。


どういうことだ、と訊きたげな先生の視線を受け止めながら、私は言う。

川越 晴華

私達には、言えませんか?

牧野先生

……そうですね

先生は、証拠を隠すように絵をしまいはじめた。

ひとつ、またひとつ、先生の気持ちが封じ込められるように、絵が、奥へと引っ込んでいく。

川越 晴華

私達が、子どもだからですか

絵を見つめながら、私はつぶやいた。

少し、悔しかった。


子どもだ、という理由は、あまり好きではなかった。

その言葉だけで、悔しいことの全てがしかたないと許されてしまうことがあるような気がするからだ。


先生は、顔をあげて、顔を歪めた。

何か言いたそうで、それでも何も言わない。

もしかすると。

雨音 光

先生の立場だから、言えないことでもあるのですか

私が思ったことを、先輩が口に出した。

以心伝心して、驚いて先輩を見あげると、先輩はとてもまっすぐな視線を、先生に送っていた。

雨音 光

僕達は、子どもですし、生徒です。


でも、一人の人間として、誰かが困っているのを放っておくなんて、そんなことしたくないって、単純に思っています。

僕だけじゃなく、川越さんも

先輩がこっちを向くと同時に、私はうつむいた。

恥ずかしくて、情けなかったから。


先輩は大人だ。

私は、感情に任せて、悔しさに任せて言葉を吐いただけだった。

猪突猛進も、いいときと悪いときがある。

雨音 光

子どもに言えないことがあるのは、不思議ではありません。

でも、それなら、ごめん、でも言えないって、はぐらかさないで教えてほしいんです

先輩の言葉は、力強かった。


その言葉は、きちんと先生に届いているはずだと、確信させるほどに。

牧野先生

そうですね……川越さん

先生が、私の名を優しく呼んだ。

牧野先生

顔をあげてください。

川越さんの言うとおりです。

子どもだからって、はぐらかされるのは嫌ですよね。


私もまだ先生の中では若いですから、若造だからとはぐらかされることがままあります。

そのときの憤りを、自分が他の人に向けては、いけませんね

川越 晴華

……感情的になりました

牧野先生

感情的ではなく、自分の感情に正直、ですよ。

正直になることができるのは、素敵な人である証拠だと、私は思いますよ

一拍おいて、小さくため息をつき、先生は悲しみをこぼすように弱々しい声でつぶやいた。

牧野先生

私の好きな人も、そんな人でした

顔をあげると、先生は困ったように笑っていた。

何か言わなくちゃ。

そう思ったけれど、うまく言葉が出てこなかった。

牧野先生

誰かに聞かれると困ります。

屋上にいきましょう

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