黒谷陽炎

はあ……っ、はぁ……っ――!

止まったエスカレーターを一気に駆け下りて、俺は懐中電灯もつけずに一階のフロアを走った。どこにいるのはわからない、ただ、三人が懐中電灯を点けていれば、自然とわかるはずだ。

緊張と焦燥、そして精神的な疲労が心拍数を上げ、呼吸が苦しくなる。それでも走ることを辞めない脚は、必死に願望に向けて駆けていた。

――そして、しばらく走って。

俺は暗闇の向こうに、ぼんやりとした光を見た。ホッと安堵する反面、何か嫌な予感が心中に芽生える。

その予感を振り払うように、俺は光に向かった。きっと三人が――例え笑顔でなくとも――無事でいるはずだと……。

黒谷陽炎

はぁ……、はぁ……

――光を放つのは、確かに懐中電灯だった。床に放り出された状態で、それでも尚、自分の役割を果たそうとしている。

黒谷陽炎

…………あ……あぁ……

そしてそれが照らすのは、広がり続ける鮮血と、その上に横たわる、血まみれの二人の男だった――。

――いつの間にか、俺は叫んでいた。今が鬼ごっこの途中であること、そして鬼が近くにいるかもしれないということを忘れて。

黒谷陽炎

――……はぁ……っ

そして、ようやく収まったところで、俺は無理やりに深呼吸して、目の前にいる『斎藤輝』の死体に手を伸ばした。

……まだ温かい。それほど時間が経っていないからだろうか。

震える手で彼の手首を掴み、脈を測る。既に脈は無く、ナイフに突き刺された心臓部からは、止めどなく血が溢れていくだけだ。

俺はそっと手を離した。靴は広がっていく血の池に触れ、赤く染まっていく。

早鐘を打つ心臓を無理に抑えつけながら、隣に横たわる『宝条学』に手を伸ばそうとした――。

――その時、不意に館内放送が流れた。

ジョーク

皆様、ご連絡いたします。
只今、エントリーナンバー3番、斎藤輝様とエントリーナンバー6番、宝条学様が亡くなられました。お二人のご冥福をお祈りいたします。

――それは簡単な事後報告だった。ジョークにしては、重苦しい沈んだ声で告げる。

俺は自然と空を見上げて、微かな残響に浸っていた。

人の死は――一人の人生は、こうも簡単に、たった一言で終わってしまうのかと……。

黒谷陽炎

…………

言いたい事ならたくさんある。

でも今は、この場から遠ざかりたかった。

そう思って、立ち上がったその時。

……うっ……うぅ……

近くにある棚から、すすり泣く様な声が聞こえてきた。

次いで、宝条絢香の存在を思い出す。

黒谷陽炎

宝条、さん……?

そっと近づいて声を掛けると、ぼんやりとした光源の下、宝条絢香は姿を現した。頬には一筋の、それでも多くの涙を流したのだろう跡が窺える。

彼女は俺の姿を認めると、新たな涙を流しながら、まるで俺の存在を確認する様に抱きしめてきた。

宝条絢香

ちゃんと……ちゃんといるよねっ……?! 黒谷くんは……ここにいるよね……?

その悲痛な叫びに、俺は同じように抱きしめて応えた。

黒谷陽炎

大丈夫。ここにいるよ……

それからしばらく、俺は泣き続ける宝条絢香を抱擁していた――。

落ち着いた宝条絢香と共に、エスカレーターへと向かう。

その途中、俺は鬼の姿を見ていないかと彼女に訊いていた。

黒谷陽炎

やっぱり、見てない?

宝条絢香

うん、ごめんなさい……

申し訳なさそうに俯く彼女に、「謝ることじゃない」と言い、一緒にエスカレーターを上がる。もちろん、前方と後方には充分に注意してだ。

やがて二階フロアに辿り着き、エスカレーターから一歩前に躍り出ると、急に眩むほどの光が目に刺さった。

黒谷陽炎

うわっ!

宝条絢香

きゃっ?!

反射で目を瞑り、急いで開く。もしかして鬼か……?!

――が、その予想は、ある意味いい方へと外れてくれた。

宮野秋雪

あ、おじさん

黒谷陽炎

……宮野?

俺たちを出迎えたのは、宮野秋雪だった。

宮野秋雪と合流してから、俺たち三人はエスカレーターの近くにある柱の陰に隠れていた。ここにいれば安全というわけではないが、俺と宮野秋雪で左右を視ているので不意打ちはないだろう。

――まあ、鬼に見つかればアウトなのかもしれないが……。

そうやって過ごしていると、宮野秋雪がつぶやくように言った。

宮野秋雪

……残念だったね

それは明らかに宝条学と斎藤輝のことを言っていた。

宝条絢香は、少しの間を置いて答える。恐らく宮野秋雪の言葉に他意がないことが解ったのだろう。

宝条絢香

うん……

が、だからといって真面な返答など出来るはずもないが……。

俺は話題を逸らすように、宮野秋雪に一つ質問した。

黒谷陽炎

そういえば宮野、なんで二階に降りてきたんだ?

宮野秋雪

鬼が一階で殺したなら、次は上がってくると思ってね。おじさんが一階へ向かったのとほぼ同じタイミング降りたから、鬼に見つかる心配もないし

黒谷陽炎

でも上に行くとも限らないだろ?

宮野秋雪

だから二階で止まったんだよ

宮野秋雪はやれやれというようにため息をついた。馬鹿ですいませんね……。

そうして会話も区切りがつき、無言で待機すること五分ほど。息の詰まりそうな静寂の中、唐突に悲鳴が聞こえてきた。

この声は――峰吉さん……?

俺は気になって、柱の陰から出ようとした。

しかし顔を覗かせたところで、袖を掴まれ引っ張られる。振り向くと、宝条絢香が泣きそうな顔で、それでも睨みつけるように俺を見ていた。

宝条絢香

どこ行くの……?

黒谷陽炎

えっと……

俺はまた、自殺行為を行おうとしていた。無茶なことを、考え無しで。

その間違いを指摘するような視線は、宝条絢香だけじゃない。宮野秋雪もまた、俺に悲しい顔を向けていた。

黒谷陽炎

わかってるよ……

俺は宝条絢香に引っ張られるようにして、再び柱の陰に隠れた。

宮野秋雪

気持ちはわかるけど、どうせ放送が流れるだろうから、行っても同じだよ

宮野秋雪が決め手とばかりに告げる。

俺は反論することをせず、ただ二度目の館内放送が流れるのを待った。

――そして。

ジョーク

皆様、ご連絡いたします。

またなのか……。

そう思い、耳を塞ぐ。

――しかし、少しばかり聞こえてくるジョークの声は、少し困ったようなものだった。

ジョーク

えー……只今、エントリーナンバー9番、峰吉守様が誤って頭を打ち、気絶されました。

…………は?

ジョーク

我々としても初めてのことなので戸惑っておりますが、今回は特例として離脱させることにいたします。

俺は最初、何を言っているのか理解できなかった。

気絶……? なぜ?

そして――そんなことで離脱できるのか? それなら……。

――と、そこまで思考が及んだ時だった。

ジョーク

あ、言い忘れるところでございました。
気絶して離脱できるのなら私も……と思っている方々、わざとそんな行動を起こせばもちろん死んでいただきますので、ご注意ください

黒谷陽炎

……だよな

浅はかな考えだった。

ジョークの少し早口気味の注意も終わり、再び再開される。

――この時点で、残り時間は十分を切っていた。

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