魔王のはじまり

第三章「マリー」
後編












 それから数日が経った。

 村長の話は村全体に広がり、村人は悲嘆に暮れながらも、いつでも移住できるよう、準備を進めていた。

 そのせいで患者が減り、時間ができた俺はこっそり森に入り、国境付近の様子を窺っていた。
 魔法で気配を消し国境を越えて森の外れまで来てみたが……。
 明らかに斥候と思われる人影を見かけ、噂は本当だろうと確信することとなった。

 このことは村長にだけ話し、移住の準備を早めてもらったが、村人も狩りの最中に怪しい人影を見かけたという話が出始め、村の緊張は高まっていくこととなった。

そろそろだな……

 夜更け過ぎ、マリーが眠りについたのを確認し、俺は一人家を出た。
 秘術を使ってから一ヶ月以上が経っている。すでに、魔力は全快していた。

敵国は明らかに戦争の準備を始めている。対してこちらは……


 南側の町を見に行ったりもしたが、こちらは平時と変わらない様子だ。

 一方の北側は、森を抜けた北側の丘に堂々と陣を構えており、今すぐにでも攻め込んで来そうだった。

 さすがにこれは村長にも言えなかった。
 移住の準備はもう完了しており、明日には移動を開始することになっている。無闇に不安を煽る必要はないと考えたのだ。

しかし、だ。もう一つ、簡単な手があるじゃないか


 そうだ、とても単純な手段がある。
 俺は森に入り、真っ直ぐ北を目指す。

敵の陣を……破壊する


 正体不明の魔法使いにより、ノスリウス国の陣が壊滅させられた。

 そうなれば、ノスリウスも迂闊にサザリウスに手出しができなくなる。
 当然、サザリウスの手の者と疑われるだろうから、国内の関係ない場所を少々破壊して疑いを逸らす必要があるが。

戦争を回避するために、力を使う


 そこに躊躇いはないはずだった。……なのに。





『あぁ……外の人間は、何故……。我々はもう、争いに力を使うことは……無い……というのに……』




 長の最後の言葉が頭を過ぎる。

違う、争いのためなんかじゃない。俺は……

待って! エルト、どこに行くの?!


 後ろからの制止の声に、俺は足を止めた。


マリー……起きていたのか?

うん。なんか、エルトの様子がおかしかったから

……そうか? 普通にしていたと思うんだが

そんなことない。食事の時とか、思いつめた顔してたよ

なっ……いや、そんなはずはない


 マリーには悟られてはいけない。だから絶対に顔に出ないように気を付けていたのだ。

誤魔化してもダメだよ!

……一ヶ月も一緒にいたんだよ? それくらいわかるよ

……参ったな


 隠しきれず顔に出てしまったのだとしても、それは本当に些細な変化だったはずだ。

 そんなこともわかってしまうくらいに、マリーと親しくなっていたんだな……。

エルト。ノスリウス国に行くの?

そうだ

戦争を……止めるため?

ああ。大丈夫だ、俺ならできる。無傷で帰って来る

嘘! ううん、エルトの魔法の力ならそれができるのかもしれないけど、帰ってこないつもりでしょ!

それは……


 敵陣を襲った犯人が、サザリウスの村に留まるわけにはいかない。
 俺は、この地を離れるつもりだった。

エルト、わたしのためなの? わたしがこの村で、お父さんとお母さんを待っていられるように……だから、そんな無茶をするの?

…………


 違う、と言いたかった。言うべきだった。

 なのに俺は、その言葉を言うことができなかった。




やめて! わたしのことはいいから! お願いだから行かないで!

マリー……?


 マリーに抱きつかれ、俺は動揺する。
 彼女はそのまま、俺の胸の中で声を張り上げた。

移住して、みんなで平和に暮らせればそれでいい。……戦争になったら、平和とはいかないかもしれないけど。
それでも! みんながいて、隣りにエルトもいて欲しいって思ってる!


 マリーの身体は震えてた。俺は……。

お父さんとお母さんのことは、もちろん諦めたくない。
でもそれ以上に……エルトに、側にいて欲しいの


 一ヶ月と少しの間、一緒にいるうちに……俺たちは本当に、お互いを大事に思うようになっていたようだ。




……わかったよ、マリー。行かないよ

エルト……!


 そっと、震える背中を抱きしめる。

 マリーがそれを望むのなら。俺はずっと隣にいよう。


しかし……もしもの時は


 俺は森の北側を、じっと見つめるのだった。

















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