魔王のはじまり

第三章「マリー」
前編

.

























 秘術、深遠の門によってこの地に飛んでから、一ヶ月が経っていた。
 バルバ村での生活も随分と慣れてしまった。

 というより……。


エルトせんせい、ありがとー!

ありがとうございます、先生

……いえ、俺の魔法では根本的な治療はできませんから。熱が下がってるのも一時的です。帰ったら温かくして寝てください


 バルバ村の空き小屋を借りて、俺は医者まがいのことをしていた。

 最初はマリーや村長に頼まれて、広場で魔法治療を行っていたのだが、次第に寒さが厳しくなり、この小屋を借りて行うことになった。
 そうなるともう、これが仕事みたいになり、毎日決まった時間に診察をすることになってしまった。

 ただマリーの手伝いをするだけで過ごすのも申し訳ないな、と思っていたからある意味ちょうど良いのだが……。

エルト、今の患者さんで最後みたい。お疲れ様


 いつの間にかマリーの方が俺の手伝いをするようになっていた。

ふう、今日は多かったな。後は……

お、診察は終わりましたか


 伸びをしたところで、白髪交じりの男性が小屋に入ってきた。この村の村長だ。

村長さん。今日もですか?

ええ。是非、よろしくお願いします

わかりました。今日は診察に時間がかかってしまったので、短めでいいですか?

もちろん、構いません。エルト先生の無理の無い範囲でお願いします

わたし、お茶入れますね

 診察の後に行うのは、村長への魔法の手ほどきだった。

 この村で魔法が使えるのは、俺と村長のみ。
 しかし村長は、攻撃的な魔法しか使うことができなかった。
 そもそも、この辺りの土地では魔法使いが希少で、戦い以外で魔法を使うという考えが浸透していない。魔法は戦闘で使うものとしか見られていないため、村長も攻撃魔法しか習得していないのだ。

俺のいた土地では、魔法使いも多かった。魔法の技術も発達していた。
……それはもしかしたら、近くに俺たち魔竜一族のような存在がいたからなのかもしれない


 驚異的な魔法の力を持つ存在が近くにいたから。
 自らも魔法の技術を高め、そしてやがて……。


……では今日も、治療魔法を中心に教えます


 村長に教えるようになってから、俺も治療魔法の勉強をするようになった。

 とはいえ魔道書の類は一切無い。治療魔法が得意だった里の人たちの魔法を思い出しながら、独学で学ばなければならなかった。

 これはこれで大変だったが、意外と治療魔法も奥が深く、やりがいがあった。そして普通の魔法以上に細かいコントロールが必要なのだと気付かされる。

すごかったんだな、里の人たちは……


 下手したら、どんな強い魔法が使える人たちよりも、魔法の力、技術は上だったのかもしれない。

















.

そういえば、エルト先生。少々よくない噂を聞きましてね


 魔法の手ほどきも終わり、帰り支度を始めたところで、村長がそんな風に話を切り出した。

なんですか?

ええ……。北のノスリウス国のことは、ご存じですよね

はい。北の森に国境があるんですよね


 俺が倒れていたという森の中に国境があり、北はノスリウス国、南はここ、サザリウス国というらしい。マリーが教えてくれた。
 当然だが、初めて聞く国の名前だった。

元々あまり友好な国ではなかったのですが……。どうも、関係が悪化しているようでして

……それは


 嫌な予感がした。この話の流れはまさか……。

おそらく、エルト先生の予想している通りです。近いうちに、戦争が始まるのではないかと、噂されています

…………

えっ?! 本当ですか、村長さん!


 横で聞いていたマリーが驚いた声をあげる。
 村長は辛そうな顔で頷いた。

 マリーから二国間の仲が悪いことは聞いていた。
 加えて北のノスリウスは土地が貧しく、食糧不足が原因で、昔は度々攻めてこられていたという。
 ここ数年は音沙汰無かったようだが……。

戦争が始まると、この村は危ないですよね


 俺がそう言うと、二人とも黙って顔を伏せてしまう。

 国境近くの村。戦争が始まれば、間違いなく巻き込まれる。



エルト先生の仰るとおり。……ここは戦火に巻き込まれるでしょう。もちろん、そうなる前に手を打ちますが

手を打つ、というと?

……村長としては、選びたくのない選択です。村を放棄し、奥地にある安全な村へ移住するのです

 隣のマリーの、息を呑む音が聞こえた。





















……仕方が無いよね。ここにいたら危険なんだもの。逃げるしか無いよね

そうだな……


 家に帰り、食事を終えていつものようにお茶を飲む。
 あんな話を聞いてしまったからだろう、マリーは元気がなかった。

有事の際には移住をする。古くから村同士で交わした契約だそうだな

うん。そんなのがあるなんて、わたし知らなかった

昔は戦争が多かったのだろう? おそらく、その名残だろうな


 国境近くの村はいつ危険に晒されるかわからない。そのため、そういう取り決めをしていたのだろう。



わたし、この村……好きなんだけどな。色々、思い出もあるし

マリー。ずっと気になっていたんだが……


 気になっていて、聞くことができなかった疑問。

マリーは生まれたときからこの村に住んでいるのか?

うん、そうだよ。生まれも育ちも、このバルバ村。……あぁ


 マリーは少しだけ笑んで、自ら話を切り出す。

わたしの両親のこと、だよね

……ああ。何故一人暮らしをしているのか、気になっていたんだ

わたしのお父さんとお母さんね、ずっと、行方不明なの

行方不明?

そう。わたしが小さい頃に、森に狩りに出かけて……それっきり。村のみんなが探してくれたけど、持ち物一つ見付からないって

…………

獣に襲われたのなら、なにか残っているはずなのにそれもない。
だから真っ先に疑ったのは、ノスリウス国。もしかして捕まったんじゃないかって……

そう、なるな。しかし

一応、国は掛け合ってくれたけど……本当に、一応って感じ。ノスリウス国は知らぬ存ぜぬの一点張りで、それ以上はなにもしてくれなかった

……恨んでいるか? ノスリウスを

ううん。だって、本当のところはわからないから……。
むしろ子供の頃は、勝手にどっか行っちゃった二人に、酷いなぁって、怒ってたと思う


 マリーは悲しそうな顔で、カップを見つめる。

でもね、いつか帰って来るかもしれないから……。
だから、わたしはこの村にいたかったなぁって

……そう、か


 いつか帰って来るかもしれない。

 だけどこの村は、もうすぐ戦火に巻き込まれてしまうかもしれない。
 無くなってしまうかもしれない。



 魔竜一族の里のように?

でも、もう……諦めなきゃいけないのかも。これはきっと、そういうことなんだよ


 マリーが笑ってそういうのを見て、俺はなにも言うことができなかった。






















.

pagetop