第三話 月光館の主は俺じゃなかった!
第三話 月光館の主は俺じゃなかった!
リ・ゴーン
明治中期に造られた月光館は、
そのドアベルの音さえもおもむきがある。
リ・ゴーン
リ・ゴーン
チャペルの鐘を小さくしたような真鍮のベルが、ほどよく雑味の混じった柔らかい音をかなでる。
うん……
古い家の香り。
飾り窓から射し込む、沈みかけの陽のオレンジ。
俺はソファでまどろみながら、重要文化財に住まう幸せに、にんまりと口の端を持ち上げた。
リ・ゴーン
リ・ゴーン
リゴーン
リゴーンリゴーンリゴーン
リゴリゴリゴリゴゴリゴリゴリゴリゴ
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ
ゴルァニート開けろカスァ!!
おわわわわわわわわすみません今すみません
俺はダッシュで玄関に走り、ドアノブを回した時にようやく、借金は全て完済しているはずだと思い出した。
な、なんだ種村さんか……脅かさないでくださいよ……
いーかげんに居留守使うクセやめてくれませんかね
これはもはや習性というか……
種村弁護士はチっと舌打ちして、心からクズを見る目で俺を見た。
で、今日は何の御用で
俺だって来たかありませんが、あれから一週間ですからね
あれから一週間。
吸血鬼ジル・ド・バードリが目覚めてから、今日で一週間。
早いなあ、もうそんなに経ちますか。今日何曜日でしたっけ
曜日感覚が無くなるほど社会から遠ざかりますよ
種村弁護士は苛立ちを隠さず、ずかずかと家に入って来た。
今気づいたが、両手には重そうなレジ袋をぶら下げている。
いや、最初は吸血鬼と同居なんてどうなることかと思いましたけど、
大人しいもんですねえあれ。
夕方に鉄分補給ドリンクとサプリ、あと新しいエロ本を置いておいて、
朝になったら回収する、ってだけのやり取りでしょ。
ドエロいインコ飼ってるようなもんですね。
ヤツからは何か要求は?
あれからは何にも。奥の間から出た様子もないです。
あの人、うんこしないんすかね。
深夜も出て来ない?
多分。俺も明け方まで起きてますからね、ガサガサ動いている音は聞こえるし、起きてるのは間違いないみたいだけど……。
あんたは明け方まで何やってんです
ネトゲと動画っす
弁護士もはや反応皆無。
種村さんは冷蔵庫の中にストックしてある鉄分ドリンクの数を数えると、自分が買い込んできたドリンクをそこに加え、それから思案気に、ぽつりとつぶやいた。
さすがに今回は長かったから、回復に時間がかかってるか
回復って何の?
種村さん黙して語らず。
あのーう、ずっと聞きたかったんすけど
何か
種村さん、あの吸血鬼と知り合いか何かなんですか
…………
種村さんはだんまりを決め込む。
必要なことしか口にしないオトナの男ってことですか。ああやだやだ。
俺はなんだかムっとした。
種村さん、そろそろお互いのためにはっきりしておきましょう。
あんたは俺のこと、偶然遺産が転がり込んできたゴミクズニート野郎だと思っているかもしれないけど、バーサンから遺産を引き継いだ以上、現在のクライアントは俺です。
俺は、猫背を精一杯伸ばして胸を張る。
あの吸血鬼がいるから、俺に月光館の相続が回ってきたってことは分かりました。
でもそれ以外俺には何にも知らされてない。
種村さんはあの吸血鬼のことよく分かってますよね。
ってことは、あの吸血鬼とバーさんがどういう関係だったかも知ってるってことだ。
俺はこの月光館の継承者です。
あの吸血鬼が何者なのか、
何故ここにいるのか、
月光館のあるじとして、俺はすべて知る権利がある!
…………
…………
月光館のあるじ、パンイチですが
おほほおおおお!!??
お昼寝の時は下半身解放派の俺だ。
お伝えするのはいいですけど、詳しい話をすれば単行本で2、3冊になります。
あんたにそれ聞く根気ありますか
いそいそとジーンズを穿きながら、小説2、3冊かあ、と早くも尻込みをする。
小説は帯を読んで満足する派です
帯ですか。
なら……
種村弁護士は立ち上がると、俺よりやや上からの角度で、ぼそりと言った。
『マジか!月光館のあるじは俺じゃなかった!』
へっ
……ってとこ
ですかねえ
ちょちょちょちょちょ、いきなり全否定
だって帯でしょ?
すんません、俺が間違ってました。あらすじくらいな感じで……
こうして俺たちはリビングに場所を変え、
アマジョンのあらすじくらいには、
状況を説明してもらえることになった。
茶
茶菓子
澁澤家の曽祖父は外交官で、一家そろって欧州の国々を回っていたという。
バーサンとジル・ド・バードリ卿が出会ったのはその頃だった。
二人は大恋愛をし、ともに日本に帰国した(ここまでで文庫本1冊)。
バーサンは結婚を熱望したが、やがてそれは叶わぬ夢だと分かった。
恋人は夜な夜なコウモリとなって夜を彷徨う、吸血鬼だったのだ。
曽祖父は激怒し、吸血鬼を殺そうと計画した。
バーサンはひそかに恋人を月光館にかくまい、
家のために婿を取った後も、しばしば館を訪れては彼と愛をはぐくみ続けたという。
ちょっといいすか
はいどうぞ
バーサンは吸血鬼にならなかったので?
愛のなせる業で、吸血行為は無かったと聞いてます。
ジルは特にストイックな吸血鬼で、やむにやまれぬ事情が無い限り吸血行為はしないことで有名でしてね。
だけど夜な夜なコウモリとなって夜を彷徨ったんでしょ?
牛の血を吸ってました。
そのおかげでこのあたりは吸血コウモリが出ることで有名ですね。
……代用効くんだ……
問題はそこでは無かったんですよ
吸血鬼は歳を取らない。
バーサンにとってつらかったのはそっちのほうだったらしい。
戦争の時、ジルは祖国に帰りたがったが,
バーサンのわがままで彼をこの館に束縛してしまい。
ますます二人の愛憎はもつれた。
バーサンは年老いるごとにわが身を恥じて月光館を訪れなくなり、74歳を最後に、二度と足を踏み入れなかった。
だが、バーサンは誓った。
自分の死後も、ジルに幸せに暮らしてもらえる環境を作ろうと。
月光館を残し、自分の影響を残し続けることで
ジルに少しでも長く、自分を忘れないでいてもらおうと。
…………
…………
…………ぜ
ぜんっぜんいい話じゃないんすけど!
キモいんすけどこの女!
つーかダンナいますよね!?
別れたオトコに自分の傷跡残し続けようとするどす黒い情熱を感じるんすけど!
しかも手段金か!!
ホストにはまったババア臭しかしねえ!!
ま、そうですねえ
で、なんで俺が選ばれたんですか。そこから3巻?!
あ、それは、
お前なら仮に喰われても栄養失調で済むし、
吸血鬼のことを周りにカミングアウトしても心の病で済むからです
2行で終わった!
しかもお前とか言われた。
まあそういうことで、月光館はそもそも澁澤家の財産というよりも、初めからジルありきの入れ物なわけです。
ここのあるじは、ずっとジルなんです。
いや、ご本人はどうなんですか。
帰国したがってるって話もありましたよね。
帰ってもらえばいいじゃないすか、祖国へ。
相続条件の一つに、
「家財道具その他を海外に譲渡あるいは輸送した場合は、遺族が相続人に相続の3倍の違約金支払を求めることができる」
という内容が……
ババアーーーーーー!!!!!
叫んだ俺の肩を、ふと、ぽふりとたたく手があった。
おーいアマネー、エロ本がおとといのと同じだったんだがー?
!?
!!
……?
寝起きの親父のようにのそりと出てきたその男に、俺たちの視線が集中した。
話し込んでいてすっかり時間を忘れていたが、いつの間にか時計は8時を指していた。
………きみ、は………
ジルの視線が、まっすぐに種村さんに注がれていた。