幹人が杏樹と打ち合わせをしている間に、和音が運転する車は県立彩萌第一高等学校の正門前に到着していた。校舎内はもちろん無人で、外周にも人気は無い。入間にしてもこちらにしても、ここは大暴れするのに最適な舞台と言えよう。

 弥一を除いた全員が降車し、各自装備を確認。青葉は弥一から渡されたトランシーバーを腰のベルトに引っ掛け、愛用の銃であるベレッタの残弾数をチェックする。

 白猫の仮面を被り、無線用のイヤホンをトランシーバーに繋ぎ、これで準備は万端だ。

蓮村幹人

入間の推定武装はリボルバーが一丁、ナイフが一本だ

 幹人がステッキの先で地面を突く。

蓮村幹人

いずれも殺傷能力は高い。遭遇した場合は可能な限り戦闘を避けろ。被害者の安全が最優先だが、我々の命も決して安くはない

貴陽青葉

了解

西井和音

よぉし、行くか

 和音に促され、青葉達は正門をくぐり、昇降口の前に立つ。

 やはり、鍵は閉まっているようだ。奴はまずここを突破しろ、と言いたいらしい。

蓮村幹人

青葉

貴陽青葉

二人共、下がって

 ベレッタの出番が早速やってきた。銃口を鍵に向け、三発発砲。

 鍵がひしゃげて壊れ、昇降口の扉が開く。

 三人が玄関から土足で廊下に上がると、幹人が小声で指示を下す。

蓮村幹人

私は東校舎を探す。君達は西校舎を手分けして探してくれ

西井和音

分かりました

貴陽青葉

行こう、かず姐

 三人は別れて一人と二人になり、二人は西校舎で別れて一人ずつとなった。和音は一階、青葉は二階を当たっている。

 一人になってみて、青葉はとある人物の顔を思い浮かべていた。

 そういえば、ここは紫月が通っている学校だ。彼ならもしかしたら人を隠すのに丁度良い場所を知っているかもしれない。

 善は急げだ。早速、私用のスマホで紫月の端末に発信する。

 しかし、彼はいくら待っても着信には応じなかった。しかも、しばらく後に聞こえたのは留守電の案内ときた。どうやらいまは電話に出られる状況では無いらしい。

 バイトでもしてるのかな? それとも、風呂にでも入ってるのだろうか?

貴陽青葉

……まあ、いいや

 今回は相手が相手だ。普通の男子高校生である彼を巻き込むのはナンセンスだろう。

 希望的観測を捨て、片っ端から居並ぶ教室の扉を開けて中をチェックする。もしかしたら用具入れとか、あるいは段ボールの中に久美が詰め込まれている可能性もあるので、人が入りそうな場所は全て要注意である。それに、入間のことだ。既に彼女を解体して、ゴミ箱の中に遺棄していてもおかしくはない。

 青葉はさらに奥へ進み、突き当たりに嵌めこまれた鉄製の扉を前に立ち止まる。

 表札には、音楽室と書かれていた。

貴陽青葉

……うーん

 もしここに久美が閉じ込められていたとして、彼女を発見したとしよう。でも、その最中に入間が出現してしまったら? 青葉は久美を護りながら、入間と戦わなければならない。彼を相手に片手間は許されないのに、難儀な話である。

 でも、それはどの部屋でも同じ話だ。迷っていたって時間の無駄か。

 青葉は思い切って、鉄扉の取っ手を下に回し、前に押してみる。

 鍵は開いていた。銃を手に、そのまま中へ踏み込み、銃口を室内に突き出す。

 中はもぬけの殻だった。

貴陽青葉

…………

 夜の学校はどの教室も不気味だが、この音楽室に至っては、不気味どころか恐怖の温床みたいだ。人気が無いのは勿論だが、壁中に掛けられた歴史上の音楽家達の肖像画が雁首を揃えて室内を異様な目力で睨んでいる。

 バッハやベートーベンなら見慣れている。でも、滝廉太郎の白黒肖像画はこの時間帯であまり見る気にはなれない。生まれた頃から持っているオルゴールが、勝手にジャケットの内ポケットから鳴り響きそうな予感がしたからだ。

 青葉は何となく、部屋の奥へ進んでみた。

入間宰三

はーるぅこーおーろぉーのー、はーなーのーえーんー

貴陽青葉

 背後の出入り口から甲高い男の声がした。

 振り返った先に居たのは、やはり入間宰三だった。

入間宰三

いやぁ、失敬。滝廉太郎に熱烈な視線を送っていたものだから、つい、ねぇ

貴陽青葉

貴様……

入間宰三

彼の代表曲、『荒城の月』は俺が一番好きな音楽でねぇ。土井晩翠の文語センスと滝廉太郎の音楽性が見事に調和した、まさに相生の歌といった感じかね

貴陽青葉

残念ながら、私は大っ嫌いだ。貴様共々な

入間宰三

つれないねぇ。せっかく遠路遥々、お前さんに会いに来てやったというのに

貴陽青葉

私に?

入間宰三

ああ。会いたかったよ、青葉

 奴の態度は嫌に馴れ馴れしい。まるで、家族と久方ぶりの再会を果たしたかのようだ。

入間宰三

こーんなに強くて美しい女の子に育ってくれて……久々に咽び泣いちゃいそうだよ

貴陽青葉

何の話だ? 生憎、私にお前みたいな親戚や知人は一人もいない

入間宰三

それは単にお前さんが知らないだけさ。丁度良い、二人っきりなら邪魔も入るまい。ここで少々、昔話と洒落こもうじゃないか

 入間が後ろ手に扉の鍵を閉めた。これで青葉に逃げ場は無くなった。

入間宰三

十六年前の話さ。俺は当時、いわゆる殺し屋という奴だった。彩萌警察署の現場では『生命遊戯』とか呼ばれていた事件の直前までの話でな

 青葉は話を聞き流しながら、どうにかこの場から逃れる為の算段を立てていた。電話越しから察した久美の状態を鑑みるに、このまま徒に時間を喰う訳にはいかない。

入間宰三

金はこれ以上稼いでも一生のうちには使い切れないくらい溜まっていた。だから、今後の人生は享楽に充てようと考えた。そこで思いついたのが、殺人と芸術のコラボレーションだ。俺は芸術家気質でねぇ、遊び心満点な殺人ってのに興味があった。ジャック・ザ・リッパーが幼い頃からの憧れでねぇ――とまあ、ここまでは俺の人生と趣味の話だ

 ICレコーダーを持っていないのが悔やまれる。いまの証言さえ記録出来れば、豚箱にぶちこんだ後で奴の余罪が追及し放題になるからだ。

入間宰三

重要なのはここからさ。俺には当時交際していた女がいてな。そいつが何の間違いか、俺に黙ってガキを産みやがった。十月十日相手にしてなかったとはいえ、まさか身籠っていたとは思わなんだか。そして女は俺に言った。「この子は私と貴方の子です」って。だから認知しろとか吐かしてきやがったが、あんまりにもしつこく迫ってくるもんだから、その場でぶっ殺しちゃったのよ。だが、女が抱いていた子供だけは殺さなかった。何せ俺の遺伝子を受け継いだガキだ。強く育たない訳が無い


 今度は子供自慢か。いい加減にして欲しい。

入間宰三

そこで俺はそのガキを地方のとある病院のベビーポストにぶち込んでやった。勿論、ガキのフルネームを書いたメモ帳、それから特注品のオルゴールも添えてな

貴陽青葉

ベビーポスト? オルゴール?

 ようやく、青葉の中で興味の食指が蠢いた。

入間宰三

ガキのフルネームは女の苗字と、女がそのガキに付けた名前を一つに合わせてものだ。これだけ言えば、聡明なお前さんには何のことか理解出来ただろう?

 滑らかに回る入間の舌を、たったいま根本から引き千切りたくなった。

 この話の先を、これ以上聞いてはいけない気がしたからだ。

入間宰三

その女の名は、
貴陽四葉。
そして、そいつが
ガキに付けた名前は、

青葉

 つまり、お前のことだ――入間はそう締めくくった。

 無論、犯罪者の言葉を丸ごと鵜呑みにする気は無い。でも、人を揺さぶるにしては真実味があり過ぎる。奴のあらゆる遍歴については一旦置いておくにしても、青葉と関連が深いキーワードが三つも挙がっているのはどう考えても偶然とは思えない。

ベビーポスト

貴陽四葉

オルゴール

 青葉は自分の意思とは無関係に、懐からオルゴールを取り出していた。

入間宰三

おお、まだ持っていたのか!

 入間が子供みたいに無邪気に笑う。

入間宰三

そうさ。そいつはお前をベビーポストに入れた時、一緒に置いていった俺の宝物だ!

貴陽青葉

ふざけるのも大概にしろ

 青葉は未だに平静を保っていた。

貴陽青葉

その子供は私じゃない。境遇と親の苗字と下の名前が同じだけの別人だ

入間宰三

残念ながら、その可能性は否定された

 入間がS&Wの極厚七ミリブレードを抜いた。以前、青葉の肩を切りつけた凶器だ。

入間宰三

俺が何で先日お前を襲ったと思う? それはお前から血液を採取する為だ。こいつに付着した血と、俺自身の血を知人の研究所に渡してDNA鑑定をしてもらった。鑑定結果については聞くまでも無いな?

 殺し屋時代のコネクションでも使ったのだろう。だとすれば否定しようの無い話だ。

入間宰三

ともあれ、俺とお前は血の繋がった親子だ

貴陽青葉

……………………

 信じられない、という気持ちもある。夢であってくれと願いもした。

 奴の言うことが本当なら、自分は狂人の子供だ。

貴陽青葉

まだだ

 青葉は言った。

貴陽青葉

仮にその話が本当だとしたら、私に何をしろと? そうでなくても、私にその話を信じ込ませるには信憑性が足りていない

入間宰三

そうだなぁ。検査結果の書面をいま持ってる訳じゃないし

 反論を受けても、入間の態度から自信は崩れなかった。

入間宰三

じゃあ、これならどうだ?

 言うな、聞きたくない――反射的に、そう思ってしまった。

入間宰三

蓮村幹人は、
この事実を
知っている

 バクンッ! と、心拍が跳ね上がり、息が詰まりそうになった。

貴陽青葉

何を……言っている?

入間宰三

俺が蓮村に以前逮捕されたことがあるのは知っているだろう? その後、俺は裁判で死刑判決を下された。だから拘置所に移送されることになるんだが――その直前、蓮村は俺と面会していたのさ

貴陽青葉

社長が、お前と?

入間宰三

そう。俺が奴との面会を希望したんだ

貴陽青葉

何の為に?

入間宰三

決まっているじゃないか

 まるで当然のように、入間は真相を告げた。

入間宰三

俺は蓮村に、青葉を奴の子供として引き取って欲しいと頼んだんだよ

貴陽青葉

……ッ!

 嘘に決まっていると目を背ける理由が、この告白で全て消滅してしまった。

 どんな人間にも、あらゆる物証や証言を越えて、信じざるを得ないものがある。

 青葉にとっては、それが蓮村幹人という養父だった。

貴陽青葉

何から何までふざけやがって

 肩を怒らせ、青葉はようやく声を震わせた。

貴陽青葉

手前勝手な都合で私を捨てておきながら、言うに事欠いて私を社長に引き取って欲しいだと? いくらなんでも、この話は私の理解力の範疇を越えているぞ

入間宰三

俺だって本当は嫌だったよ? 自分を嵌めた男に頭を下げるのは。でも、その頃の俺は気になり始めていたんだよ。俺の遺伝子を継いだガキの行く末を

 入間は長い舌をべろりと覗かせて、枯れそうな声で楽しそうに言った。

入間宰三

もしかしたら、
俺より強くなるかもしれないだろう?

 最悪だ、という感想が先に浮かんだ。

 それから先は、答え合わせのように、自分の中で全てが繋がった。

 さっき幹人から入間の素性を聞いた時、てっきり奴は自分をしょっぴいた幹人への復讐をする為にこんな手の込んだ犯罪行為に及んだものだと思っていた。でも、事実は違った。入間の目的が本当に青葉なら、幹人の不自然な言動にも得心がいく。

 社長は多分、私と入間を会わせたくなかったんだ。

 私に真実を知られない為に――私を、護る為に。

入間宰三

さあ、青葉。そんな無粋な仮面を脱ぎ捨てて、いまこの場で俺と戦え

 入間が両手を広げて命じた。

入間宰三

俺が親としてお前にしてやれる最後の教育だ。先日の一戦は単なる前哨戦。今日、ここでお前は親を超える為の試練を迎える

貴陽青葉

何を言っている……?

入間宰三

戦えっ!

 まるで、どやしつけているようだった。

入間宰三

俺も手加減はしない。お前も全力で向かって来い。そして、俺の命でお前の存在は完成される! 究極の遺伝子を持った者同士の血潮が滾る激闘を経て、貴陽青葉は俺が望んだ最高の娘として飛躍的な進化を果たす!

貴陽青葉

世迷い言を! その為に無関係な人間を巻き込む必要が何処にあった!?

入間宰三

全てはこの為の
お膳立てだ!

 入間の瞳は完全に正気を棄てていた。

入間宰三

最高のシチュエーションじゃないか!

幾人もの犠牲の果てに再会した親子が、究極にして至高とも言える命のやり取りに己の全てを賭ける!

これほどまでに胸が躍る展開なんて、普通に生きていればそうそうお目に掛かれるもんじゃない!

俺が目標とした最期に近づいた

――もう後戻りは許されない!

貴陽青葉

狂っている……
こんなの、
人間じゃないッ……

入間宰三

そうさ、俺達はもう人間じゃない!
さあ、全力の俺を殺せ!
全身全霊を懸けて、この俺に挑んでくるがいい!
俺はお前に超えられる為に生まれてきた。お前は、俺を超える為に生まれてきた!

貴陽青葉

ふざけ――

西井和音

ふざけんじゃねぇ!

 意外なことに、この音楽室に飛び込んでくる人物がいた。

 和音だ。どうやったかは知らないが、鍵が掛かっていた筈の扉を開けて入室したのだ。

入間宰三

何だとっ……!?

西井和音

青葉から離れろ、
このサイコパスが!

 和音が跳躍、入間の横っ面に大リーガーのフルスイングより迫力のある回し蹴りをお見舞いした。

 入間が居並ぶ机の数々を巻き込んで倒れると、和音は彼から目を離さずに叫んだ。

西井和音

青葉、いまのうちに早く逃げろ!

貴陽青葉

かず姐!

西井和音

こいつはここで足止めする

 和音はさっきから手に持っていた鍵の束を青葉に投げ渡す。

西井和音

職員室からかっぱらってきた。そいつがあれば大抵の部屋は調べられる筈だ

貴陽青葉

かず姐……でもっ

西井和音

いいか、良く聞け!

 鋭く叫ばれ、思わず身を竦めてしまう。この鬼気迫る怒号が、いつも気さくで優しい彼女とは似ても似つかなかったからだ。

西井和音

さっきの話は全部聞いた。でも、だからどうした! あんたがそのサイコ野郎のキンタマから生まれたガキだったとしても、あんたは蓮村幹人の掛け替えの無い大切な一人娘だ! あいつはただの産みの親ってだけで、社長は……あたし達白猫探偵事務所のメンバーは、お前が頼って許される唯一の家族だ!

貴陽青葉

っ……

 一瞬、涙腺が決壊しそうになった。多分、いま一番聞きたかった言葉だからだろう。

西井和音

行け、白猫のエース! あんたはあんたの仕事を果たせ!

貴陽青葉

……かず姐、ありがとう

 青葉は歯を食いしばり、決断し、音楽室の出入り口を抜けてから左の階段に折れた。

 いまは彼女を信じる以外に無さそうだ。それに、彼女は強い。入間が相手でもそこそこ粘れるだろうし、少なくとも簡単に死ぬようなヘマだけはやらかさない。

 それに、もうすぐ黒狛の連中が増援でやってくる。彼らも潜り抜けた修羅場の数は白猫に勝るとも劣らないと聞く。

 いまは彼らに賭けるしかない。

貴陽青葉

くそっ!

 祈るしか出来ない自分の非力さに、青葉はただ悪態を吐くしかなかった。

『群青の探偵』編/#3「相克と相生」 その二

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