#3 相克と相生

斉藤久美

………………

 目が覚めたと思ったら、何処かの真っ暗な空間に閉じ込められていると悟った。

 男は丁度、私のブラウスを強引に脱がしている最中だった。

 口はガムテープで塞がっているので、思いっきり叫んでも全ての音は前歯の裏で押し留められてしまう。全身を使ってもがいても、鉄柱を介して骨太な鎖で腰と両の手首を縛られているので身動きもままならない。

 乳房を乱暴に揉みしだかれ、うなじをざらざらの舌で何度も舐められた。太腿を撫でられ、股が強引に開かれる。

 初めて健以外の男性に貫かれた。痛かったし、何より屈辱だった。

 男の獣臭い吐息が一定のリズムを刻んでいる。彼の腰の動きと連動して全身が何度も揺れる。

 混濁した意識と千切れ飛びそうな苦痛がないまぜになる。

 このまま死んでしまえたら、どれだけ楽だろうか。

 早く私を殺して欲しい。もう生きたくない。早く逝きたい。もう何も欲しくない。

 犯されながら願い続け、何分か経過した頃合いだった。

入間宰三

そろそろかね

 男は傍に置いていた注射器を手に取り、素早く針を私の腕に突き刺した。思ったより痛くない。これなら男の肉棒の方がまだ痛かった。それにしても、いま何を注射されたのだろうか。麻薬の類だったら最悪だ。

 彼はガムテープを私の口から引っぺがし、私のスマホをこれみよがしにちらつかせた。

入間宰三

お前さんがお祭り開催の音頭を取るんだ。景気の良い一発を頼むよ

 一日の間で勃発した出来事があまりにも多すぎて、さしもの幹人もさっきから渋面を解けないでいる。ついさっき、事務所へ戻ってきた弥一と和音も同じだ。
 和音と弥一はさっきまで起きていたことの全てを幹人から聞いて目を丸くした。

野島弥一

おいおい、それってマジに笑えないヤツじゃんかよ

西井和音

前田健って……何で斉藤さんの彼氏が? ていうか、斉藤さんはいまどうしてるの?

蓮村幹人

さっき新渡戸に頼んで斉藤家に行ってもらったんだが、道草でもくってるのか、斉藤久美嬢はまだ自宅に戻られていないようだ。東屋君も彼女を探しに久那堀二丁目に訪れたんだろうが、どうやらそこで何者かと遭遇して戦闘になったらしい

野島弥一

戦闘って……じゃあ、あのオッサンはその何者かに負けたってのか?

蓮村幹人

そういうことになる。しかし、にわか信じ難い話ではあるな

野島弥一

というと?

蓮村幹人

東屋君は探偵になる以前は自衛隊に所属していた。戦闘能力だけで言えば、青葉とほぼ互角かそれ以上と言っても良い

西井和音

うっそぉ?

 和音が青葉と幹人をせわしく交互に見回す。

西井和音

じゃあ、そいつを撃破した危険人物がこの町をうろついてるっての? 冗談でしょ?

蓮村幹人

だから君達にはすぐ戻って来いと言ったのだ。この中だと青葉と私以外では、その危険人物の相手が務まらないからな

ぴーひゃらぴーひゃら、ぱっぱぱらぱー

 突然、青葉が仕事で使っている専用のスマホが机の手元で小刻みに震動する。

貴陽青葉

? 何だろう

おそるおそるスマホを手に取り、液晶画面に表示された番号を確認してみる。

 斉藤久美の番号だった。

貴陽青葉

斉藤さん? どうして……

野島弥一

このタイミングで? 何か気味悪いな

西井和音

これが何かの救難信号だったらどーすんのよ

蓮村幹人

とりあえず出てみろ

 幹人の指示通り、着信に応じる。

貴陽青葉

……もしもし

あひっ……あぁあァアァ……あッ……

 スピーカーから聞こえてきたのは、たしかに人の声だった。でも聞いての通り、応答早々から明らかに様子がおかしい。

貴陽青葉

斉藤さん、どうした? 何があった?

うーん、その可愛らしい声は青葉ちゃんだね?

貴陽青葉

 さっきの呻き声から一転、甲高い男の声に切り替わった。青葉はすかさず、ここにいる全員に相手の声が聞こえるようにスマホの設定を変更する。

貴陽青葉

貴様……あの時の通り魔だな? 一体何の真似だ

入間宰三

それを話す前に一つだけ約束しろ。警察を呼べば、斉藤久美の命は無い

貴陽青葉

何を言っている

入間宰三

俺はいま、斉藤久美が現在通っている学校――つまり、県立彩萌第一高等学校にいる。斉藤久美を救出したくば、白猫探偵事務所の連中総出で俺を捕まえに来い

貴陽青葉

彼女は無事なんだろうな

入間宰三

さっきの声を聴いてそれを訊ねるのは何かの冗談か? 生きてはいるが、とても無事な状態じゃないのは察しているだろう?

貴陽青葉

じゃあ質問を変える。彼女に何をした?

入間宰三

ご想像にお任せしまぁす

貴陽青葉

貴様……!

 青葉はスマホを強く握り締めるが、傍で話を聞いていた幹人が唇の動きだけで

蓮村幹人

落ち着け

と伝えてくる。
 感情をモロに出せば相手の思う壺だ。危ういところだった。

貴陽青葉

さっさと本題を話せ

入間宰三

つれないなぁ。まぁいい、ルール説明の続きだ。いま言った通り、ハンティングゲームの舞台は彩萌第一高校の校舎内全体。参加メンバーは白猫探偵事務所のメンバー全員で、勿論社長である蓮村幹人も含まれる。君達にはこの学校の何処かに幽閉されている斉藤久美を捜索してもらい、彼女を見つけて救出したら君達の勝ちだ。しかし校舎内はこの俺、入間宰三が自由に巡回している。だから、私に白猫のメンバーを全て始末されたなら、その時が君達の敗北となる

貴陽青葉

逆に言えば、お前を始末しても私達の勝ちという訳だな

入間宰三

探偵にそんな真似が許されてるとでも? 探偵はあくまで法の延長線上に位置するだけの一般人に過ぎない。私を殺せば下手人がお縄を頂戴するだけだ

貴陽青葉

くそっ

入間宰三

そうそう。さっきも言ったが、警察の介入が確認された時点で斉藤久美の命は無い。あと、学校全体のセキュリティは全て俺の方で止めてある。電話を切った直後から校内を適当に歩き回り始めるから、いまのところは斉藤久美に触らないでおくとしよう。その方が君達も気兼ねなく楽しめるだろう

貴陽青葉

まずはその余裕を引っぺがしてやる

入間宰三

その意気だよ。では、また後で

 軽々しい挨拶と共に通話が切れた。何から何まで腹の立つ野郎である。

 青葉がスマホを机の上に放り捨てると、まず弥一があからさまな悪態を吐く。

野島弥一

くそったれ、人をゲームの駒みたいに扱いやがって!

蓮村幹人

お怒りのところ申し訳無いが、奴へのおしおきは私一人でやらせてもらう

 幹人が壁に立てかけてあったステッキを掴み取る。

蓮村幹人

君達を危険に晒す訳にはいかない。奴の狙いはおそらく、この私だ

野島弥一

おいおい社長、何だそりゃ?

西井和音

そうですよ、本当に何を言ってるんですか!

 和音も激昂して幹人に詰め寄った。

西井和音

奴はあたし達全員に来いって言ったんですよ? それに、一人じゃ危険過ぎます!

蓮村幹人

これは奴と私の問題だ。刺し違えてでも奴はこの手で仕留めてやる

西井和音

どういう事ですか?

蓮村幹人

――生命遊戯

 幹人がぽつりと呟く。

蓮村幹人

いまから十五年前――私が探偵になる前、つまり刑事だった頃に発生した猟奇殺人事件。誰が呼んだか、私達の現場では『生命遊戯』と呼称されていた。その実行犯が入間であり、捕まえたのは、この私だ

 これを聞いた弥一と和音が黙り込む。青葉からしても初耳の話だからだ。

蓮村幹人

奴は殺人快楽者の中でも知性に富む。
シナリオを書いて、登場人物をキャスティングして、設定した舞台の上で一つの物語を作ろうとする。中でも特徴的なのは、自らが手を下した時の皮肉な殺し方だ。

例えば、前田健の惨殺死体。新渡戸によると損傷した箇所は全て、黒狛が撮影した写真の中で彼が斉藤久美との行為に使っていた体のパーツだったという。

彼女と絡めた指を切り落とし、接していた唇を削ぎ落とし、見つめ合った眼を頭蓋ごと貫通して――挙句の果ては、抜き差ししていたイチモツを斬り落として何処かへ持っていった。しかも解体は生きたまま行われる。

まるで、命で遊んでいるかのようにな

野島弥一

何て奴だ……

 弥一が掌で口元を押さえながら呻く。青葉もいまの彼と似たような心境だ。

 青葉は眉をひそめつつ言った。

貴陽青葉

それで生命遊戯、か。登場人物の人間関係を弄んだ挙句、人の命と体を玩具同然に扱い、全てを破滅させて幕を閉じる劇場型犯罪

西井和音

最後はにっくき社長とその部下を皆殺しにして、黒狛の連中は白猫を破滅させた原因そのものとしての過去を背負って、死ぬまで苦い思いをしながら生きる――最悪だな

 自分で言って胸糞が悪くなったのか、和音にしては弱弱しい声音だった。

 全員が一様に押し黙る。幹人ですら、これ以上話すことは無いと言いたげだ。

 でも、青葉はかろうじて口を開いた。

貴陽青葉

……まだ、最悪と決まった訳じゃない

 青葉の呟きに、全員が顔を上げた。

貴陽青葉

もう取り戻せないものは諦めるしかない。でも、取り戻せるものを諦めたら、明日の私達はきっと、昨日の自分を許せなくなる

蓮村幹人

青葉……

貴陽青葉

社長が何と言おうが、私は社長についていく

 青葉は改めて、幹人を真っ直ぐな目で射抜いた。

 二人が睨みあっている間に、和音が机の引き出しから車のキーを取り出し、弥一もGPS端末やトランシーバーなどを手早く準備して大きなショルダーバッグに詰めている。彼らも幹人の制止に応じるつもりは無いらしい。

蓮村幹人

待て

 幹人の短い一声で、三人はぴたりと固まった。

蓮村幹人

複数人で行く場合、入間の注意を引く役と、斉藤久美を捜索する役に別れなければならない。仮に四人で入間を仕留めに行ったとしても、乱戦が得意な入間が相手なら確実に一人はあの世行きだ。それだったら、まだ一人で行った方が最低限の犠牲で済む

貴陽青葉

それはさっき却下したばかり。他の方法は無いのか?

蓮村幹人

あまり使いたくは無い手だが――

 幹人は渋面のまま、ポケットから自らのスマホを取り出した。

蓮村幹人

警察以外の救援なら、私に一つだけ心当たりがある。頼って許されるかは別として、だ

 青葉にも彼が誰と電話を繋ごうとしているか、大体想像はついていた。

 あとは、相手のプライド次第だ。

 彩萌総合病院に運び込まれた轟は、緊急手術の果てにどうにか一命を取り留めた。もっとも、致命傷となるような箇所を撃ち抜かれた訳ではなく、さらにその場に居合わせた白猫の野島弥一が適切な処置を施してくれたおかげで命に別状は無かった。だが、多大な失血による消耗で意識はまだ戻っていないし、日常生活に支障が無いレベルで動けるようになるまでには三か月以上の時間を要するという。

 轟が個室に移されたのを見届けた黒狛の三人は、一階の待合室で悲嘆に暮れていた。

池谷杏樹

まさか、白猫の連中に借りを作る羽目になるなんてね

 杏樹が疲労感も露に言うと、玲が深々と頭を下げる。

美作玲

申し訳ありません。ツーマンセルで行動していれば、こんなことには――

池谷杏樹

いいえ。嫌な言い方だけれど、むしろこちらの被害は彼一人に抑えられた。玲までやられたら、あたし達はほとんど壊滅状態よ

葉群紫月

このまま黙ってなんかいられない

 紫月が俯き加減に言った。

葉群紫月

東屋さんが目を覚まさないと詳しい話は聞き出せない。でも、斉藤先輩を保護しようとしたタイミングであんな重傷を負わされたんだ。これ以上犯人を放置したら、もっと取り返しのつかないことになるのは明白です

池谷杏樹

分かってるわよ、そんなこと。でも手掛かりが何も無いんじゃどうしようも――

 どうしようも無いと言おうとした時、杏樹のスマホが振動して、画面に珍しい電話番号と人名が表示される。
 相手は幹人だ。とりあえず、着信に応じてみる。

蓮村幹人

頼みがある

池谷杏樹

なに? いま、それどころじゃないんだけど

 開口一番、せっかちな要請だった。

蓮村幹人

君達に汚名返上のチャンスが巡ってきた

池谷杏樹

何ですって?

蓮村幹人

ことは一刻を争う。どうか、我々を助けて欲しい

池谷杏樹

……………………

 こっちも轟を助けてもらった手前、彼の頼みを無碍には出来ない。
 聞くだけならと思い、杏樹は先を促した。

池谷杏樹

で、どうしたの?

蓮村幹人

斉藤久美が誘拐された

 概ね予想通りの報告だった。

蓮村幹人

犯人は入間宰三。場所は県立彩萌第一高等学校だ。奴は白猫のメンバー全員で自分を捕まえて斉藤久美を救出しに来るようにと言っていた。それと、警察を呼べば彼女の命は無いとも

池谷杏樹

それだけ聞ければ充分よ。うちも丁度、斉藤久美さんの身柄を保護しようとしていたところだから。あたしとあんたで、ようやく目的が重なったってところかしら?

蓮村幹人

彼女自身もいま危険な状態にあるという。そんなに悠長な話をしていられる時間もない。だから、救出の手順を手早く決めたい

池谷杏樹

どうするの?

蓮村幹人

我々が先行して入間の気を引いている間に、後から来るであろう君達には斉藤久美の捜索に専念してもらう

池谷杏樹

その役割、逆にしてもらえない?

蓮村幹人

何だと?

池谷杏樹

あたしの大切な部下に手を出しておいてタダで済むと思ったら大間違いってのを、いま学校に立て籠もってるファッキンサイコ野郎に思い知らせてやるの

蓮村幹人

君がそうしたいならそうすればいい。だが、入間を安全に取り押さえる手段が無ければ認められない。私個人としても、これ以上お互いに負傷者は出したくない

池谷杏樹

あたしが誰かを、もう忘れたの?

蓮村幹人

……そうだったな

 スピーカーの向こうで、幹人が小さく笑っている。

蓮村幹人

私達は校舎の正面口から捜索を開始する。君達は少し遅れても構わないから、裏口から潜入して囮役を頼む

池谷杏樹

学校のセキュリティは……って、入間が自分で解除してるか

蓮村幹人

何か破損しても、弁償代の領収書は白猫の名前で切っておく。では、また後ほど

 焦り気味に通話を切られると、杏樹はくすりと笑い、後ろで待機していた黒狛のメンバーに向き直る。

池谷杏樹

……玲、紫月君

美作玲

分かっています

葉群紫月

俺達は何をすればいい?

 部下二人の目は本気だった。このまま会社ごと心中してしまいそうなくらいに。

 黒狛の連中はいつもよく笑い、よくふざけ、よく仕事を楽しんでいた。杏樹が掲げていた『優しい探偵』の理念や魂を、部下の三人はきちんと引き継いでくれた。全員が全員、互いに強い絆で結ばれているという自負もある。

 その中で、轟は特に、杏樹にとっては思い入れが深い従者だった。

 彼は杏樹が幹人と夫婦で探偵事務所を経営していた頃からの部下で、二人が袂を別った際に、彼は幹人ではなく杏樹を選んだ。紫月や玲にとっては父親みたいな存在だったし、彼がいなければ黒狛は黒狛足り得なかった。

 そんな彼をこんな目に遭わせた奴を――入間宰三を、黒狛は絶対に許さない。

池谷杏樹

これ以上、誰もやらせはしない

 杏樹は久方ぶりの殺意を込めて告げた。

池谷杏樹

詳細は車内で追って説明します。行き先は、県立彩萌第一高等学校

葉群紫月

よりにもよって、俺の学校か。上等だな

美作玲

行きましょう

 力強いやり取りを経て、三人は病院を後にした。

『群青の探偵』編/#3「相克と相生」 その一

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