君の全てが好きだった、という青臭い告白は、たった一言で無惨に砕け散った。

 季節外れの羽虫が惹かれて集う街路灯のように、俺にとって君は眩しい人だった。生まれからして異端な俺が惹かれたのも、君が笑って優しく受け入れてくれたからだ。

 でも、それはあくまで、一人の友人として、だ。
 彼女には他に好きな人がいる。それだけの陳腐な理由で、俺は容易く玉砕した。

 灯りを失ったように、失明したように、目の前が暗い。

何か、辛いことでもあったかね?

 公園のベンチで項垂れていた俺に、目の前の男が楽しげに訊ねてくる。

 男の背は高い。灰色のトレンチコートに包まれた体は一見細いようで、どことなく頑強に見えなくもない。背骨に超合金でも採用しているのではないかというくらい背筋はしっかりと伸びているが、反比例するかのように顔は痩せこけている。

 頭髪は黒で、金のメッシュが細く垂れている。闇の中に差した一筋の光明みたいに。

少年。黙っていては、何の解決にもなりはしないよ?

和屋和仁

放っておいてくれ。こちとら好きな子に振られて傷心中なんだよ

青いねぇ

 
 男は何でも無いような感想を呟く。だが、それだけでは無かったようだ。

でも、一回振られたくらいで諦めるのかい?

和屋和仁

諦めきれる訳が無いだろ……!

 俺は声を押し殺すように怒鳴った。

和屋和仁

俺にとってあの子は希望だったんだ……あの子は周囲から避けられていた俺を迎え入れてくれた。俺はあの子がいなきゃ、どうなっていたかなんて分からない……この先も、ずっとそうだ

だったら受け入れられないだろうなぁ、振られたという事実を

和屋和仁

ああ、受け入れられるか……!

その子は君の手の中にあってしかるべし。そう思っている訳だ

和屋和仁

……当たり前だ。久美は俺の女だ

他に好きな男でもいたら大変だよなぁ

 俺は思い当たる節を一瞬で思い出した。

もしそんなのが本当にいたとしたら、君にとっては大問題な訳だ

和屋和仁

もしそうなら、俺はその野郎も久美も許せない……絶対ぶっ殺してやる!

よしよし。だったら、おじさんがいまから良いところを紹介しよう

 男は両手を広げて意気揚々と告げた。

世の中には浮気調査やストーカー撃退、人探しなんかを請け負う特殊な業者が存在する。そう――探偵だ

和屋和仁

あんたがその探偵だってのか?

いいや? 俺は探偵ではないが……この町で良い探偵社を一つだけ知っている

 胡散臭さしか漂わないその男は、俺の耳元に唇を寄せ、囁くようにこう言った。

 後にして思えば、陳腐な言い回しだが――それはまさしく、悪魔の囁きだったのだろう。

入間宰三

黒狛探偵社。少数精鋭の実力派集団だ

 これまでが、和屋和仁と入間宰三の第一接点だった。

 いまにして思えば、闇に差した一筋の光明は、さらなる暗渠へ続く道標だったのかもしれない。現に、和仁はこうして牢屋の薄闇に包まれて一人蹲っている。

和屋和仁

俺は……振られたのか

 いまさらになって、現実を容認する。

和屋和仁

俺は……っ……こんな筈じゃ……無かったのにッ……!

 久美への報復の為にと本物の拳銃を渡された段階で引き返しておくべきだった。入間が自分と出会ったのは本当に偶然のようだが、それから後は全て必然だった。

 奴は舞台役者であり、一種の脚本家だ。

 人様の人生を液晶画面上の文章みたいに弄ぶ、人の姿をした正真正銘の悪魔だ。

出ろ。取り調べの時間だ

 留置係の警官が牢屋の鍵を開け、無愛想に告げてくる。

和屋和仁

……はい

 和仁は抵抗するどころか、入間への報復を考え始めていた。

 俺を言葉巧みに誘導してこんな真似をさせた分のツケはきっちり支払ってもらおう。恥はもうとっくに捨てている。使えるものは最大限活用するまでだ。

 和仁は立ち上がると、迷いの無い足取りで留置係の誘導に従った

葉群紫月

いやー、参りましたよ

 警察からの簡単な取り調べを終え、紫月は何事も無かったかのように黒狛探偵社に帰ってきた。本当は例のカップルがいちゃついていた場所に行けば何らかのインスピレーションを得られると思っていたのだが、まさか問題のカップルの片割れがあんな状態で仏になっていたとは夢にも思わなかった。

 用心の為、敢えて銃と十手を自らの事務机に仕舞っておいたのは正解だった。

葉群紫月

和屋和仁は逮捕され、前田健は惨殺された。あの三角関係の登場人物で無事なのは斉藤久美ただ一人。つまり、次に誰かが憂き目を見るとしたら――

池谷杏樹

やっぱり、斉藤さんね

 杏樹が腕を組みつつ頷く。

池谷杏樹

さっきあなたが外出している間、新渡戸さんが電話をくれてね。残念ながら、紫月君の勘、大当たりよ

葉群紫月

というと?

池谷杏樹

何があったか知らないけど、いままで取り調べでも容疑を否認していた和屋君が急に罪を認めて自供したそうよ。彼の供述によると、自分にうちを紹介した男の名は、入間宰三。十何年か前に猟奇殺人で逮捕されたは良いけど、彼を乗せた護送車が事故で大破して、それ以降消息が掴めなくなっていたそうよ

葉群紫月

どういう経緯でそいつが和屋と接触したのか――いや、そんなことより

 その入間なる男は、いまもこの町の何処かに潜伏している。

葉群紫月

早く斉藤先輩を保護しないと

池谷杏樹

だからさっき、東屋君と玲を彼女のご自宅に向かわせた。紫月君とは入れ違いね

 本来なら浮気調査で得た彼女の情報をこういう形で使用するのはNGだが、状況は既に一刻を争っている。いまは白だ黒だと言うより、彼女の安全を最優先しなければならない。

池谷杏樹

間に合えば良いけど……

 杏樹の呟きは、もはや祈りに近かった。

『群青の探偵』編/#2「狂人再臨」 その五

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