和屋和仁はあえなく警察に連行され、斉藤家の面々、主に斉藤久美とその母親は家の中で刑事達から取り調べを受けていた。こんな夜中に大人数で押し掛けられて、被害者側の家族からすれば迷惑千万かもしれないが、実際はこの結末こそが一番に手っ取り早い。白猫側は大助かりだ。

 警察連中の対応は弥一に任せ、青葉は先んじて現場から抜け出し、白猫の事務所に戻る為の近道を辿っていた。歩きながら、頭の中で事件のおさらいをして、その上で黒狛に対する疑問点の整理をしてみる。

 まず、和仁の発言だ。彼は本気で自分が久美と交際しているつもりでいる。何があったのかは知らないが、自分が振られた事実を信じられず、久美との恋が成就したという前提でストーカー行為に及んでいる。彼は俗に言うヤンデレという奴かもしれないが、真実は定かではない。

 そして何より、そのストーカー行為に黒狛が加担しているという点だ。いや、おそらく黒狛は間違った前提を突き付けられた上で和仁の『浮気調査』とやらの依頼を受けたのだろう。

 ちなみに、探偵業界ではこれを『ウーズル効果』という。前提が間違っていなければ、結果は使い物にならない。まさに、ついさっき起きた事態を指している。

 でも、黒狛だって和仁の依頼に何かしらの違和感を感じなかった訳ではなかろう。白猫のライバルというだけあって、あそこにも優秀な探偵が揃っていると聞く。何より、社長の池谷杏樹がそこまで浅薄な探偵だとは思えない。

 何か一つ、酸味が利いたスパイスが足りない印象だ。

貴陽青葉

……誰かが裏で糸を引いている? でも、何の為に?

 呟いてみて、いまの自分がどれだけ頭の悪い推理をしているのかがよく分かった。勘の域を出ない推測を本気で信じようとしているからだ。

 潰れかけのバーやかつて風俗店だった廃墟などが立ち並ぶ人気の無い通りの裏側に出て、青葉はふと足を止めた。

貴陽青葉

……誰だ

入間宰三

おやおやぁ、随分と勘が良いねぇ

 背後の小柄な建物同士の間から、灰色のトレンチコートを着た長身の男がぬっと歩み出てきた。

 男が甲高い猫撫で声を奏でる。

入間宰三

会いたかったよ、貴陽青葉

貴陽青葉

何故私を知っている?

入間宰三

さあ、何でだろうねぇ

 青葉が振り返ると、男は懐に手を突っ込み、銀色の巨大なリボルバー拳銃を抜き出した。

 彼は極めてゆっくりと青葉に照準を合わせ、

入間宰三

まずは、お手並み拝見

 発砲。青葉が着ていたジャンパーの肩の布地が削り取られる。あと一瞬、横に逸れるのが遅かったら急所に直撃していた。

貴陽青葉

お前……!

入間宰三

はぁあ!

 嬌声を上げ、さらに発砲。

 大気を震動させる銃声が立て続けに轟く。青葉は身を竦めつつ銃弾をかわし、手近な裏路地に隠れ、陰から顔を覗かせようとするが――顔の傍にあった建材が弾け飛んだ。これでは様子見も叶わない。

 だったら大通りに飛び出すか? いや、駄目だ。あんなものを携帯している危険人物と人通りの多い中で戦闘行為に及ぶ訳にはいかない。

 男の得物はS&W M500。連射するだけで持ち手が使い物にならなくなる程の反動を使い手に与える代わりに、世界最高峰の威力を持つ銃弾を放つと言われる化け物リボルバーだ。

 あれを相手に生身で挑むのは単なる自殺行為だ。だからといって、懐のベレッタM92Fを抜いて応戦するのも気が進まない。

 いや。もうこの時点で四の五の言ってはいられないか。

貴陽青葉

くそ!

 青葉はジャンパーの内側に隠していたベレッタを抜き、建物の陰から銃口を突き出して応射する。狙いは足元だ。体に当てるのは何かと上手くない。

 男は対岸の建物の陰に身を隠して嬌声を上げる。

入間宰三

いやぁ、いいねぇ。そう来なくては面白くない

貴陽青葉

お前は誰だ!

入間宰三

この審査を合格したら教えてあげるよ

貴陽青葉

審査、だと?

入間宰三

うりゃああああああっ!

 男が再び発砲。青葉の足元に何発か当てると、何を考えているのか、リボルバーを懐に仕舞って建物の陰から身を躍らせ、今度は大型肉厚のコンバットナイフを腰の黒いホルスターから抜き払った。

 あれは銃と同じS&W製の極厚七ミリブレード。刃は黒で柄はオリーブ色という渋めのカラーリングが施されたハードな仕様だ。過酷な長時間サバイバルにうってつけの一振りと言えるだろう。殺傷能力は言わずもがな、だ。

 こうなるとこちらが使える手札は制限される。ある意味では銃を凌駕しかねない危険物をいまこのタイミングで持ち込んだということは、接近戦に挑めばこっちが撃ってこないと判断したからだろう。癪だが、彼の読みは的中していた。

 青葉も仕方なく陰から出て、銃口をちらつかせたまま後退する。だが、男は銃口に全く怯まず、真っ直ぐこちらへ突っ込んできた。

 間合いが詰まり、男が長い腕をムチのように振るう。ナイフの刃先が黒い軌跡を描き、青葉の急所を幾度となく強襲する。本来なら回避どころか視認すら難しい速さだが、青葉は持ち前の勘でどうにか男の連撃から逃れ続けていた。

貴陽青葉

ぐっ……

 ナイフの刃が青葉の肩を掠める。さっき削られた肩の布地を貫通し、裂けた皮膚から鮮血が飛び散った。

 鋭い痛みに青葉の眉が険しく寄せられる。斬撃を受けたのは久しぶりだ。

 強い。こいつ、ただの戦闘狂じゃない!

入間宰三

ぁああぁぁあああぁッ!

 長い舌を覗かせ、男が逆手に持ち替えたナイフを真下に振り下ろす。青葉の額に、縦一文字の小さな切れ込みが入る。これもあと一歩反応が遅れていたら危なかった。

 仕方ない。こうなったら銃撃で四肢を封じるしか――

葉群紫月

待てやゴルァ!

 二人の横合いから、黒いジャケットを着た、青葉と同世代くらいの少年が全力で走ってくるのが見えた。

 あれは葉群紫月だ。何故彼がこんなところに?

貴陽青葉

葉群君、来ちゃ駄目だ!

入間宰三

何だ?

葉群紫月

ぉおおおおおおおおおおおおっ!

 雄叫びを上げた彼がジャケットの懐から抜いたのは、柄に籐が巻かれた十手だった。

 紫月は一足飛びに男との間合いを詰め、

葉群紫月

せいっ!

 十手を一閃させ、男の横っ面を殴り飛ばし、よろめいたところを前蹴りで追撃する。

 男が離れると、紫月は青葉の前に立って十手を前方に構える。

葉群紫月

貴陽さん、大丈夫?

貴陽青葉

何とか……それより、何で君がここに?

入間宰三

お前ぇ……一体何者だ?

 男は殴られた顔をさすり、余った片手でナイフをくるくると弄ぶ。

入間宰三

いまの一撃、そのスピード……お前、ただの子供じゃないな?

葉群紫月

だったら?

入間宰三

喜ばしい限りだ――と、言いたいところだが

 耳を澄ませなければ判然としないが、遠くからパトカーのサイレンが聞こえる。さっきの銃声、もしくはいまの戦闘を近くにいた誰かが通報したのだろう。

入間宰三

どうやら舞台が悪かったらしい。出直してくるとしよう

貴陽青葉

勝手に出てきておいてその言い様は何だ?

 肩の傷を押さえつつ、青葉は男を睨みつける。

貴陽青葉

言え。お前は一体何なんだ?

入間宰三

また近いうちに会える。ああ、それから。審査は合格だ。これで確信が持てた

貴陽青葉

待て!

 青葉の制止も受けず、男は豹並みの素早さでこの場から走り去った。何から何まで訳の分からない男である。

貴陽青葉

逃げられた……くそ!

葉群紫月

落ち着けって。逃げてくれるならその方がいい

 紫月がふらつく青葉の体を支えつつ言った。

葉群紫月

それより、早く応急手当をしないと

貴陽青葉

私のことは放っておけ

葉群紫月

ふざけるな

 彼の声音は刺々しかった。

葉群紫月

放り捨てるのも捨てられるのも嫌なんだろ? 俺だって、嫌なんだ

貴陽青葉

……そうだな。すまない

 こくりと頷き、青葉は適当な廃墟を顎で指して、そこへ隠れるように促した。警察がここへ来てから帰ってくれるまでの時間稼ぎに使えそうだからだ。

 入ってみると、そこは潰れてから手つかずとなっていたスナックの跡地だった。カウンターや奥の酒棚などはそのまま残っており、ボックス席と思われるソファーの囲いは埃を被って擦り切れていた。

 二人はカウンターの陰に身を潜め、ようやく緊張を全て吐き出した。

葉群紫月

貴陽さん。肩の傷は?

貴陽青葉

いま止血する

 青葉はジャケットとブラウスを脱いで肩を露出させると、ジャケットの内ポケットから包帯と止血パッドを取り出し、それらを駆使して手早く止血を完了する。

 紫月がさっきからずっとこちらを凝視している。どうしたというのだろう?

貴陽青葉

葉群君?

葉群紫月

いや……男の前で平気で脱ぐんだなーって

貴陽青葉

非常時だからな。羞恥心なんて犬にでも喰わせておくさ

 青葉の情操教育を担当している西井和音でさえ男勝りな性格だ。ある意味実家みたいな職場である白猫探偵社に、青葉を思春期の女子として扱ってくれるような人物は誰一人として存在しない。

貴陽青葉

そういう君も、平気で女の子の半裸を目の前で凝視するんだな

葉群紫月

見なきゃ損だろ

貴陽青葉

つくづく変な奴だ

 ブラウスを着直しつつ、青葉は無感動に訊ねた。

貴陽青葉

……さて、葉群君。何で君はあんなところに?

葉群紫月

バイトの帰りに銃声が聞こえたんだ。だから行ってみたら、君とあの野郎がいて……奴は一体何なんだ?

貴陽青葉

私にも分からん。ただの通り魔にしては強すぎるしな。それにしても

 青葉は紫月の懐からはみ出た十手の柄を見遣る。

貴陽青葉

君はいつもそんなものを持ち歩いているのか

葉群紫月

護身用にね。俺、昔っからチンピラに絡まれ易いんだ

貴陽青葉

とてもそんなものが必要とは思えないな。体術の腕は私と互角だろう

葉群紫月

さっきみたいな奴が俺の前に現れないとも限らんだろ

貴陽青葉

やっぱり変な奴だ

 青葉は嘆息すると、スマホを開き、白猫の仲間にメールを送った。

貴陽青葉

しばらくやり過ごしたら、近くの大通りに出て知り合いの車に拾ってもらう。見送りは結構だ

葉群紫月

いいのか? 一人だとまた……

貴陽青葉

警察がここに来るんなら、去ってからもしばらくの間は大丈夫ってことだ。それに、ああいうのが出るのは一日一度っきりだ。二度目はさすがに有り得ない

葉群紫月

そりゃそうか

 パトカーのサイレンが近づいてくる。そろそろ警官達がここら一帯を調べ始める頃合いだ。二人はしばらく無言で耳を澄まし、物音が遠ざかるまで微動だにしなかった。その間だけ、そこはかとなく奇妙な気まずさを覚えたのは自分だけだろうか。

 ようやく外から人気が無くなったのを悟ると、青葉はカウンターの陰から顔を覗かせ、入り口の様子を窺い見る。

貴陽青葉

……君は先に行ってくれ。私はしばらく休んでいく

葉群紫月

本当に大丈夫なのか? 何なら家まで送っていくけど

貴陽青葉

余程の相手じゃなきゃ自衛ぐらい造作も無い

葉群紫月

……分かった。じゃあ、またね

 文句は山ほどあったろうに、紫月は不承不承頷いて屋外に出た。

 彼の足音が遠ざかる。言う通りにしてくれるだけ、彼は普通の男よりかは物分かりが良さそうだ。
 青葉はいつものオルゴールを取り出し、ぜんまいを巻いて、指をぱっと離す。
 大した音量でもないのに、『荒城の月』が廃墟のスナック全体に反響する。

 春高楼の花の宴 

めぐる杯 かげさして

 千代の松が枝わけいでし
 
昔の光いまいずこ 

 ここもかつては宴が開かれ、仕事帰りの酔っ払い達が賑やかに杯を回していたのだろう。素面では語れない話に大輪の花を咲かせ、スナックのママが夜の蝶となり花に寄り添う。

 でも、いつからこんなに廃れたのだろう。
 光を失ったのは、いつの話だろう?

 そもそも、開いている時にここへ訪れたことが無いから分かる筈も無い。

貴陽青葉

やっぱり、一緒に帰れば良かったな

 いまさらになって、紫月を先に送り出したことを後悔した。

『群青の探偵』編/#2「狂人再臨」 その三

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