張り込みは相談日の翌日、夜七時から始まった。

 斉藤家は白が基調の一戸建てだ。正面から右側が正面玄関、左側が屋根つきの駐車場となっている。これだけ見ると、それなりに羽振りが良さそうな大黒柱が一家を支えているんだろうな、などと思ってしまう。

 自分の実の親はどうだっただろうか。こんな家を買う甲斐性と金があるのなら、少なくとも自分を赤ちゃんポストに入れたりはしなかっただろう。

 どうせ、どっかで野垂れ死んでるに違いない。

 などという物思いに耽っていると、青葉が業務用に使っているスマホが振動した。久美からの電話だ。

貴陽青葉

……もしもし

斉藤久美

あ、すみません。定時連絡の時間が来ても電話が無かったもので……

貴陽青葉

申し訳ございません。丁度いま連絡を入れようかと思いまして

斉藤久美

そうですか……それで、いまはどうですか?

貴陽青葉

怪しい動きをする通行人が見当たらない。いま私の仲間が三人の容疑者のうち、一番可能性の高い人物を追っている最中なので、その人物がここに近づいてくるようならすぐに連絡します。あと念の為、自室から出て廊下で待機してください

斉藤久美

どうしてですか?

貴陽青葉

石を投げ込まれたとおっしゃっていたのを思い出しまして。今回も似たような手口を使用するなら、可能な限り部屋は空けておいた方が安全です

斉藤久美

分かりました。よろしくお願いします

貴陽青葉

ええ。では、また

 青葉が通話を切ると、またぞろスマホが着信を報せる。今度は弥一からだ。

貴陽青葉

もしもし

野島弥一

対象Aがそちらに向かっている。カメラの設置は万全か?

貴陽青葉

勿論

野島弥一

対象が行動を起こしたと同時に共同で奇襲する。しっかり準備しとけよ?

貴陽青葉

言われるまでもない

野島弥一

対象の到着まで距離二〇〇。これよりトランシーバーで連携する

貴陽青葉

了解

野島弥一

交信終了

 通話を切ると、青葉は斉藤家が所有するミニクーパーの陰から顔を覗かせ、次にフロントガラスの手前に置いたカメラと連動中の映像端末を確認する。

 見えた。体格からして男。黒いジャンパーと黒いキャップを被った、見るからに怪しい風体の中肉中背。顔の下半分を白マスクで、上半分をサングラスで隠している。

 青葉は久美にメールで対象を確認した旨を伝え、白猫の仮面を装着して、家の手前まで来た男の素振りを注意深く観察する。

 男は周辺を忙しく見回すと、ジャンパーのポケットから黒光りする何かを取り出した。夜目が利く方なので、青葉にはその正体が判然としていた。

 銃だ。本物か玩具か分からないけど、見た目はシグサヴエルP226。数ある自動拳銃の中でも信頼性が高いと言われるベストセラーだ。

 今度は手っ取り早く、トランシーバーで弥一に呼びかける。

貴陽青葉

こちら銀のスプーン。対象の右手に銃のようなものを確認。どうぞ

野島弥一

こちらからも見えている。対象が発砲した瞬間、俺が注意を引くから、その隙に取り押さえてくれ、どうぞ

貴陽青葉

了解。そっちも気をつけろ

野島弥一

ああ。――いくぞ

 男は取り出した銃を二階の窓に向ける。あそこは久美の部屋だ。

 発砲。銃口から火花が散ると、轟音と共に、二階の窓ガラスに放射状のヒビが入る。

野島弥一

おい

 弥一の控えめな呼びかけ。男の体が背後の弥一に向き直った。

 青葉は可能な限り物音と気配を消し、車庫の壁とミニクーパーの間をするりと抜け、

 背後から銃を持った相手の手首を掴んで腰の後ろに回し、足を払って男をそのまま地面に引き倒した。

 腕の関節を極めると、男は歪な悲鳴を上げ、銃を地面に取り落とす。

 続いて、弥一が男の白マスクとグラサン、黒いキャップをはぎ取り、面貌を確認する。

野島弥一

……おいおい、マジかよ

貴陽青葉

予想通り、大物が釣れたな

 青葉が嘆息するのと同じくして、斉藤家の面々が一斉に玄関から飛び出してきた。当然、久美も一緒だ。銃声に驚いて様子を見に来たのだろう。

 地面に伏せる男の顔を見て、久美は息が止まったように唸る。

斉藤久美

……やっぱり、和仁君が……

和屋和仁

久美っ……!

 和屋和仁が、憎々しそうに久美を血走った眼で見上げる。

和屋和仁

久美……どうして、こんな……こいつらは一体何なんだ!

貴陽青葉

白猫探偵事務所だ。初めまして。そして、こんばんわ

和屋和仁

白猫……だと?

貴陽青葉

どうやらご存知のようで

 青葉はちらりと、電話中の弥一を見遣った。

貴陽青葉

この件については、たったいま警察に通報している。犯行の現場は隠しカメラで取り押さえた。何より、たったいま君は銃を発砲した。器物破損、銃刀法違反の現行犯だ。さあ、お縄を頂戴するまでの間、ちょっとお話でもしようじゃないか

和屋和仁

離せッ……!

貴陽青葉

ごめん、無理

 和仁の腕をさらに強く極める。

和屋和仁

ぐあぁあぁああぁっ……!

貴陽青葉

和屋和仁。依頼者、斉藤久美とは中学時代からの友人。つい三か月前に告白したものの、他に好意を寄せている男性がいるという理由で交際を断られた。女にフラれた男がストーカーになるケースは山ほどあるが……

 青葉は地面に転がる銃を見て言った。

貴陽青葉

今回はどうやら勝手が違うな。君はあの銃を何処で手に入れた?

和屋和仁

誰が教えるか!

貴陽青葉

だったら警察でゲロしてもらおう。とにかく、君の恋路はここで終着駅だ

和屋和仁

助けてくれ、久美!

 言うに事欠いて、加害者が被害者に助けを求め始めた。

和屋和仁

俺の彼女だろ!? 俺はこんなにお前が好きなのに、それをこんな――

貴陽青葉

ちょっと待て。いま何て言った?

和屋和仁

お前らには関係無い! これは俺と久美の問題だ!

斉藤久美

彼女って……何を言ってるの?

 久美が恐怖を隠そうともせずに言った。

斉藤久美

あたしは和仁君の彼女なんかじゃ……

和屋和仁

認めない、俺は認めないぞ! よりにもよって……健の野郎なんかと!

野島弥一

とりあえず、近所迷惑だから黙っておけ

 電話を終えた弥一が嘆息混じりに言うと、通りすがりの人や、近くの家の窓から顔を覗かせる住民がずっとこちらを注視しているのに気付いた。和仁を取り押さえるのに集中していたので全く気付かなかった。

野島弥一

おい坊主。俺は女が腐ったみたいな男が一番嫌いでな

 弥一が和仁の前で、いわゆるヤンキー座りをする。

野島弥一

何がどうなっているのかはよく分からんが、そんなんじゃ肉食系ブサイクからも逃げられるぜ? 精々、素人童貞が関の山っつったところか?

斉藤久美

そんなことより、何で和仁君が私と健が付き合ってるのを知ってるの?

 久美が耳を疑うような発言をする。

斉藤久美

私、白猫の人と家族にしか、健のことを言った覚えが無いんだけど……?

貴陽青葉

待て。そんな話、私は初耳だぞ

野島弥一

俺も知らんかった

 彼女も彼女の親も、ヒアリングの時はそんなことなんて一言も言ってなかった筈だ。単に言い忘れていたのか、或いは何か他の事情でもあったのか。

和屋和仁

探偵を雇ったんだよ!

 これまた予想の斜め上を行く返答だった。

和屋和仁

黒狛探偵社の連中に浮気調査を依頼したんだよ!

貴陽青葉

黒狛……だと?

野島弥一

しかも、浮気調査だぁ?

 ライバル結社の黒狛が一枚噛んでいるだけでも心臓に悪いのに、ありもしない浮気を彼らに調べさせた和仁の神経もかなりぶっ飛んでいる。

 弥一は頭痛でも催したように頭を押さえた。

野島弥一

えーっと……ちょい待ち? じゃあ何か? 黒狛の連中がこいつの犯罪行為の片棒を担いでいたってのか? 嘘だろ? 社長が認めるような連中が?

貴陽青葉

全てはこいつを警察に突き出した後、新渡戸さんにでも訊くとしよう

 青葉は平静を保ちつつ、玄関口で立ち尽くしていた斉藤家の面々に言った。

貴陽青葉

この後警察が来て、皆様には簡単な事情聴取を受けていただくことになります。これからも慌ただしくなりますが、ここはどうかご了承いただきたい

斉藤久美

え……あ、はい……

貴陽青葉

それから久美さん。ちょっと集合

 青葉は弥一に和仁の見張りを任せると、久美を少し離れた位置に呼び出し、小声で慎重に訊ねた。

貴陽青葉

一応訊いておく。何で前田健との交際を和屋和仁に黙っていた?

斉藤久美

だって、和仁君を振った直後だし、そんなタイミングで健と付き合い始めましたなんて彼にはとても言い辛いし。もし他の人が噂して、和仁君の耳に入ったらって思うと、ちょっといたたまれないっていうか……

貴陽青葉

なるほど。ほとぼりが冷めるまでは言えなかったのか

 想いを寄せていた人が自分を玉砕して、他の人と付き合い始めました。

 たしかに、自分が和仁と同じ立場だったら耐えられるとは思わない。

斉藤久美

でも、何で和仁君がこんな……

貴陽青葉

それはこっちが知りたい。精々この話は青臭い程度で終わるかと思ったが、どうやら鉄錆のすえた匂いも漂ってきたな

 地に横たわる銃は街灯と月明かりの反射で鈍い光沢に彩られている。

 いままで鼻についていた硝煙の香りは、いつの間にか消えていた。

『群青の探偵』編/#2「狂人再臨」 その二

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