#2「狂人再臨」

 白猫探偵事務所の所在地は、駅前の繁華街に建つ小さなテナントビルの二階だ。余談かもしれないが、黒狛は駅から離れているので、行きやすさで言えばこちらの方が断然上だ。

 青葉がせかせかとデスクで報告書を書き上げている最中、自らの席を離れてこっちにやってきた社長の蓮村幹人が、鼻の下の髭を両指で撫でて、気分が良さそうに唸る。

蓮村幹人

聞いてくれ、青葉

貴陽青葉

何?

蓮村幹人

最近通販でゲットした髭専用のトリートメントを使ってみたら、私のトレードマークであるこのお髭が見事なまでの美しい艶を獲得した。これでまた、ただでさえダンディズム溢れるこの私が、さらに男らしく、かっこ良くなってしまった

貴陽青葉

……………………

 うわ、うぜぇ。

蓮村幹人

ん? どうしたのかな? もしかして、私の惚れてしまったのではあるまいな。いくら血が繋がっていないとはいえ、私達は一応親子なのだぞ? その辺の節度はちゃんと弁えておかねばなるまいよ、セニョリータ

貴陽青葉

社長

蓮村幹人

何だね?

貴陽青葉

仕事の邪魔なので、とりあえず黙ってもらっていいですか?

蓮村幹人

酷いっ! 何てご無体な……
ハッ! これが噂に聞く、

蓮村幹人

反抗期という奴か!

貴陽青葉

……………………

 青葉と幹人は戸籍上、養子縁組の親子だが、同時に職場では上司と部下でもある。節度の話をするのなら、まずは幹人自身が青葉への愛情表現を抑制すべきだろう。

 蓮村幹人。元は刑事で、黒狛探偵社の社長・池谷杏樹の元旦那。事務所内では常に白スーツで仕事している細身の似非紳士で、トレードマークは鼻の下でカモメの翼みたいに広がる黒々とした立派なお髭。仕事は常に迅速がモットー。極度の親バカで、青葉の授業参観の時は、彼女を外敵(主に同級生の男子)から守る為に必ず本物の銃を携行する。

総合すると、
正真正銘、
究極のバカだ。

野島弥一

青葉もいまや十六の女子高生ですからねぇ。つーか、いまのは確実に社長が悪いっす。誰が相手でもうざがられますって、そんなの

 デスクでBL本を読んでいた二十代半ばの体育会系男子、野島弥一が軽薄ながらも的確な指摘を繰り出した。

 幹人が目を細める。

蓮村幹人

野島君。さっき青葉から聞いたんだが、君はその本を自分では買いに行かず、青葉にお遣いを頼んで入手したらしいではないか。うちの娘は小間使いではないのだが?

野島弥一

どうせ青葉の場合、契約上はバイトの雑務ってことになってるし、別に良くないっすか? これも雑務の一環っすよ

蓮村幹人

パシリと雑務は全く違う。
今後は慎みたまえ

野島弥一

へーい、分かりましたよー

貴陽青葉

…………

 本当に分かっているんだろうか、このゲイは。

 これには青葉もたまらず口を挟んだ。

貴陽青葉

野島さん。これはどうでも良いことだけれど、私はその本を持ち帰っているところを知り合いに見つかって赤っ恥をかいている。しかも、そいつは私と同い年の男の子だ

野島弥一

へえ。今度紹介してよ

貴陽青葉

断る。ちなみに彼はノンケだ

野島弥一

そこをどう料理するかが腕ってモンだろ

貴陽青葉

悪いがあれは私のお気に入りだ。おいそれ人に献上する気は無い

西井和音

青葉にも気になる男の子が出来たんだ

 業務用プリンターのメンテナンスをしていた、二十代後半のラフなパンツスタイルの女性、西井和音が作業の手を止めないまま訊ねてきた。

西井和音

その話、後で聞かせてよ。
ご飯奢るからさ

貴陽青葉

かず姐なら許す

野島弥一

青葉は何で俺には冷たいんだ

貴陽青葉

いたいけな女子高生をパシリにする男を誰が信用する?

西井和音

そーだそーだ、この人でなし

野島弥一

こ、の、アマ共……!

 青葉と和音が口喧嘩で弥一を圧倒している。いつも通りの光景である。

蓮村幹人

諸君、そういえば一つだけ言い忘れていたことがある

 幹人がよく通る声で述べる。

蓮村幹人

今日は一件、予約で客が来るのを知っているな?

野島弥一

それが何すか?

蓮村幹人

依頼者は女子高生だ。よって、保護者も同伴する

貴陽青葉

女子高生?

 青葉が首を捻ると、幹人もやれやれと頭を振った。

蓮村幹人

近頃は未成年と、成人していたとしても若年層の依頼が何故か多い。あまり下手をこくと、ネットに気まずい情報を書き込まれかねない。嫌な時代になったものだ

貴陽青葉

それで、私達にどうしろと?

蓮村幹人

今日から無料相談は私と西井君の二人体勢にする。あと、もし男に話せない内容が相談に含まれていたら、そのあたりは全て西井君に一任する

西井和音

お安い御用ですよ、ビッグボス

 気さくに二つ返事する和音であった。

蓮村幹人

あと、浮気調査やストーカー退治など、危険が伴う作業の実働については青葉と野島君が中心となる。これについてはいつも通りだが、西井君のヘルプだけは期待するなよ? 全て、自分達の力で何とかしたまえ

貴陽青葉

了解

野島弥一

特に大きな変更も無いしな

蓮村幹人

さて。そろそろピッチピチのJKがご来店だ

 真面目なムードを台無しにする単語を含めると、幹人はぎろりと弥一を睨んだ。

蓮村幹人

とっとと本の山を片付けろ

蓮村幹人

さもなくば、ここでお前ごと全て灰にしてやるぞ

野島弥一

そんなに怒らないでくださいよー

蓮村幹人

貴様の勤務態度に目を瞑っているのは単に貴様が優秀な探偵だからであって、私個人の倫理観は貴様の行動を許した覚えは無い

野島弥一

わーかりましたーって!

 喚くように応じると、弥一は机上の本を全て布地のバッグに詰め込み、青葉の机の下に隠して自分の席に戻った。

貴陽青葉

おいコラ野島テメーコノヤロー。
何でいま私の席に……!

野島弥一

そろそろ時間だ。秘蔵っ子のお前は別室で待機な

貴陽青葉

後で覚えていろ。本を全て八つ裂きにした上で、この地球上から貴様が存在していた形跡を抹消してやる

 捨て台詞を吐き、青葉は入り口の横に設けられた別室に入った。トイレの個室をちょっと広くしたような面積の室内のテーブルには、応接スペースに備えられた隠しカメラと盗聴器の情報を反映する機材が鎮座している。

 椅子に座り、モニターの電源を入れ、ヘッドフォンを装着する。

 ややあって、やってきた客が応接間のソファーに腰を沈めた。

蓮村幹人

お電話では、久美さんが最近、何者かに付け回されていると

斉藤久美

そうなんです

 依頼者である斉藤久美が陰鬱な面持ちで頷いた。

斉藤久美

いままでにも何度か視線を感じることはあったんですけど、最近は家に石が投げ込まれたり、ポストには……その……

斉藤由利

ゴキブリ入りのタッパーが詰め込まれていたんです

 娘が言いにくいことを、久美の母親、斉藤由利が答える。

斉藤由利

いま思い出すだけでも鳥肌が……

蓮村幹人

なるほど。では、次の質問なんですが――最近、久美さんのお知り合いで、明らかに行動が怪しかったり……あとは、執拗にメールなどを送ってくる人物に心当たりは?

斉藤久美

知り合いでは特に。でも、無言電話が何回も掛かってきたりしていたので、私達の家の電話番号と住所を知ってる人の誰かだと思うんですけど……

蓮村幹人

それを一から丁寧に探していたのではキリが無い

 幹人は顎に手をやって考え、また別の質問をする。

蓮村幹人

話が変わって申し訳無いが、いま貴女に交際相手は?

斉藤久美

そこまで話さなきゃ駄目ですか?

 久美が明らかに不快感を示している。常識的な反応である。

蓮村幹人

ストーカーを特定する為には、その行為とは無関係の知り合いを判断材料にすることもあります。大抵の探偵社は、我々を含め、秘密を外部には絶対漏らさない。どうしても私が相手だと話し辛いというのなら、そうだな……

 幹人はわざとらしく、隣に同席していた和音を横目で見遣る。

蓮村幹人

そこの西井君はとても聞き上手だ。彼女に話してみるといい

西井和音

そういう訳で、むっさい髭面のオッサンにはとっとと退席してもらいましょうか

 和音の冗談めかした言い方は、納得半分、理不尽半分だった。張り詰めていた久美の気を紛らわすには最適かもしれないが、よりにもよってむっさい髭面とかオッサンとか、一回りくらいは年上の自分に対して失礼極まりない気がする。

 幹人は咳払いしつつ席を立とうとするが、久美が慌てて腰を浮かす。

斉藤久美

そ……そんなつもりはなかったんですっ! ごめんなさい!

蓮村幹人

ふむ、そうかね。気を遣わせたな

斉藤久美

いえ……あの、交際相手は……います

 久美が顔を朱に染め、俯き加減に言った。

蓮村幹人

ほう。それで、彼氏のお名前は?

斉藤久美

前田健です。中学時代から仲良くしてて……二か月くらい前から付き合い始めたんです

蓮村幹人

ふむ

 特に関心を示す素振りを見せず、幹人は手元のメモ帳に情報を記入する。

蓮村幹人

その彼氏さんに、この件を相談したりは?

斉藤久美

してないです。あまり心配させたくは無かったので

蓮村幹人

警察には?

斉藤由利

行ったんですけど、証拠が無ければ対応しかねると

 これには由利が憤慨してまくしたてる。

斉藤由利

ストーカー被害は加害者の特定と証拠集めが必要になるって言って、取り合ってくれなかったんです。だから警察の人からここをお奨めされたんですけど――酷いと思いません? 自分達がそれをやるのが面倒だからって

蓮村幹人

警察なんて大抵そんなもんです。ここを紹介しただけでもまだマシな方でしょう。彼らの腰には民事不介入という名の鎖が巻きついているんですよ

斉藤久美

民事不介入?

 久美が首を傾げる。この年だと、まだ法律関連には関心が薄いらしい――と思ったら、何故か由利まで眉根にしわを寄せて頭上に疑問符を浮かべている。いや、娘さんはともかく、あんたは理解してろよ。いま幾つだよ。

 呆れる幹人を尻目に、和音が助け船を出す。

西井和音

簡単に言うと、自分のことは自分でどうにかしろっていう法律ですね。斉藤さんが警察に相談した時、「民事で解決してください」って言われませんでしたか?

斉藤由利

ああ、言われたかもしれないです。まるで意味分からなかったですけど、追い返そうとしているつもりなのはよく分かりました

西井和音

その場合、貴女方は彼らにこう言われたことになります。「そっちの面倒はそっちで見ろ。警察を使う以外の方法なんていくらでもあるでしょ?」って

斉藤由利

酷くないですか、それ!

 由利がいまさらのように驚嘆する。最初から気付けや、と思わなくもない。

蓮村幹人

ですが、そういう時の為に我々の存在がある

 幹人がにやりと笑う。

蓮村幹人

今日の私はお髭もツヤツヤで機嫌がいい。少し、私の身の上話をしましょう

斉藤久美

は?

蓮村幹人

まあ、いいからいいから

 いきなり毛色の違う話題を出され、斉藤親子がぽかんと間の抜けた顔になるが、幹人は二人の反応を気にも留めずに語り出す。

蓮村幹人

私は元々、彩萌警察署の刑事だった。若い頃は益体も無い正義感に身を焦がしていた時期もありましたが……ある時、気付いたんです。正義は時として、壁になると

 いつの間にか、斉藤親子も和音も、棚の上のコーヒーサーバーを弄っていた弥一も、幹人の弁舌に神妙な面持ちで耳を傾けていた。

蓮村幹人

私の正義感は私自身の前に見えない壁を作っていた。それが私には苦痛で仕方無かったが……ある探偵と出会い、生き方が変わった。その探偵は、探偵なりの法に縛られながらも、自らの正義に対して自由な付き合い方をしていた。それが私には眩しく思えた。だから私はいまもこうして、探偵を続けている。恩人であるその探偵とは、価値観の違いで喧嘩別れしたのに、性懲りも無く、だ

 話がひと段落した頃合いを見計らい、弥一が応接スペースの四人にコーヒーを出す。

 幹人はコーヒーを一口飲むと、斉藤親子に無理矢理な笑みを見せつけた。

蓮村幹人

長々と申し訳ない。私が何を言いたかったのかというと――警察の法でそのド腐れストーカーを裁けないというのなら、探偵の法で裁いてやるまでだ、という話です

西井和音

社長、随分とやる気じゃないですか

蓮村幹人

理不尽は許せない性質でな

 次に、幹人は真っ直ぐ、久美と目を合わせた。

蓮村幹人

斉藤久美さん。さっきの交際云々もそうですが、あなたにはこれから、この件に対して必要な情報を我々に全て提供してもらうことになるでしょう。ストーカーが決定的な犯行に及び易い時間帯、その時の貴女の行動……とにかく、我々が知りたい情報の全てを。協力して頂けますね?

斉藤久美

……はい

蓮村幹人

お母様も、宜しいですか?

斉藤由利

ええ

 いまの話で信用を得られたのか、久美と由利の返答には迷いが無かった。

 幹人は和音と共同で、斉藤親子から武器となる情報を可能な限り引き出していった。和音が上手く合いの手を入れたり、細やかな気遣いをしてくれたおかげで、ヒアリングは予想以上に順調な進み具合を見せている。まるで、杏樹と再び一緒に仕事をしているような気分だった。

 最終的に、幹人と和音が簡単なおさらいをする。

蓮村幹人

本格的な嫌がらせが始まったのはいまから三日前。手口は決してワンパターンではないが、一日一回以上、決まって夜の七時から深夜二時までの間に必ず行われる。そして犯人の正体については久美さんのお知り合いの中で候補が三人いる。容疑者がこれ以上増えないうちにこちらへお越し頂いたのは良い判断です

 幹人はふっと笑い、自分の髭を撫でながら言った。

蓮村幹人

我々白猫探偵事務所は迅速な依頼解決をモットーにしております。そして幸いにも、うちにはこの事件に対してうってつけな切り札を隠し持っています

斉藤久美

切り札?

蓮村幹人

普段は誰にも見せたくないのですがね。私の長話をご静聴頂いた礼として、特別に登場してもらいましょう

 幹人が「出てきなさい」と指示すると、出入り口の横の別室から、白猫の仮面を被った小柄な人物が現れる。体格や服装からして、久美と同年代の女の子である。というか、言うまでもなく、彼女は貴陽青葉だ。

蓮村幹人

彼女は荒事の専門家でして。いまは訳あって顔は明かせないが、彼女が今夜、貴女方のご自宅を警備する最強の盾となる

斉藤久美

本当に大丈夫なんですか?

蓮村幹人

彼女の戦闘能力は彩萌市最強と言っても過言ではない。心配は要らないでしょう

 これについては幹人の過大評価ではなく、実際に何人何十人と悪質な犯罪者を叩きのめして警察に身柄を献上した実績から来るものだ。

 だからこそ、貴陽青葉は白猫探偵事務所における秘蔵のエースなのだ。

蓮村幹人

さあ。無実の少女の平和にクソを垂れるクズ野郎を始末しに行くぞ

貴陽青葉

了解

 変声器によって変容した声で答え、青葉は片手でピースサインを作った。

『群青の探偵』編/#2「狂人再臨」 その一

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