ある日のこと。
ある日のこと。
いつもの三分が訪れて、けれどそこに彼女の姿がなかった。
風邪や体調不良で学校を休んだのか、寝坊でもしたのかな
そう思った僕の目に、ふと座席に座るひとの後ろ姿が目に入った。
後ろ姿でもわかってしまうあたり、僕が彼女のことをどれだけ見ていたかがわかってしまう気がする。いつもドアの前に立っている彼女は、その日は座席に座っていた。
珍しいな、やっぱり体調悪いのかな。それともなにかあった?
こっち見ないかな……
そう思った瞬間、彼女がこちらを振り返った。そして、釣られるように、彼女の隣に座っていた人——学ランを着た男子もこっちを見た。
——!
二人の視線が僕を捉える前に、僕は慌てて視線をそらした。気づいてないふりをする。
どうした?
ううん、なんでもない
横目でそっと伺うと、そんなやりとりをしているのがわかった。
僕はガラスに右肩を押しつけるようにして、彼女から隠れるように視線をそらした。
それでも僕はやっぱり彼女が気になって、二人の方をチラチラと伺った。
隣の男の子と肩をくっつけるように座った彼女の横顔は、それまで僕が見たことのない表情だった。
なんていうか『女の子』って感じのする表情だった。
あんな顔で笑ったりするんだ……そっか、そっか
気になるひとはいつの間にか、好きな人にランクアップしていて、さらに親密な関係にあるらしかった。
バカみたいだった。
彼女の気になる相手って言うのは、僕なんじゃないか、って浮かれて。普通に考えればそうでないことなんてわかったはずだ。
自分でも言ったように、僕らは朝三分会話するだけの関係。
しかもまだ知り合ってから一ヶ月と経っていない。気になったり、好きになったりなんて、普通に考えてみればあり得ない。
クラスメイトとかそういう身近な人を好きな方が自然なことだ。
そんなことに気づけないぐらい僕は、本当にどうしようもないバカだった。
翌日。
彼女はいつものドアのところに立っていて、僕を見つけると笑顔を見せた。
昨日はごめんなさい
僕はそんな彼女に曖昧な笑顔を返す。
ねぼうして、いつもの、のれなくて
なんで嘘をつくんだ、とは聞けない。ただ気持ちが、さーっと音を立てて冷えるのがわかった。
かぜとかねぼうかな、って思ってた。きにしてないよ
薄っぺらな笑みを浮かべたままそう書くと、彼女はほっとしたような、複雑な顔をして、気持ちを切り替えるように手を握ると、足下に置いた鞄からなにかを取り出した。
じゃーん!
そう書かれたボードだった。子供の頃よく遊んだ、磁石でなぞると線が書けて、レバーひとつで全部消せるアレ。
昨日、見かけて買ったんです。便利でしょ? ガラスの曇りへってきましたし
得意そうに笑顔を作る彼女と対照的に、僕の気持ちはドライアイスを入れたかのように冷めていた。
なんだ、それ、と思ってしまう。だから、
わざわざ?
そんな言葉しか出てこない。その言葉に、彼女はむーっとした。
わ・ざ・わ・ざ!
はずかしくない?
な
窓に書くよりはいいです! 鏡文字にしなくていいからたくさんかけますし!
そうだね
ですよね?
自慢げにうなずく彼女に、けどそれなら、と僕は鞄からノートとペンを取り出した。
別にこれで良かったんじゃない? わざわざそんなの買わなくても
そう。わざわざ僕とのこの三分のために、そんなもの買わなくたっていい……好きでもないやつとの会話のために、そんなことをわざわざする必要なんて無い。
——ッ!
ドア二枚を隔てた向こうから、息を呑むのが伝わってきた。
バカ
ボードいっぱいに書かれたその言葉が、僕らの交わしたやりとりの最後だった。