相談を受けた翌日、県立彩萌第一高等学校の放課後。紫月は早速、ターゲットである斉藤久美の姿を探し求めた。影が薄いとはいえ、一年坊の紫月が二年生の教室付近をうろついているとさすがに怪しまれるので、捜索開始地点は昇降口の付近となる。

 さりげなく周辺に気を配りつつ、紫月は昇降口から出てきたアベックを三組ぐらい目で追っていた。斉藤久美が浮気相手を伴って素直に昇降口から出る可能性も充分に存在するからだ。

葉群紫月

そういや、あの子の連絡先、聞いてなかったなぁ……

 男女ワンセットを見たから、という訳ではないが、いまは無性に青葉と会いたい気分だった。基本的に黒狛の仲間以外に全く興味を示さないのに、どういう訳か最近は街中に出ると必ず青葉の姿を探し求めてしまう。

 しばらくして、昨日確認した写真の人物が目の前を通過した。

葉群紫月

……あれか

 二年生の斉藤久美。肩甲骨あたりまで届く長さの黒髪を伸ばした、普通に綺麗な細見の女の子だ。和仁の言い分ではないが、手放すには惜しい女と言われたら納得がいくような見た目の人物ではある。

 彼女が何メートルか離れたところで、紫月は彼女の追跡を始めた。

 和仁の話を信じるなら、今日も久美は何らかの方法を使って彼を撒いてこの場に現れたことになる。ということは、学校の中だけでなく、外にも何らかの逃げ道が存在する筈だろう。今回の尾行で注意するポイントはまさにそこだ。

 久美は校門を左手側に折れ、そのまま大通りに出る。紫月は普段通りの学生を演じながら彼女の後ろを普通に歩き、横断歩道を渡り、商店街の方角へ。

 学校付近の商店街は下校中の学生や夕飯の買い出しに訪れた主婦達などでごった返している。おそらく、久美はこの人混みを利用して尾行を撒いているのだ。とはいえ、彼女が警戒しているのは和仁一人のみ。顔も名前も知らない紫月までは警戒していない筈なので、いつもの尾行よりかは何倍も楽に思えてきた。さらに言わせてもらうなら、彼女がいつも隠れ蓑に使っている人混みが、いまの紫月にとっては単なる尾行の補助道具と化している。楽に楽の上重ねだ。

 彼女は商店街を抜けると、意外にも、とある場所で立ち止まった。

 ここはたしか、先日に大捕り物を繰り広げた、あの共同公園の広場だった。

葉群紫月

……おいおい、ここは金の成る木でも生えてんのか?

 呟きつつ、紫月は手頃な植え込みを盾にして遠巻きに彼女の姿を観察する。続いて、ショルダーバッグのジッパーを空け、望遠レンズを装備した一眼レフを取り出した。

 遠巻きに彼女の様子を観察すること、五分が経過。彼女のもとに、紫月と同じブレザー姿の男子生徒が駆け寄って来た。紫月はすぐにカメラを構える。

 男子生徒と久美は会ってすぐ、見てるこっちが殺意を抱きたくなるような熱い抱擁を交わすと、そのまま見てるこっちが懐の銃をぶっ放したくなるようなディープキスを交わした。随分とオープンなコミニュケーションである。いますぐ殺害したい気分だ。

 紫月は一連の光景を一部始終カメラに収めると、その後も二人の様子を窺い、ついでに男子生徒の御尊顔もズームで撮影させて頂いた。契約前、和仁が提供した資料の中に、彼の顔が映った写真が無かったからだ。詳細は追って調べるとしよう。

 写真撮影は順調に進み、押さえたい場面は全て記録した。怖いくらいとんとん拍子に物事が進んだなと思ったが、まだ調査期間一日目だ。二日目以降も気を引き締めて事に当たらねばなるまいよ。

貴陽青葉

おい

葉群紫月

っ!?

 後ろから声を掛けられ、紫月はビクっと振り返った。

貴陽青葉

君はこんなところで何をしている?

葉群紫月

ききききき……君はっ!?

 いま目の前にあるのは、見紛うことも無い、貴陽青葉の綺麗な小顔だった。

葉群紫月

いい……いつの間に……!

貴陽青葉

私の質問に答えなさい

葉群紫月

あの……これは……

 言えない。背後の気配に気づかなかっただけでも大失態なのに、言うに事欠いて浮気調査をしていましたなんて、恥ずかし過ぎて嘘でも言えない。

葉群紫月

……趣味……です

貴陽青葉

カップルの盗撮が?

 バレてーら。

貴陽青葉

だとしたら、君はとんでもない変態だな

葉群紫月

違う! 誤解だ! 俺の話を聞いてくれ!

貴陽青葉

落ち着け。私はそれで君を軽蔑したりはしない。私も何回かやったことがある。君とは気が合いそうだ

 嘘だ。この子、絶対俺に気を遣っている。

貴陽青葉

いまのは見なかったことにしよう。私こそ、いきなり気配も無く近づいて驚かせたのはさすがに悪かったと思ってる

葉群紫月

あの……そんなに気を遣わないで。俺、ちょっと泣いちゃいそうだよ?

貴陽青葉

男の子が簡単に泣くもんじゃありません。ほれ、ハンカチ

葉群紫月

何で君はそんなにいい子なの?

 優しさは時に人を痛めつける。後学の為に、一応は胸に刻んでおくとしよう。

葉群紫月

……それにしても

 居住まいを正し、紫月は青葉の顔をまじまじと覗きこんだ。

葉群紫月

前から思ってたけど、貴陽さんって表情が全く変わらないのな

貴陽青葉

気味が悪いか?

葉群紫月

いや。むしろ羨ましいと思う

 割と単純な条件で表情が変化する自分とは大違いである。常時ポーカーフェイスは、探偵にとってはある意味の才能と言えるだろう。

 もっとも、見る限りは普通の女の子である青葉には関係の無い話だろうが。

貴陽青葉

……私の表情を褒めたのは君が初めてだ

 青葉が意外なことを口にした。

貴陽青葉

大抵は気味悪がられるから。それに、親しい間柄の人間からはよく心配される

葉群紫月

そうなの?

貴陽青葉

ああ。なんか、こう……不思議な感覚だ。何て表現すれば良いか分からない

葉群紫月

もしかして、照れてる?

貴陽青葉

分からない

 分からないといいつつも、素振りは照れを隠していない。可愛い。

 紫月は微笑ましい気分のまま腕時計を見て、ぎょっと目を剥いた。

葉群紫月

いっけね! 戻らなきゃ!

貴陽青葉

? どした?

葉群紫月

人と会う約束してるんだった。遅れるとシバかれる!

 というのは半分嘘だ。契約の仕事が終了したので、とっとと黒狛に帰って、表向きの仕事である清掃作業や書類整理を終わらせなければならない。それに、調査中の様子をこうして見つかってしまった以上、下手に長居している訳にもいかない。

 本当なら、もっと覗いていたかったんだけどなぁ。

葉群紫月

悪いけど、俺はここで

貴陽青葉

お、おう。またな

 彼女の挨拶を背中で聞き流し、紫月は全力で石畳を蹴った。

 一週間後。報告書を作成し、黒狛探偵社は再び和屋和仁との対談の場を事務所内に設けた。

 和仁は応接間のテーブルに置かれた報告書を受け取って中を改めると、怒りからか、顔を真っ赤にして声を震わせた。

和屋和仁

こいつ……健だ

池谷杏樹

そうです。貴方のご友人です

 杏樹が淡々と述べる。

池谷杏樹

一応、彼の正体についても調べさせて頂きました。前田健。あなたや斉藤久美さんとは中学時代からのご友人だそうですね。二人はそれぞれ別ルートから学校を出て、商店街を抜けて出たところにある共同公園の広場で落ち合っていたようです

和屋和仁

野郎……絶対に許さねぇ

東屋轟

少し落ち着かれてはどうでしょう

 近くで話を聞いていた轟が宥めるように言った。

東屋轟

契約の仕事を果たして料金を頂いた時点で、この件はもう我々の手から離れます。後はどうしようが和屋さんのご自由ですが、我々の報告書が原因で貴方に血迷った行動をされるのはこちらとしても目覚めが悪い

和屋和仁

うるさい! 店が客に文句を言うか!? お客様第一の探偵社が聞いて呆れる!

美作玲

私も東屋さんの意見には賛成です

 さしもの玲も顔を曇らせる。

美作玲

その代わりといってはなんですが、彼女さんと浮気男にこの報告書を思いっきりぶん投げるというのは如何でしょう? 弊社に浮気調査を依頼した方には漏れなくこの方法をお奨めしていますが

東屋轟

何なら無料で同じ紙束を追加で二部刷ってもいい。和屋さんが持ってるのも含めて、保存用と実用用、鑑賞用にそれぞれ一部ずつ。いまだったら、すぐに用意しますんで

 保存用や実用用はともかく、鑑賞用とは何ぞや。

和屋和仁

……分かりました。すみません、お見苦しいところを

 一旦は悋気を収め、和仁は委縮したように頭を下げた。

和屋和仁

じゃあ、追加でもう三部、印刷をお願いします

東屋轟

三部?

和屋和仁

残り一部は燃やす用です

池谷杏樹

燃やさないでください

 最近の若者は環境破壊や資源の無駄遣いに関する意識が薄いらしい。

東屋轟

なるほど

池谷杏樹

納得するな

 杏樹の刺々しい突っ込みを無視して、轟はすぐに手近なパソコンを操作し、同じ資料の印刷を始めた。彼の場合は意識の高い低い以前にただのおバカだ。

 杏樹は虚しい気分を引きずりながら、残る問題に水を向けた。

池谷杏樹

……ところで、料金についてなんですが

和屋和仁

準備は万端です

 和仁はブレザーのポケットから万札サイズの紙を取り出し、何の躊躇いも無く杏樹に差し出した。

和屋和仁

こちらに希望の金額を

池谷杏樹

こ……小切手……!

 さすが彩萌市のブルジョワジー。庶民とは金銭感覚の次元が違う。

池谷杏樹

こんな支払方法、生まれて初めて……!

美作玲

社長。よだれ、よだれ

池谷杏樹

おっと

 玲に指摘されて我に返り口元を袖で拭うと、杏樹は刀剣の抜刀が如く仕草でボールペンを抜き、壊れ物に触れるような慎重さで金額面に数字を記していった。推定金額よりゼロを一個多くしても怒られないよね? などという邪な考えが脳裏を過るが、自らの正義と自制心により、その暴挙は寸でのところで押し止められた。

 支払額を記入しても、杏樹はボールペンを手放さなかった。

美作玲

? 社長? おーい、しゃっちょーう?

東屋轟

駄目だ。社長の奴、百万のケタに数字を一個足そうか足すまいかで葛藤してる

美作玲

もう\マーク書いたのに

東屋轟

美作。とりあえず、修正液と印鑑は別の場所に隠しておけ

池谷杏樹

あんたらはあたしを何だと思ってんのさ!

 逆ギレして怒鳴り、杏樹は小切手を胸にかき抱いた。

池谷杏樹

ええ、もう、これでいいですよーだ! 今日はこのところで勘弁してやりますよーだ! このまま銀行に持って行けばいいんでしょ!

和屋和仁

あ……はは

 和仁も笑っていいやら困っていいやらで当惑している。当然の反応だ。

和屋和仁

噂に違わず、随分と愉快な方達ですね

池谷杏樹

失敬。大体いつもこんな感じなんです

和屋和仁

ははは……じゃあ、僕はこれで

 もう付き合い切れなくなったのか、和仁は席を立ち、たったいま轟から渡された報告書の複製分を鞄に仕舞い、そそくさと出入り口の前まで退いた。

 彼は最後に、折り目正しく一礼する。

和屋和仁

今回は本当にありがとうございます。何かの機会に、また利用させて頂きます

池谷杏樹

ええ。黒狛探偵社一同、またのご利用をお待ちしております

和屋和仁

では

 かくして、和屋和仁は黒狛探偵社のオフィスを辞した。

 彼が消えてしばらく全員が無言にしていると、頃合いを見計らったように、杏樹は小切手をぶんぶんと振ってパンプスの足で床を飛び跳ねた。

池谷杏樹

やったやったやったぁ! 大金持ちのご贔屓ゲットぉ!

これで白猫の連中に
一泡も二泡も……
いいえ――

池谷杏樹

血のあぶくを吹かせてやれるわ!

フハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!

葉群紫月

そりゃ愉快ですね

 専用の別室から紫月がむっつり顔を引っ提げて戻ってきた。

葉群紫月

でも、なーんか嫌な予感がするんですよねー

池谷杏樹

こら、紫月君! いい空気をブチ壊さない!

葉群紫月

…………

 何が気に食わないのだろうか。紫月の面持ちは一向に晴れなかった。

 でも、金額相応の仕事はしてくれた訳だし、どんな顔をしていようが自分からは文句の一つも出ない。尾行と写真撮影、報告書の作成は勿論だが、短期間で浮気相手の素性まで事細かに調査して纏め上げた手腕は見事である。さすがは黒狛秘蔵のスーパーエースだ。

葉群紫月

……そもそも、和屋先輩と斉藤先輩って本当に付き合っていたんだろうか

東屋轟

やめとけ。支払いが済んだ以上は、この件は俺達にとっちゃ何ら関係は無い

美作玲

和屋さんの周辺事情を探るには危ない橋を渡らなきゃいけなかっただろうし、触らぬ神には祟り無し、よ

 部下総員が揃いも揃って何か言ってるが、ホットドッグよりもほっくほくな笑顔で有頂天に君臨する杏樹からすれば些末な問題だった。

池谷杏樹

明日はみんなで焼き肉よ! 
全部あたしが奢ってあげる!

葉群紫月

…………

美作玲

…………

東屋轟

…………

池谷杏樹

YEAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAH!

FOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!

 いい年こいて何をはしゃいでいるのやら、とか思っているであろう部下達の平たい視線も、いまの杏樹にとっては痛くもかゆくもなかった。

『群青の探偵』編/#1「群青」 その四

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