某都内の一角、彩萌市では、二つの私立探偵社が日々対立していた。

 一つは依頼者を第一に考え、価格から仕事に至るまでの全てが良心的な黒狛探偵社。社長には地域の人気者である池谷杏樹を据え、彼女の「優しき探偵」という理念に賛同して集まった個性派の凄腕探偵達が部下として脇を固めている。

 もう一つは依頼者を第一に考えるのは黒狛と同じだが、何より迅速な仕事を徹底する冷静沈着な白猫探偵事務所。社長は元・刑事の蓮村幹人。警察や地元の情報屋とのコネクションを深く築いており、「証拠を確実に揃えてくれる探偵社」というお墨付きを彩萌警察署から正式に頂戴している、まさしく実績で成り上がったプロフェッショナルの集まりだ。

 この二社はそれぞれ、彩萌市の顔役として機能している。

 なのに、共存という道を選ばず、何で対立しているのかというと――

池谷杏樹

幹人のヤロー、ついに大口の顧客を手に入れたわね

東屋轟

そんな悔しがらんでも

 事務机で社内消費の書面を片付けていた轟が呆れた様子で言った。

東屋轟

少し大人気無いですよ。相手がいくら元・旦那だからって

池谷杏樹

うるしゃい! あんたにはどうせ分かるまいよ、この悔しさが!

葉群紫月

社長の言ってることも、まあまあ分かります

 室内の隅でファイルの整頓をしていた紫月が作業の手を止めて言った。表向き、紫月は探偵ではなく、探偵社全体の雑務を任されたアルバイトなのだ。

葉群紫月

ええっと……たしか、ボンボンの彼氏の浮気を暴いた功績で、依頼者のお嬢さんのパパりんが経営している有名なデザイン事務所が白猫のバックに付いたんでしたっけ? 事務所のロゴもチラシもWEBサイトも近い内にデザインを刷新するとかしないとか

池谷杏樹

近頃はデザインに対する意識も高まってる。このままだと、見てくれの観点から白猫の連中に大きな差が付けられちゃう

葉群紫月

うちの場合はいまのチラシやロゴだけでも充分な気がしますけどね。美大のデザイン科の生徒が卒業研究で作ってくれたんですよね?

池谷杏樹

そうなんだけどぉ……学生と本職じゃ、やっぱり後者に軍配が上がっちゃうのよねぇ

 杏樹にとっての悩みどころは人の優劣よりも人と人の繋がりだ。黒狛の主要なデザインは彼女の友人の娘が作ったものなので、いまさら別のデザイン会社に依頼して以前のデザインを撤廃するのは、その友人の娘に対しては手酷い不義理にあたる。

 もしこれが白猫の社長なら、迷わずその娘の作品を切り捨てただろうに。

葉群紫月

うちの社長はなんでこう……たまーに決断力に欠けるんだか

池谷杏樹

紫月君までー!

 杏樹が紫月の背中をぽかぽか叩く。良いマッサージだ。

葉群紫月

……そういや、この時間に相談の予約が入っていたような。浮気調査だっけ?

池谷杏樹

お客さん!

 さっきまでの癇癪から一転、杏樹が大きな瞳をきらきらと輝かせる。

池谷杏樹

紫月君、貴方は別室で待機!

葉群紫月

またっすか

池谷杏樹

貴方の正体を他の連中に露見する訳にはいかないもの。ほら、行った行った!

葉群紫月

へーい

 気の無い返事をして、紫月は社長の執務机の後ろ側にある扉の向こうへ消えた。

 杏樹が奥の応接間に招き入れた依頼者は地元の男子高校生だった。紫月と同じ、県立彩萌第一高等学校の制服姿だ。校内の風紀が緩いのか、頭髪は金のセミショート。ネクタイも緩く、ブレザーは着崩している。不良とは言わないまでも、浮ついた雰囲気だけはどの角度から見ても否めない。

 応接用のソファーを彼に勧め、杏樹も対面のソファーに腰を下ろす。

池谷杏樹

お待ちしておりました、和屋さん

和屋和仁

きょ……今日はよろしくお願いします

 依頼者、和屋和仁(わやかずひと)はやや緊張気味に頭を下げた。

池谷杏樹

ところで、保護者の方は?

和屋和仁

父は仕事が入っておりまして。でも、電話を入れたのが父なので、僕一人で向かっても何ら問題は無いと

池谷杏樹

…………

 問題はある。というか、問題だらけだ。

 そもそも探偵は法律上の問題があって、未成年者からの依頼は基本的に受け付けていない。それでも探偵が要りようの場合は、法廷代理人、つまりは保護者の存在が必要になる。

 だが、これらの説明をして、和仁に何かをごねられても面倒だ。

池谷杏樹

……まあ、良いでしょう。相談内容につきましては事前の電話にて保護者の方から伺っています。なので改めて、詳細の方を私達にお教え頂けますか?

和屋和仁

まずはどのあたりから?

池谷杏樹

そうですねぇ……貴方と、件の恋人さんの交際状況について、そちらが話せる範囲で情報の提供をしていただけますと

 とりあえず、当たり障りのないような要点から引き出してみるのが吉だろう。杏樹は和仁のたどたどしい説明を忍耐強く聴取し、要点をノートに書き込み、要所要所で最低限の質問をしてさらなる情報を獲得する。探偵は仕事の本契約をしない限りは客から金を取らない。故に、客を依頼者に変える分水嶺はここしかない。

 かれこれ十五分が経過。杏樹はまとめた要点から書き上げた恋物語のあらすじを復唱する。

池谷杏樹

和屋さんが現在交際している相手は斉藤久美。同級生の十七歳。付き合い始めてから三か月が経過

 たかが三か月程度の交際相手の浮気を暴く為に探偵をこき使うのか。自分で復唱しておいてなんだが、イマドキの高校生はオバサンの想像を遥かに超えるくらい早熟らしい。

池谷杏樹

最近は会っても目を合わせず会話すらしてくれない。LINEでメッセージを送っても返信がそっけない

 じゃあ別れろ、などと思うのは自分だけだろうか。

池谷杏樹

そして学校が終わった後は決まって彼女の行方が分からなくなる。おそらく、和屋さんの目を盗んで別の男と会っていると、和屋さんは推測している……と。こんなところでしょうか

和屋和仁

そうなんです

 突然、和仁が半泣きになる。

和屋和仁

付き合い始めた時はあんなに想いが通じ合っていたのに……何でなんだ、畜生……!

美作玲

まあまあ、落ち着きましょうよ

 玲が遅ればせながら、杏樹と和仁に温かい緑茶出し、テーブルの真ん中に茶菓子が乗った木の盆を静かに置く。

美作玲

まずは一服、如何かしら

和屋和仁

ありがとうございます……

 泣きながら、汚い音を立てて茶を啜る和仁の情けない面持ちと言ったら。彼が紫月より一歳分年上だという事実が未だに信じがたい。

 杏樹は相手の精神状態を鑑みて、別の話題を振ってみることにした。

池谷杏樹

和屋さん。個人的な質問を一つだけ、よろしいかしら?

和屋和仁

何です?

池谷杏樹

和屋さんはどうしてこの探偵社に来ようと思ったのか……私達にとって興味があることなので、よろしければ是非お教え願いたいのですが

和屋和仁

何でって……知り合いに奨められたからです

池谷杏樹

知り合い?

和屋和仁

前に利用したことがあって、白猫よりよっぽど腕が立つ上に接客態度が良いと聞いて……それでここを選んだんです

池谷杏樹

あら、嬉しい

 表面上ではにこやかに笑っているが、

 内心では悪魔のコスプレをした杏樹が真っ黒な炎を全身に滾らせて何度もガッツポーズしていた。

 この様子ならデザインの刷新は必要なさそうね。結局、大事なのは見た目より中身よ! まだあの野郎に白旗を上げるのは早計だったわ!

池谷杏樹

どうやらそのお知り合いはなかなかのご慧眼をお持ちのようで

和屋和仁

はあ……そうですか

池谷杏樹

まあ、とにかく

 杏樹は居住まいを正し、真っ直ぐな目で和仁を見据えた。

池谷杏樹

さっき、例の彼女さんは放課後に決まって和屋さんの前から姿を消すとおっしゃいましたね。貴方が彼女さんを本当に大切に想っているのは重々承知しておりますので、その貴方が見つけられないというのなら、たしかに探偵でもなければ発見は難しいでしょう

和屋和仁

引き受けてくれるんですか?

池谷杏樹

我々は決して拒みません

 拒みませんというか、
 拒んだら命が危ない。

池谷杏樹

あとは、貴方の意思決定だけです

和屋和仁

お願いします

 和仁が深々と頭を下げた。これで意志確認は完了である。

池谷杏樹

承りました。では、貴方が持ちうる限りの情報を全てこちらにお渡し頂きたいのですが、そういった物品の一式は揃えていらっしゃいますか?

和屋和仁

勿論です。今日の為に必要になりそうな写真とかメールのスクショとか色々と

 写真と浮気調査は切っても切れない関係にある。依頼者から写真を受け取り、こちらが調査の過程で撮影した証拠写真を依頼者に渡す。和仁もそのあたりは心得ているようなので、わざわざこちらから事細かに説明する手間が省けた。

 でも、メールのスクショって必要か? まあ、情報は多いに越したことはないけど。

池谷杏樹

あと、我々もこれが仕事ですから、料金面のお話なんかは……

和屋和仁

父はいくらでも出すと言ってました。予約の電話で、父の資本についてはそちらもご存知の筈ですが……

 和仁の父親は大儲けしている宝石商の代表取締役だ。つまり、和仁はその御曹司、次期社長にあたる。電話口で一回だけ彼の父親と話したが、息子の事を本当に大切にしているような――というよりは、息子を甘やかして育てている父親の口ぶりだった。しかもこちらが贔屓にしているフリーの情報屋によると、彼らのバックにはちょっぴり関わり合いになりたくない種類の方々が控えているらしい。その兵力たるや、黒狛が会社の全資産を注ぎ込んでC4爆弾を取り寄せたとしても勝てない規模だという。

 何にせよ、こういう奴らが相手なので、金の問題は心配無用だろう。

 でも、肺腑の奥に残るような、この違和感は何だろう?

池谷杏樹

分かりました。では、最初に調査プランのお話を――

 杏樹は調査の内容、方法、料金、時間の話を推し進め、全てを取り決めた上で最終的に契約を結んだ。この一時間でさくさく話が進んだのは、和仁があからじめ探偵の仕事に必要な資料一式を揃えていたからだ。高校生の新規相談者にしては手回しが良すぎると思ったが、それを深く追求するような職員は誰一人としていなかった。

 全ての打ち合わせを終えると、和仁は席を立ち、丁寧にお辞儀をする。

和屋和仁

当日はよろしくお願いします

池谷杏樹

ええ。こちらも誠心誠意、契約の仕事をさせて頂きます

和屋和仁

はい。では、僕はここで

 和仁が探偵社を辞し、オフィス内が一瞬だけ静かになると、入れ替わるように別室から紫月が出てきた。

葉群紫月

……いいの? あれ

 早速、紫月が疑問を呈する。

葉群紫月

来訪した依頼者は未成年が一人だけ。予約は法廷代理人の電話一本のみ。知り合いからの推薦でここに来たのはともかくとして、金の出所になる親父はそもそもこの状況を詳しく把握してるのか? 俺には依頼者もその親父も狂ってるようにしか思えない

池谷杏樹

断れない相手なのは紫月君も知ってるでしょ。それに、上手くすれば大口の顧客を手に入れられるかもしれないし

葉群紫月

だとしても法律上はグレーゾーンだ。社長だって本当は頭にヤの付く自由業の方とか、道を歩いていたら必ず二人掛かりで強引な勧誘をしてくる宗教団体のクソ共みたいなのと関わり合いになりたくないでしょうに

東屋轟

止めとけ、紫月

 机の上で超合金ロボットを弄っていた轟が目を合わせずに言う。

東屋轟

清濁併せ呑む器量が無けりゃ探偵なんてやってかれんよ。それに法律云々の話をするなら、お前の身分を詐称して密かに匿ってる社長の立場はどうなる? あと、お前が仕事中に持ってるモノホンのハジキについてはどう説明する?

葉群紫月

それは……

池谷杏樹

良いのよ、東屋君

 杏樹が首を横に振る。

池谷杏樹

紫月君の身元保証人も好きでやってることだし。それに、彼に銃を渡したのは貴方でしょ?

東屋轟

あー、まぁ……そうだったな

 轟はようやく玩具のロボットから手を離して席を立つ。

東屋轟

で、俺は昨日買った超合金レーバテインに夢中だから大した興味は無いんだが

池谷杏樹

仕事しなさいよ

東屋轟

あの坊ちゃんの依頼、誰がやるんだ?

葉群紫月

聞いた限りだと、俺が単独でやることになってます

 紫月が片手を挙げる。相談の間、彼は別室から応接スペースの様子を天井のカメラと各種盗聴機材で全て把握していたのだ。

葉群紫月

和屋先輩が通ってる学校がたまたま俺と同じなのが運の尽きです。面倒ですが、明日の放課後は斉藤久美先輩のストーカーとして働きます

美作玲

なら良かった

 いままで話にほとんど参加していなかった玲が嬉しそうに小躍りしている。

美作玲

明日の夕方、いきなり仕事とか言われたらどうしようかと思ったわん

葉群紫月

デートっすか?

美作玲

ええ。付き合い始めて一年の

美作玲

彼女と

葉群紫月

…………

 あんまり社外には漏らせないが、玲はレズビアンだ。

 杏樹は額を掌で押さえて呻く。

池谷杏樹

うーん……何だろう、うちの連中は優秀なんだけど、なんかこう……色々アレね

葉群紫月

ちょっと待ってください。俺だけは東屋さんや玲さんと違いますからね?

東屋轟

おいコラ紫月テメーこのヤロー

美作玲

生意気な口は……こうっ!

葉群紫月

ふぎゃああああああああああああああっ!

 轟からチョークスリーパーを喰らい、玲から頬を引き延ばされている紫月を見て、杏樹はさらに深いため息をついた。

『群青の探偵』編/#1「群青」 その三

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